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内田樹『街場のアメリカ論』

2010-12-27 06:13:00 | ノンジャンル
 WOWOWで、ロマン・ポランスキー監督・共同脚本の'88年作品『フランティック』を見ました。パリで妻を誘拐されたアメリカ人医師(ハリソン・フォード)が、妻のカバンと自分のカバンを空港で間違えたスパイの運び屋の女とともに、妻を助け出すために活躍する映画でしたが、普通のアクション映画だったので、ちょっとガッカリでした。冬のヨーロッパを映した画面は美しかったのですが‥‥。

 さて、内田樹さんの'05年作品『街場のアメリカ論』を読みました。
 まず、まえがきで、「私たち」はつねに「誰か」にとっての「私たち」であり、他者からの視線を媒介しないアイデンティティというものは存在しないことが宣言されます。そして清の没落以来、日本人は中国ではないものとして日本を意識し、その時からアメリカを欲望し始めたのだと論じます。そうした中で、日本は「外国の侵略に際して日米安保条約が機能しない」というもっとも危険な事態を「ありえない」ものとしてきたことなどが語られます。また、「原因」を問われる時、「原因」など存在しないからこそ、そういう問いがなされるという事実が指摘され、以後、具体的に日米関係、およびアメリカについて論じられていきます。
 まず、歴史の進路には様々な分岐点があり、過去から現在まで直線的な因果関係でつながっているというようなシンプルな物語に依存しないためには年号を覚えておくことが必要であることが言及され、「起きてもよかったのに起きなかった出来事」をどれだけ多く思いつけるかによって知性は試されるとも言います。その例として、アメリカ南北戦争が19世紀後半に起こっていなかったら、日本がアメリカの植民地になってい確率が高かっただろうと述べられます。また戦後のフランス官僚の中枢を形成していたのは、ナチに協力していたヴィシー政権の官僚たちだったことや、太平洋戦争時、インドシナ半島で日本軍とフランス軍が遭遇していたはずなのに戦闘せず、インドシナ半島を「共同統治」していたことなどが語られます。そして歴史に「もしも」を導入するというのは、一人の人間が世界の進行にどれくらい関与することができるのかについて考えることであると結論づけられます。
 この後も、アメリカにおけるジャンクフードを論じる中で、地産地消という考え方が強い排外主義を呼び、また文化の本質的な雑種性を看過する傾向になりうることに言及されたり、モビルスーツに象徴される、日本マンガにおける「無垢な少年しか操縦できない巨大ロボット」がアメコミには全く見られないことなどが指摘され、アメリカにおける統治システムにおける多数決主義、戦争経験の不備、ヨーロッパ以来の子供嫌いの伝統、そこから派生したシリアル・キラーの流行、身体の道具化と身体的快感の欠如化、知性を敵視する福音派の跋扈、秘密結社の伝統、裁判社会における他責主義といった事柄が論じられます。
 今まで知らなかったことが、事実の積み重ねとして論じられていくのに快感を得るとともに、とても勉強になりました。アメリカ、ひいてはアメリカに対する日本を理解したいという方には最適の本です。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto