映画雑記12

2006-11-11 22:27:24 | 映画
映画覚書第12弾です。
今日のメニューは『ハイドアンドシーク』です。
またまたやってくれました。デニーロとダコタファニングという新旧演技派俳優が激突する、期待せずにはいられない作品・・・だったのですが、撃沈しました。何が悪かったというと鑑賞したタイミングが悪かったのです。先日ここでもご紹介した『シークレットウィンドウ』を見てから一ヶ月もしないうちに見てしまったことに問題があったのです。何故、シークレットウィンドウの後にこの作品を見るとタイミングが悪いのか。ズバリ、両方まったく同じオチだからです。つまり主人公が二重人格であり、その主人公の目でストーリーが展開されるというところはまったく同じなのです。さらに、犯人は神出鬼没かつ大胆に行動するにもかかわらず、警察の操作網にもかからない。この2作品で異なる点といえば、もうひとつの人格が目に見える形で姿をあらわしているのがシークレットウィンドウであり、娘だけがもうひとつの人格の存在を知っているのがハイドアンドシークなのです。驚いたことにこれら2作品は、主人公が自分の妻の浮気現場に遭遇するという二重人格になったきっかけまでまったく同じなのです。
まず、映画の前半でダコタファニングの二重人格が疑われますが、この時点でデニーロの二重人格というのはおおかたわかってしまいました。あとは恐怖と闘いながら映画を見ていたのです。何の恐怖か。それは鑑賞中の映画が二重人格物というオチに終わってしまうことに対する恐怖です。二重人格で通常の人格の視点からのみでストーリーを進めると、絶対に主人公に犯人はわかりません。でも犯人がわからずパニックしているのは主人公だけで、見ている者はしらけてしまうんですよね。その主人公の大パニックを、オチに気付きながら見ているとまさにコメディです。サスペンスを標榜する映画を見ながら、コメディを見ている気分になる。これこそまさに恐怖ですわ。
ところで、ダコタファニングはすごいですね。もちろんメークもあると思うのですが、無表情でぽつねんとベッドに座るダコタは、リングの貞子なみの凄みがありました。一方、無邪気に遊ぶシーンでは天使のような笑顔を浮かべています。製作者側は恐らく、ダコタが二重人格であると思わせるための周到な準備のつもりなんでしょうけど、それらは徒労に終わり、ダコタの演技ばかり際立っています。今回の作品に限ってはデニーロを食ったと言っても過言ではないでしょう。
もう二度と、この類の二重人格モノは見たくないです。
では。