初任給プレゼント

2023-07-21 12:59:55 | 家族
1号がこの春に就職した。
筋金入りのホワイト企業なんだとか。
本人の希望どおりで何より。

そんな彼女に、初任給でGooglePixelWatchを買ってもらった。
感慨深い。
大切に使おう。



未だ君臨中

2023-07-12 13:56:46 | リーダー
以前、出世した、とここに書いたが、今も変わらず会社の中枢組織の課長をやっている。
つまり、3年目に突入したということだ。
個人的な意見だが、同じ組織での課長3年は長すぎると思う。
1年目は前例のない大抜擢に必死で応えようとしていた。
2年目は少し仕事と空気に慣れた中で、自分だからこそできることを追い求めていた。
そして3年目。
小慣れてしまっていけない。
向上心がなくなり、口先と要領で仕事をこなすようになってきた。
リーダーとしてあるまじき弛緩ぶりだ。
課長なんてのは2年もやれば十分だ。
短期で異動しつつ、色んな経験をするべきだ。
今日もそんなことを考えながら、時間を持て余している。
優秀な部下に囲まれて幸せだが、刺激がなくて満足はしていない。

真のリーダーとは

2022-10-26 16:37:14 | リーダー
これまで、リーダーにとって必要な資質を私なりの視点で記述してきた。
それらはどれも“私なり”の意見であり、他のリーダーが話せば異なる資質に言及されることになるだろう。
お前も納得することもあれば、それは違うと突っ込んでいることもあるだろう。
また、部下に理想のリーダーは?と聞いたら、これまた人の数だけ理想のリーダー像があることがわかるだろう。
これは結局、リーダーはあらゆる資質を備えていることを期待されているということだ。

しかし、当然ながらすべての資質を持った人間など存在しない。
Aという部下の前ではAの理想のリーダーを演じ、Bの前ではBの理想を演じることなんて、一時的にその場をしのぐことができたとしてもすぐに破綻することは目に見えている。
AとBで理想が異なるうえに、演技は資質ではないからだ。
では、結局のところ、最大公約数的な資質を持っていることを求められるのかというと、そうではないと感じている。
個別の資質がどうこうということではなく、人間として魅力的かどうか。
真のリーダーに求められるのは、人間力だと感じている。
偽りやかりそめではない真の人間力。
これからお前も色んな経験をして人間力を磨いてほしい。

人の役に立つ

2022-09-05 17:17:52 | リーダー
『リーダーとは人の上に立つ勝者ではなく、人の役に立つ勇者のことだ』

誰の言葉かは知らない。
以前、オンラインゲーム内の組織でリーダーを務めていたときに、メンバーから私を評するにぴったりの言葉ですと送ってもらった。
“私たちにとって、あなたは真のリーダーですよ”という想いを込めた、とのこと。
7年以上前、たかがゲームでの出来事だが、嬉しかったことを今でも覚えている。

私は他人(ひと)が喜ぶ顔を見るのが好きだ。
特に私自身の振る舞いや行いによって、他人が喜んでくれることは大好物だ。
以前、会社の仲間でボウリング大会を企画したことがある。
まだコロナが猛威を振るう前。
ボウリングを2ゲームやった後に、イタリアンを食べながら親睦を図った。
総勢、40名以上が参加するビッグイベントになったのだが、みんなものすごく楽しそうにボウリングに興じ、おいしそうにイタリアンを食べ、イベントが終了して帰る際には口々に楽しかったと言ってくれた。
そういうイベントを主催できたこと、そしてそのイベントでみんながものすごく楽しんでくれたことが心から嬉しかったのを覚えている。
もちろん、1円たりとも儲けていないばかりか、300円程度の赤字を補填したのを覚えている。

オンラインゲームでも同じようにリーダーとして正面から向き合っていたので、メンバーはそれを感じ取ってくれたのだろう、冒頭の言葉を贈ってくれたのだと思う。
今、思い出してもニヤけてしまうほど嬉しかったりする。

ひとくちにリーダーと言っても、リーダーの人数分だけリーダーのタイプはある。
人間的にはリーダーと呼べないような人が、組織的なリーダーを務めている会社も、不幸なことだがちらほら見受けられる。
私は、これからも、この言葉を贈ってもらえるタイプのリーダーでありたいと思う。

未来の自分が今の自分を作る

2022-07-26 06:45:12 | リーダー
こんな考え方は、間違っていると思うか?
今の自分があるのは過去の自分の積み重ねだ。
というのはよく聞く。
そして、未来の自分を決めるのは今の自分だと。
確かにその一面を否定はしない。
判断しなければならないとき、過去の経験から答えを導くことは多い。
困った人と接するとき、過去の困った人の事例を記憶から引っ張り出すこともある。
過去に学んだ知識で、今の問題を解決する努力をする。
これらは過去の自分が、今の自分を作る一例だ。
しかし。
考えようによっては、この繰り返しでは過去の自分を超えられないのではないか。
積み重ねてきた知識や経験に基づき行動する現在の自分は、その知識や経験の範疇でしか行動できない。
つまり、今の自分は過去に縛られているとも言えるのではないか。
自分の過去以上のことができないという意味で。
一方、自分はこんな人間になりたいという将来像を持っている場合、なりたい自分になるために今の自分は行動する。
そこに過去の自分の知識や経験は、基本的には必要ない。
必要なのは勇気と想像力と変化を恐れない強さ。
多くの人は現状を維持したがる。
そうすることが最もエネルギーを使わなくていいから。
経験と知識の中だけで生きるから楽なのだ。
でも、それでは今まで以上の自分にはなれない。
未来になりたい自分になるために、今の自分が行動する。
未来の自分になるために、変化を恐れず、労力を厭わず、経験も知識もないことに挑む。
これがつまり、タイトルの未来の自分が今の自分を作るということ。
ミドルエイジの自殺が多いと聞く。
50代以降で自殺者の半数を占めるとか。
今後の人生を、これまでの経験からしか考えられない、つまり過去よりも明るい未来は想像できないということなのだろう。
だから未来に絶望するのかも知れない。
自分には、過去よりも今よりも明るい未来が待っていると考えることができれば、きっと自殺は減るのだろう。
ただし、人生が良くなる将来を描き、それに向かって行動することは非常に困難である。
一方で、それをできた者だけに見える未来が、きっとあるのだと思う。
私はそんな未来を見たい。
だから、未来の自分が作る今の自分でいることを選ぶ。
知らなかったことを年下の人から教えてもらい、経験したことのないことを恐れず、踏み出す。
幸い、私は自他ともに認める強力な実行力だけは持っている。
未来になりたい自分を思い描き、この実行力でそこへ向かって行動しているところだ。
その未来は明るいとは信じているが、本当に明るくなるのか誰にもわからない。
不幸になるシナリオも見え隠れする。
現状維持に全力を注げば、きっと楽だろう。
私は組織で出世しているし、現状維持できればそれなりの権力や財力が手に入り、将来は安泰だ。
しかし、私には他にやりたいことがある。
現状維持では叶えられない未来を、夢見ている。
我ながら、いい年して甘いことを言っていると自覚している。
こんな父で申し訳ないな。