自信を持つ、己を戒める

2021-01-27 17:14:48 | リーダー
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』
リーダーが肝に銘じておかなきゃならない言葉をひとつ選ぶとすれば、この言葉を選ぶ。
私事であるが、仕事での成果が出たとき、組織としての難局を乗り切ったとき、私は自分の能力を過信する。
そして油断する。
そして、当然のように頭をハンマーで打たれるような失敗をする。
必ずだ。
過信した後の油断に伴う失敗。
公式のように必ずだ。

先日、株主総会ではないが、組織として業務の正当性やこれからの方針を監査的な組織に説明することがあった。
これに関してはしっかり準備して、自分で納得できる対応ができた、と思っている。
これまでの方針を転換させる説明内容であったため、委員からどのような反応があるか、部下達は不安だったようだが、私にとってはこれしかないという選択肢だったため、不安を抱えながらも自分の考えに突き進めた。
結論として、成功だったと思っている。
この成功に気をよくした私は、やはり自分のやり方が間違っていなかったと慢心した。
いや、頭を垂れることを忘れちゃいけない気持ちがあったので、謙虚に成功を受け止めるよう努力していた。
それでも慢心してしまっていたのだと思う。
数日後に、別の監査役への説明の準備が十分でなく、会議の席上で大きな失態を犯した。
ごくごく単純な質問に答えられず、把握できていませんと回答せざるを得なかったのだ。
慢心から来る油断。
回答してからの私には、この言葉が重く重くのしかかっていた。
残りの会議も上の空。
絵に描いたような基本をおろそかにしたことによる大失態。

困難な事案を自分の力で解決できたと感じたとき、慢心が生まれる。
そんなときに冒頭の言葉を思い出し、うまくいったことを忘れて、真摯に次の課題に取り組む姿勢が必要だ。
口だけでいい気になっちゃいけないと言うことには意味がない。
次から次へとやってくる事案に対して、まっすぐ向き合い丁寧な対応をする。
実際にそれができなきゃならない。

これは、調子乗りの私にはとっても難しいことだ。
すぐに自分の力を過信してしまう愚か者だからな。
お前はどうだ?
できるか?

新型コロナの対応するならば

2021-01-17 19:06:16 | リーダー
もしも自分が日本の新型コロナ感染症(以下「コロナ」)対策の責任者(極論すると首相)となったら、自分ならどのように決断し行動するか?
リーダーのはしくれとして考えてみた。

まず大きな方針として、一切の経済を止めない。
その結果の感染拡大は受容する。
生活様式としてマスクの着用や密を避けるという、日常的な習慣をつけるよう個人にお願いする。
持病を持つ人や高齢者でコロナが怖い人の対応として、外出しなくてもその方々が生活できるような対策を取る。
その結果、感染者や重傷者、死者が増加することへの理解を求める
コロナの感染症法における感染症の分類を5類に改めて、保健所や医療機関の逼迫を防止する。

要は社会としてコロナと戦わず、経済を止めない道を選ぶ。
ウィルスが地球上に存在すること、未知のウィルスが発生することがあること、ウィルスが変異することは自然の摂理として当然のことだ。
そんな自然の摂理と戦っても勝てるわけがない。
実際、年末からの感染者数は増加の一方だ。
ウィルスの活動期に中途半端な対策をしても感染拡大を防ぐことはできない。
インフルエンザウィルスと同じだ。

きっと、数字などのエビデンスに基づく客観的事実を集めるとコロナがインフルエンザよりも恐ろしいウィルスであるとは言い切れないと思う。
問題は、ワクチンや治療薬がないことだが、インフルエンザの治療薬の開発には10年以上要している。
治療薬がない中で、我々はインフルエンザと長い間、付き合ってきている。
相応の重傷者や死者を出しながら。
それと同じことだ。
社会として、落ち着いて新型コロナウィルスを受け入れよう、ということだ。

この場合、リーダーとしてなすべきことは、
①コロナと戦わないという方針を立てたこと、これまでと変わらず経済を回していくことを国民に伝える。
②コロナを恐れる人向けの対策(リモートワークなど)を行う。
③コロナを必要以上に恐れず、日常的に各個人ができる対策をしっかりと行うようお願いしする。
④この結果、重傷者や死者が増える可能性が高いことを国民に理解してもらう努力をする。
⑤誰かのコロナ対策が十分でないと非難したり、誰かのコロナ対策がやりすぎだと非難することなく、落ち着いて対応するよう理解を求める。
といったところか。

結局はリーダーの決断した方針を、なぜ、いつまで、どのような方法で実施するのかを説明することに尽きる。
もちろん、原稿を読まず、自分の言葉で感情を表しながら国民に語りかける。
そういう努力をすることがリーダーの責任だと思う。
ウィルスが100%抑えられる対策なんてあり得ない。
国民全員が100%満足する施策なんてあり得ない。
マスコミが権力を非難することがなくなるなんて、民主主義国家ではあり得ない。
これ以外の方策はないと訴え、他人に対して攻撃的にならないよう訴え、差別の気持ちを抑えるよう訴える。
簡単に理解できるとは思わない。
だからできるだけ多くの国民に対して、心を込めたメッセージと強力な発信力を駆使して、理解してもらう努力を重ねる。

それについては、国でも一会社の一組織でも同じではないだろうか
国民が社員になるだけで、リーダーとしてのやるべきことは同じだ

先日、昨年に続き2回目の非常事態宣言が地域を限定して発出された。
テレビやマスコミは相変わらず、コロナの感染者数や犠牲者数を数えることに夢中で、視聴者の不安をあおってばかりだ。
感染症分類を5類に変更することはありえないようだ。
明るいことが何もない。
国民は何を見て希望を持てというのか。。。。

発信力の重要性

2021-01-16 11:43:20 | リーダー
昨年8月に自由民主党の総裁に選出され、日本国の内閣総理大臣となった菅首相。
当たり前のことだが、私は菅首相にお会いしたこともなければ、人となりを知ってるわけでもない。
ただ、実務に長けており、調整能力が高く、政治家としての偏差値が高い方だとイメージしている。
何の七光りもなく、横浜市議から首相に上り詰めた方なので、誰も勝てないような高い能力を持ってらっしゃると簡単に推測はできる

しかしながら、就任以降、支持率は下落の一途をたどっている。
特に年末年始の新型コロナ感染症の感染爆発への対応に批判が集中し、遂には『支持しない』が『支持する』を上回ってしまった。

個人的な感想として、首相には発信力が絶対的に不足していると感じる。
国民へのメッセージにしても、記者会見にしても、すべて事務方の原稿を読むだけ。
質疑応答は無難な言葉を事務的に並べるだけ。
官房長官の時代はそのような対応が必要だったのかも知れないが、総理はそれでは務まらない。
明確にメッセージを発信し、国民を引っ張ることのできる発信力が必要だ。
特に、国民にとって利益にならない決定をする際には、なぜそのような決定が必要になったかについて、感情を(表面的だけでも)露にして自分の言葉で理解を求めることが必要だと思うが、首相はそういうことが最も苦手なのだろうと感じる。

発信力の重要性は何も国に限った話ではない。
どんな小さな組織でも同じことが言える。
組織のリーダーが組織の構成員(時に部下)に対して話しかけるとき、特に構成員の反発が予想される事柄を伝えるとき、手元のメモを見ずに感情を出して、その事柄がどうしても必要であることを理解してもらうように話さなければならない。
私はたいてい、以下の手順で話をする。

協調→現実→方針→依頼

協調:まずは話しかける相手方の目線で、相手方が置かれている状況を理解していることを知ってもらう。そしてその状況が簡単な状況でないことも理解していることを伝える。こうすることにより相手方は私が何も知らずに好き勝手なことを言っているのではないのだなと認識でき、話を聞く状態になれる。
現実:話しかける相手方の主観とは異なる主観での見方を話す。第三者がどう感じるか、上司や部下はどう感じているか、できるだけ客観的な意見を相手方の尊厳に配慮しつつ話す。『・・・・・という見方もある』という言い回しは有効。また、世間の意見や世の中の流れについても、必要に応じて触れておく。
方針:リーダー(組織)の方針を伝える。最も大切なところである。ここはできるだけシンプルにわかりやすい言葉で誤解のないようにすることを心がける。
依頼:相手方の特徴やストロングポイントを指摘しつつ、相手方の理解と協力がどうしても必要だということを理解してもらうよう努力する。この際、過去の相手方とのエピソードやそれに対して自分が感じたことなどを付け加えつつ、感情で“頼む!”とまっすぐに伝える。ここはまさに感情を出して語りかけることが必要になる。

人間は感情の生き物だ。
いくら“あの人には感情がない”と言われている人でも、褒められれば嬉しいし、けなされれば感情はマイナス方向へ動く。
リーダーが、心を伴う言葉で相手方の心を揺さぶることができれば、組織のメンバーはたいがいのことを受け入れて、力にすることができる。
もちらん、そのためには平常時からリーダーがやるべきことをやっていなければならない。
都合のいいときにだけ上手にメッセージを発信する偽善者という烙印を押されないように。

リーダーは発信力を持っていなくちゃならないということを、菅首相を見ていて改めて強く感じた。
何のためにメッセージを発信するのか、それは相手を動かすもしくは動かさないようにするためだ。
つまりこちらの頼みを受け入れてくれる状態にすること。
そのためには、相手を動かせるだけの発信力、会話力が必要だ。

首相に足りないものがどの程度あるのかわからないが、これが最も大きな足りないものだと断言はできる。

組織や立場を超えて

2021-01-08 07:47:06 | リーダー
さて。
2020年10月14日の記事として、ここに書いたプロジェクト。
私がすべてを主導して進めてきた。
その結果を少し記しておこう。

自己評価として、10点満点の9点といったところか。
他人の評価は知らない。
プロジェクトが動き出したのが9月末で、完了したのが12月中旬。
自信を持って言えるのは、これほどスピード感のある仕事ができる人間は、私の組織にはそうはいない。
たくさんの関係者との調整をし、関わる事業者との調整をしつつ、できるだけ早く仕上げる。
スピードだけで言えば、金メダルだ。
では、質はどうだったのか?
プロジェクトの結果のクオリティについては、すぐに判断できるものではない。。
いずれ評価が出てくるだろう。
時間、費用、人材、様々な制約がある中でのプロジェクトの進行であったが、全力で向き合い、最低限の成果は出したと認識している。
少しだが新聞に掲載されたところを見ると、やってはいけないことではなかったのだろうと思う。

組織と立場を超えて約3ヶ月のプロジェクトを先導した。
協力的な現場の社員にやる気を奮い立たせてもらい、非協力的な管理職社員にフラストレーションを抱かされた。
やらたくていい仕事をやる私を笑っていた者もいるだろう。
テーマソングは中島みゆき氏のファイト!だった。
戦う私の姿を笑っていたのは、戦わない愚か者たち。戦えない臆病者たち。
笑いたければ笑うがいい、弱き者よ。
ずっとそんな気持ちで自らを鼓舞し続けた3ヶ月。
今は清々しい気持ちだ。
笑われても、何と思われようとも、正しいと思うことを貫き続けていきたいものだ。