修行と自堕落 ~宝物~

2006-07-31 21:48:42 | 雑記

網膜はく離には衝撃がタブーなので、入院後、2週間ほどの自宅療養をいただきました。入院中の生活に比べると、あまりにも優雅で、楽しい2週間でした。それはまるでUU生活という修行をやり遂げた僕に用意されていたささやかなご褒美のようなものでした。
退院5日ほどした後に息子1号が産まれました。それまでの間は嫁さんとランチ食べに行ったり好き勝手です。ただ、視力が極端に落ちているのでテレビは見にくいし、本は読みにくいしでそれが唯一の難点でした。第3子誕生後は、嫁さんが入院生活に入ったので(僕と同じ病院です)娘2人と僕の3人暮らしになりました。
ここから僕の楽しい楽しい主夫生活が始まります。
朝は子ども二人を起こして朝食(パンとかコーンフレークですが)を食べさせ、保育園に送ります。その後、ちゃちゃっと家の掃除をして自堕落な生活をむさぼります。インターネットや映画見放題生活。昼ご飯はコンビニ。3時くらいから子どもの晩御飯を考え出しますが、料理は苦手(めちゃ時間がかかる)なのでたいていが外食かコンビニで済ませました。でも2回くらいサケを焼いたり味噌汁を作ったりしましたね。ダシパックでしたけど。それから午後5時くらいに保育園に娘を迎えに行きます。娘にご飯を食べさせた後、少し3人でゆっくりしてお風呂。3人でワーワー言いながら入ります。後は寝るだけの状態までできるだけ早くもっていかないと、2号がすぐに寝たいと泣き出すので3人で遊べません。みんなで遊ぶのは楽しいですからね。やがて2人とも眠りにつくのが9時頃です。それからまた、自堕落生活の再開です。午前1時くらいまで、心ゆくまで自分の好きなことをすると眠りにつきます。
こんな生活が約10日続きました。淡々と書きましたが、僕にとってこの上なく幸せな時間でした。娘2人を一人で世話しているという満足感と自分の好きなことを好きなだけできる時間に囲まれて、本当に充実した日々でした。おそらく定年まではあんな時間を二度と持つことはできないでしょう。入院後の2週間は、僕の思い出の中で珠玉の真珠のようにひっそりと輝いています。自堕落な日々ではありましたけどね。
いろんなことを走馬灯のように思い出しました。入院中に娘の保育園の運動会があり、うつむき限定で先生が見に行ってもいいって手術前は言ってくれたくせに、いざ運動会の前の日に行きたい!と相談するとハナにもかけずに許可しなかったこと・・・
入院中に嫁さんが出産することがあれば、同じ病院なので立ち会ってあげなさい。ただしうつむきで。と、どうやって立ち会うねん!と突っ込んだこと・・・

今でもうつぶせになるとあの日々を思い出します。そして、仰向けに寝られることを感謝します。日常の当たり前が、どれだけ貴重なものなのかを忘れないようにしたいですよね。

というわけで、衝撃に弱い網膜はく離になったのでバスケットはできなくなった、というかやるのが怖いのです。え!?なんのことかって?それはこのシリーズ第1回目の『兆候』を読んでください。長い説明でした。ここまで読破された方(皆無でしょうが)お疲れ様でした!
では。


修行と自堕落 ~解放~

2006-07-30 23:20:07 | 雑記

入院生活は2週間程度と聞いていたのですが、アルマジロ修行が始まって一週間が過ぎた頃、僕は精神的に変わってきました。
UU生活に合わせて、精神までUUになってきたのです。つまり暗く沈むことが多くなりました。
看護士さんが来てくれて世間話をしてくれたり、職場の友人が見舞いに来てくれたりしても、当然UU生活のため目を見て話すことができません。だから僕は、看護士さんの顔を誰一人覚えていないんです。友人にも下を向きながら話してても、感謝こそすれ気分が上向きになることはありませんでした。そんなこんなで肉体から精神もUU生活へと落ちていったのです。
また主治医の先生も愛想がない。女性だったのですが、ものすごくさっぱりした感じの人でまさに竹を割ったような性格です。毎朝の診察で順調ですとは言ってくれはるのですが、ちょっと何か質問すると一言で返事されてしまいです。丁寧な説明という意味ではあまりいい先生ではなかったかも知れません。でもものすごく忙しそうにされてたので仕方ないなとあきらめていました。
やがて僕をさらに精神的にうつむかせる決定的な出来事が起こりました。
順調に回復していたんですが、先生がどうしてもレーザーを打っておきたいところがあると言ったのです。レーザー治療・・・僕は2年前にこのあまりの痛さに治療中に呼吸をすることを忘れてしまい、貧血で気を失った経験があります。しかも2回も。聞いた瞬間、またあの痛みと向き合わなければいけないということに絶望を覚えました。しかも聞いた日の昼からだというのです。苦い思い出を看護士さんに話すと、看護士さんは大笑いして去っていきました。瞬く間にナースセンターで話題になったようで、来る看護士さんみんなに“倒れんようにがんばって!”と励まされました。
レーザー治療は必ずしも痛いものではありません。というかほとんどの人がたいして痛みを感じないそうです。でも僕の場合、場所的に痛いところなのか頭の後ろまで突き抜けるような鋭利な痛みが伴います。
やがて悪魔の遣いがやってきました。看護士さんがそろそろ行きましょうかーと言いながら車椅子を押してきます。僕は覚悟を決めるといそいそと立ち上がり車椅子に座ります。ずっとイメージトレーニングしていたのです。呼吸を忘れないことを。ヒッヒッフー。ラマーズ法レーザー治療に対抗してやろうと。
暗室に着くとまたも主治医の先生の先制パンチです。“mercyさんの場所は痛いよ”簡単に言ってくれるねぇ。。。でも俺は大丈夫。だって俺にはラマーズ法が味方してくれるから。もう目的が変わっています。痛いのは仕方ないから我慢しよう、せめて倒れて笑われることだけないようにがんばろう。もう何が何やらわかりませんね。
頭をレーザーの前に固定されて準備完了です。ヒッヒッフー。こっちもラマーズ開始。パシッ!始まりました。パシッパシッ。。。無機質な発射音が暗室に響きます。ヒッヒッフー。最初は痛くありません。パシッパシッ。あ・・・だんだん痛くなってきた。ヒッヒッフー。まだ呼吸は忘れてません。パシッパシッパシッ。。。うわーーっ!めちゃめちゃ痛い!!例の頭の後ろへ突き抜ける痛みが連続で押し寄せます。ヒッヒッブーイテー!じっと耐えていられなくなってきます。体中から脂汗が吹き出て、肌を伝っていくのがわかります。ヒッヒッ・・・もうあかん。吐き気とめまいが急激に襲ってきてもうだめです。“ちょっと休ませてください!”と懇願。“もうちょっと我慢できない?”この鬼っ!“できません!倒れそうです!”“じゃあちょっとだけ休憩ね”その言葉と同時に僕は気を失いました。気づいたら隣の部屋のベッドの上です。もちろんうつ伏せ。看護士さんがよってたかって運んでくれはったそうです。すんませんでした。それにしても・・・ラマーズ法をもってしても僕はレーザーに勝てなかった。悔しい。けどもうやりたくない。と思ってたとき、鬼(少なくともこの瞬間はそう見えました)がひょっこり顔を出して“まだ終わってないんよ~”。
もうこうなったらやるしかない!一番望むことは網膜はく離の完全回復なんやからな。もうラマーズもダライラマも関係ない!とことんまでやったるで。そう決心した僕は5分後にまた、同じベッドの上でアルマジロでした。う~ん。決心は関係ないんやな。でもちょっとあの倒れる瞬間って快感になってきた。
結局、2回の貧血。治療は無事終了。痛みに負けたくやしさよりも終わったうれしさで、このときばかりはすがすがしい気持ちでした。
ところが病室に帰ると、入れ替わり立ち替わり3人の看護士さんが来て“お疲れ様~倒れたんやね”ですって。ナースステーションの噂伝導率は鉄の熱伝導率より高い!誰か断熱材はおらんのかいな。まぁこの日は恥ずかしいし情けないし、うつむきの精神がついに天橋立を見るときみたいになって、ついに元に戻ることはありませんでした。
やがて、UU生活に別れを告げる日がやってきました。目に入れたガスはずっと視界にポヨヨ~ンと浮かんでいたのですが、それがだんだん小さくなって消えたのです。主治医が“ガスなくなったね”と微笑みました。手術後、11日目のことです。“もううつ伏せはいいよ”。
キャーッ!うれしーっ。遂に、遂にUU生活とさよならの時がきた。その瞬間、僕はまっすぐに先生の顔を見ました。手術以来、初めてです。でも視力が極端に落ちているのでよく見えません。でも暗室で検査用のかすかなライトに浮かぶ先生の顔は、間違いなくお釈迦様そのものでした。。。
病室に帰ってベッドに腰掛けます。もちろん顔は前を見ています。ゆっくりと足を上げるとベッドに横たわる準備をしました。枕の位置を確認して体をゆっくりと横たえます。小さな声でつぶやきました。
“グッバイ、UUライフ”
その後、久方ぶりに仰向け睡眠をむさぼりました。寝返りもしました。とんでもない快適さ、経験したことのない快感。苦行の末に僕はこれまで知らなかった、経験したことのなかった、極上の仰向け睡眠を手にしたのです。

さすがに、もうこのシリーズは終わりだと思うでしょう。ところがどっこい、まだ続くのです。
次回、入院後の安静生活でシリーズの大円団を迎えます。


修行と自堕落 ~試練~

2006-07-29 22:12:21 | 雑記

このシリーズまだ続きますよ~
部長にKOされた私はフラフラとベッドに倒れこみました。一緒に聞いていた嫁さんは相変わらず心配そうな顔をしてくれています。手術の目的ははがれた網膜をくっつけることです。そのために目にシリコンのベルトを巻いて締め付け、硝子体と網膜がはがれることを防ぎます。さらに空気より軽い(と思われる)ガスを硝子体に入れてガスの浮力で網膜をおさえつけ、癒着を待ちます。網膜は目の奥にあるのでガスでおさえるためにうつ伏せにならなければなりません。寝るときはもちろん、ご飯を食べるときもトイレに行くときも、24時間うつ伏せもしくはうつむけなのです。これを聞かされたときは気分もうつむきだったので仕方ないなと簡単に聞き流していました。
さて、手術です。午後2:30分から手術室に入りました。穴のあいた緑色のシートを顔からかけられて、恐らく第三者的に見るとシートから目だけだしてキョロキョロやっているマヌケ者だったことでしょう。“じゃ、麻酔しますね”という主治医の言葉と同時に麻酔の針が迫ってきました。あっけなく恐れていたその時が訪れました。“きた、きたーっ!”心の中で叫びます。プスッ、ズズズズーッ。針が目の横に差し込まれて奥深くまで入ってきます。グリッグリッ。針が回転する感覚です。あれは何をしているんでしょうねぇ。20年前も同じ感覚がありました。この回転がまた痛くて重い!と言ってるうちに左眼は見えなくなってきました。最初に目玉にメスが入ったひんやりサクッというガリガリ君を食べるような感覚がありましたが痛みはありません。やがて何の感覚もなくなり、完全に見えなくなりました。これで一安心。“麻酔するから痛くはないけど、筋肉を直接触るときは痛いよ”前日に先生がおっしゃったのですが、筋肉いくよーと言われた後も何も感じません。これで大安心。その後はなんと大胆にも僕はいびきをかいて寝ていたそうです。
再び病室に戻ったのは午後4:30頃。その時はすでにうつ伏せです。おやじとおふくろが来てくれてました。一応心配してるんやなと感謝したのですが、後から嫁に聞いたところ“お義父さんとお義母さん、来てすぐに甘いものが食べたいって売店でプリン買ってきてほおばってたで”だそうです。僕はイタイイタイ手術を受けてたんですっ!でも、おふくろは頼んでおいた任天堂DSと脳を鍛える大人のDSトレーニングを買ってきてくれました。明日から脳を鍛えるで。
手術後2時間程度は絶対安静なので身動きひとつとっていません。うつ伏せのありがたくない銅像のようです。もしくは嫁さんに懺悔する浮気夫ってとこでしょうか。
このうつ伏せうつむき生活(以降UU生活と略します)、これが地獄だったのです。麻酔よりも手術よりもこれがまさに地獄でした。思い出すたびに100%満点ブルーに逆戻りします。
まず、寝られない。うつ伏せとは顔も真下に向けて寝なければいけません。そのために病院は痔の人が使うような円形の座布団を用意してくれました。痔布団に顔をごっそりうずめて眠るのです。そんなの寝れませーん!どうしても顔を左右に向けたくなります。でも向ければガスが網膜をおさえつけてくれません。必死に下を向きます。でこや頬骨を鈍痛が支配していきます。ちょっと頭があがった状態になるので腰が反り気味になり痛くなってきます。手術は瞬間的な痛みでしたが、今度はじわじわと体を蝕むような痛みや苦痛との格闘です。
簡単に24時間UU生活と言ってますが、想像してみてください。せっかくテレビはあるのですが、ベッドに座って画面を見ることはできません。テレビを見るときは立ち上がって近くまで行き、うつむきでみなければなりません。そんなこといちいちやってられるはずもなく、テレビはイヤホンで音声を聞くだけの無駄にでっかいラジオになってしまいました。
本を読もうにも左眼はもちろん眼帯をしていますので、右目しか使えません。慣れればどってことないらしいのですが、慣れません!読むのに相当の体力や精神力が必要です。朝から新聞を買ってきて一通り目を通して、DSトレーニングやったら疲れ果ててバテバテです。なので11時くらいからはご飯やトイレ以外はずっとアルマジロのようにうずくまって生きていました。夜も寝られないのでひたすらアルマジロ。体を伸ばして寝ると腰骨のところで血流が止まってしまうのか、太ももがジンジンとしびれます。だからアルマジロ。
夜は眠れません。やっと朝方になって自然に眠りについたと思ったら、毎朝の診察で主治医の先生にたたき起こされます。ちょっと頭が横になっていると“mercyさん、それはうつ伏せじゃないよ!”と怒られます。気分もアルマジロ。どうしようもアルマジロ。
眼帯をしていないほうの顔をクッションやベッドに当てて頭を支えるので、手術をしていない右目の下にまで大きな内出血ができてくる始末。(==)←ちょうどこんな感じ。両目クマ膜下出血状態。
唯一の楽しみである食事も当然うつむきで。しかも病院食なので淡白きわまりない。嫁さんが見舞いに来てくれるときに“ケンタッキー買ってきて!”と懇願しました。そのおいしかったこと!
毎日毎日、仰向けに眠ることを夢見ました。仰向けに寝てテレビを眺めたい。。。
そのうちに思いました。まさに禅の世界やな。これは修行やと思おう。厳しい非日常を経験、継続することにより日常のありがたさを知る。普通の生活のありがたさを知る。修行僧が滝に打たれるように、長時間の座禅を組むように、僕も心を無にしてアルマジロう。

そんな生活が始まってから一週間くらいした頃、僕の精神にも変化がでてきたのです。負の変化ですが。
これまた次回。では。


修行と自堕落 ~診察~

2006-07-28 21:51:28 | 雑記

昨日はサボってしまいました。
さて、前回の続きですが―――
日赤で受診する前に視力検査があったのです。検査士が“今日はどういったことで来られましたか?”と聞くので“左眼の視界の上1/3が欠けてるんです”と言うと“あー・・・ハクッそうですね”と一言告げた後、先輩らしき人のところへ行って小声で“ハクッてるそうです”“え!?ハクりなの?それじゃあ・・・”と話しているのが聞こえました。ハクる。網膜はく離の『はく』と取った業界用語でしょうが、その言葉のあまりにも軽い響きとあっけなさに僕は愕然としました。ハクる。。。一息吹くと飛んでいきそうな軽い言葉です。こっちは100%ブルーで行ってるのにそんな軽い言葉でポンポンと片付けられてしまう自分のちっぽけさに、僕の100%満点ブルーは君の瞳は100万ボルトブルーに格上げです。
気を取り直して、先生の診察を受けました。すぐに“網膜はく離です。今日から入院、明日手術。奥さん一緒に来てる?”一気にまくしたてられました。予想通りとはいえ、まさか入院の用意までしてきたわけではなく、慌てて嫁さんに電話して事情を伝えました。元来、心配性の嫁さんは妊娠8ヶ月のお体に入院グッズを引っさげてドタドタとやってきてくれました。すまんなぁ。看護士さんに病室へ案内してもらい、痛くも痒くもないのにベッドに横になりました。網膜はく離は振動がタブーで歩くことさえもゆっくり歩きなさいと言われました。でも昨日までバスケやらフットサルやってたんですよね~。それはともかく、こうなったら割り切って仕事を忘れてゆーっくり休もうと決心しました。次の日から訪れる地獄の日々も知らずに、幸せなもんでした。
その日の夜に眼科部長から手術内容についての説明を受けました。いわゆるインフォームドコンセントってやつですね。20年前にはこんな説明なかったなと気軽に聞き始めたのですが、部長はのっけから先制のストレートを繰り出してきました。“今回の手術は網膜はく離の手術を1から5までの難易度で表したときの5です。もちろん数が大きいほうが難しい”ボコッ!ストレートがまともにヒット!“mercyさんの目はかなりひどい状況です”バクッ!ジャブがクリーンヒット。僕はすでにふらふらです。“目をシリコンのベルトで締め付けて、硝子体にガスを入れます”ガゴッ。KO寸前!“こういう目の人は未熟児に多いんです、mercyさんは未熟児でしたか?”ボッコーン!!必殺のブーメランフックが見事にヒットし、僕はあえなくマットに沈みました。100%SOかもねブルーに再度格上げです。別に未熟児ではなかったのですが、この一言は全身から力が抜けてヘラヘラ笑えてきて仕方ありません。人間追い込まれすぎると変なことで笑えたりするんですねぇ・・・

と、今日も当然完結せず。
やばい・・・ヘタすると家の話より長くなりそうや・・・
危惧しつつ次回へ!では。


マトンの後遺症

2006-07-26 23:47:29 | 雑記

今日は職場の納涼会で、しこたま飲んで食べました。
マトン食べ放題だったのですが、野菜ばっかり食べていました。野菜は食べ放題ではなく、一皿600円です。高っ!
マトンは食べ過ぎるとちょっとにおいが気になりますが、最初はおいしいですね。脂身も多くないですし。ビールにも合います。合ったので飲みすぎです。
ですので酔っ払ってます。酔っ払いながら更新するのはブログに対する冒涜だと胸に刻みながら、筆を置かせていただきます。
ちなみに、嫁さんの機嫌をとるためのデザートも買うのを忘れていました。せっかくアドバイスしてもらったことさえも酔いのため忘れました。おバカな私は相変わらす学習機能はオプションです。
明日はまた怒られて、謝って終わりです。
あぁ、朝よ来るな。

では。。。ヒック