網膜はく離には衝撃がタブーなので、入院後、2週間ほどの自宅療養をいただきました。入院中の生活に比べると、あまりにも優雅で、楽しい2週間でした。それはまるでUU生活という修行をやり遂げた僕に用意されていたささやかなご褒美のようなものでした。
退院5日ほどした後に息子1号が産まれました。それまでの間は嫁さんとランチ食べに行ったり好き勝手です。ただ、視力が極端に落ちているのでテレビは見にくいし、本は読みにくいしでそれが唯一の難点でした。第3子誕生後は、嫁さんが入院生活に入ったので(僕と同じ病院です)娘2人と僕の3人暮らしになりました。
ここから僕の楽しい楽しい主夫生活が始まります。
朝は子ども二人を起こして朝食(パンとかコーンフレークですが)を食べさせ、保育園に送ります。その後、ちゃちゃっと家の掃除をして自堕落な生活をむさぼります。インターネットや映画見放題生活。昼ご飯はコンビニ。3時くらいから子どもの晩御飯を考え出しますが、料理は苦手(めちゃ時間がかかる)なのでたいていが外食かコンビニで済ませました。でも2回くらいサケを焼いたり味噌汁を作ったりしましたね。ダシパックでしたけど。それから午後5時くらいに保育園に娘を迎えに行きます。娘にご飯を食べさせた後、少し3人でゆっくりしてお風呂。3人でワーワー言いながら入ります。後は寝るだけの状態までできるだけ早くもっていかないと、2号がすぐに寝たいと泣き出すので3人で遊べません。みんなで遊ぶのは楽しいですからね。やがて2人とも眠りにつくのが9時頃です。それからまた、自堕落生活の再開です。午前1時くらいまで、心ゆくまで自分の好きなことをすると眠りにつきます。
こんな生活が約10日続きました。淡々と書きましたが、僕にとってこの上なく幸せな時間でした。娘2人を一人で世話しているという満足感と自分の好きなことを好きなだけできる時間に囲まれて、本当に充実した日々でした。おそらく定年まではあんな時間を二度と持つことはできないでしょう。入院後の2週間は、僕の思い出の中で珠玉の真珠のようにひっそりと輝いています。自堕落な日々ではありましたけどね。
いろんなことを走馬灯のように思い出しました。入院中に娘の保育園の運動会があり、うつむき限定で先生が見に行ってもいいって手術前は言ってくれたくせに、いざ運動会の前の日に行きたい!と相談するとハナにもかけずに許可しなかったこと・・・
入院中に嫁さんが出産することがあれば、同じ病院なので立ち会ってあげなさい。ただしうつむきで。と、どうやって立ち会うねん!と突っ込んだこと・・・
今でもうつぶせになるとあの日々を思い出します。そして、仰向けに寝られることを感謝します。日常の当たり前が、どれだけ貴重なものなのかを忘れないようにしたいですよね。
というわけで、衝撃に弱い網膜はく離になったのでバスケットはできなくなった、というかやるのが怖いのです。え!?なんのことかって?それはこのシリーズ第1回目の『兆候』を読んでください。長い説明でした。ここまで読破された方(皆無でしょうが)お疲れ様でした!
では。