カレンダーの使い方

2009-01-31 01:32:28 | インテリア
我が家が足繁く通うインテリアショップで、
5千円以上買い物してプレゼントされたもの。

写真立てを兼用できるカレンダー。

カレンダー部分がフィルムで覆われていて書き込むことができず、
カレンダーとしてはとても使える代物ではありません。
でも。

カレンダーの背中が北欧チックなテクスチャーデザインとなっていて、
飾り物としては悪くありません。
なので、AVボードの上に置いています。

・・・・・・・。

それだけです(汗)
では。


読書感想文12 ~容疑者Xの献身~

2009-01-29 19:51:11 | 
東野圭吾氏の作品を読むのは、3年ぶりくらいになるでしょうか。。。

どうして氏の作品を読まなくなったのか、よくわかりません。
最後に読んだ作品は『手紙』だったと記憶しています。
プロットのしっかりした作品で、感動したのを覚えています。

この作品には“ガリレオ”というあだ名を持つ湯川学という物理学者が登場します。
最近、人気のシリーズのようですね。
連続ドラマにもなってましたし。
あまり興味は湧かなかったですが。
それから湯川の同級生で親友の警視庁捜査一課に所属する草野刑事。
図らずも殺人を犯してしまった花岡靖子とその娘。
殺人を犯してしまった母娘を守るために2重、3重に捜査をかく乱する罠を仕掛ける隣人の石神。
彼は湯川の同級生で、数学者としての天才という名をほしいままにしていた学生だが、
ある理由から失意の中、高校数学の先生をしている。

いわゆるどんでん返しモノの小説。
その手法は見事としか言えません。
天才数学者の仕掛けた罠に、警察は見事にはまってしまいます。
その罠に気付くのはガリレオと称される物理学者湯川のみ。
天才の考えることは天才にしか解き明かすことはできないのでしょう。
東野氏の巧みなストーリーテリングに導かれて、
読者は心地よい“やられた感”を味わうことができます。


ところで、東野氏のどんでん返し作品はこれまでに数多く発表されています。
僕もいくつか読みました。
でも、どうも引っ掛かる一文がありました。
刑事が事件の核心の一歩手前まで近づいたときに出てくるのです。

“○○(刑事)は信じられないような考えにたどり着いた。
しかし今は、その考えは胸の中にしまいこんでおくことにした。”

もちろんこの通りの文章ではありませんが、
これに類する意味の文章が出てくるんです。
で、この“信じられないような考え”こそが恐らく、
どんでん返しの真相を見抜いているのでしょう。
具体的な作品名は、
ゴーストライターをテーマにした“悪意”しか思い出せませんが、
少なくとももう1作品に同様の表現があったと記憶しています。
この表現、違和感がありました。
デキる刑事がどんどん核心に迫っているのに、
その思考の中で出てきたひとつの可能性を、
自分で消してしまうことなんてあり得ないでしょう。

ここで天才物理学者ガリレオこと湯川学が登場するのです。
警察官が自問自答する展開ではどんでん返しの見せ方にどうしても無理が出てしまいます。
なのでいっそのこと、警察官でないが警察官の近くにいて、
どんでん返しを見事に解き明かしてくれる存在が必要だったのではないでしょうか。
そんなニーズがあって湯川学という人格ができあがったのではないかと思います。
だから湯川学の職業は警察官では意味がないのです。

もうひとつこの考察の根拠ですが。。。
この“容疑者Xの献身”はそれぞれの登場人物の視点で描かれています。
そのほとんどは、容疑者である花岡靖子か隣人の石神か刑事の草薙の視点です。
つまり、湯川を“見る”立場の人間から湯川の一挙手一投足が語られるのです。
だから湯川の考えていることは湯川が説明しない限り、よくわかりません。
ところが、作品に頻繁に登場する湯川学の視点で書かれている文章はほとんどありません。
いや、厳密に言うと石神と話しているときには出てくるのですが、
それとてたったの2回だけ、石神の天才ぶりを引き立たせるためです。
これはつまり、湯川学の視点で書いてしまうと、
どんでん返しの核心についても触れざるを得ないからだと思われます。

以上、“東野氏が天才物理学者ガリレオを必要とする理由”でした。

・・・・・・・あ。

これは“容疑者Xの献身”の読書感想文やった。

こんな深読みや洞察しながらの読書ではないんですよ。
そのストーリーの魅力ゆえ、無駄な思考は一切停止して夢中で読みました。
で、心地よく“なるほどなぁ”と石神の罠の深さに感嘆した次第です。

なんだか久しぶりにドーンと来るミステリーを読みたくなりました。
ずっと前に酔っ払いながら買った高村薫氏の『レディジョーカー』、未だに読んでないのです。
1ページ目をめくるのに心の準備が必要なんですよね。
では。


無印良品のサイドコンセントタップ

2009-01-28 20:31:56 | インテリア
嫁さんが買ってきて、しばらくは興味なかったのですが、
使えそうなので色々試してみました。
無印良品のサイドコンセントタップ。

コンセント周りはどうしてもゴチャゴチャしちゃいますよね。
テレビの後ろやパソコン・プリンタの後ろなんてのはひどい状況になっちゃいます。
少しでもスッキリさせたい、
もしくは見せなくしたいというのは誰もが考えることじゃないでしょうか。
mercy邸でもできるだけスッキリできるよう検討しました。
AVボードなんて、そのために規格外の穴を開けたくらいです。
パソコン設置スペースにはコンポニビリという収納アイテムを購入し、
コンセントやコードが見えなくなるようがんばってます。

でも、コンセントを使用する機器の設置スペースの関係で、
どうしても隠し切れない場合も出てきています。
例えば。。。

ここ。
1Fリビングでハイブリッド加湿器を置いている場所。
こうやって見てみると、加湿器を左に移動すれば?と思えるのですが、
加湿器は蓄暖の横に設置しているので、
コンセントの前に移動すると不自然な隙間ができちゃいます。
こんなときに、この無印良品のコンセントタップを利用すれば。。。

立体的な出っ張りが少なくなった分、すっきり見えるでしょ。
でも、目的はこれだけではありません。
完全にコードの存在を隠すために。。。

こうやって絵本なんかを飾るのです。
ほら!ここにコードがあるなんて誰も思わないでしょ。
横から差し込むタイプのコンセントタップだからこそできるのです。
さらに、アルミの質感もいいので、チラ見えしていても気になりません。

ということで、さっそくパソコンスペースにも導入です。
内壁からボコッとコンセントが出ていたので、
コンポニビリの置き方にも苦労していた部分。

こうやってすべてのコンセントを横差しにすると立体的じゃなくなって、

コンポニビリを置くと、ほ~らこのとおり。
すっきり爽快です。

 


・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・。

でも、これってコンセントタップは見えてません。
つまり、その辺のホームセンターで売っている横差しのタップで充分で、
わざわざ無印のアルミコンセントタップである必要はない、ということですよね。
最初の絵本で隠した画像も、
もう少し横長の大型絵本を用意して、コンセント自体を覆ってしまえば、
無印のコンセントタップである必要はありません。

今まさに記事を書きながら、この驚愕の事実に気付いてしまいました(汗)
記事の存在意義をすべて打ち消してしまいそうな事実。。。
ここまで書いた文章は何だったのでしょう?
『横差しのコンセントタップがあれば、ゴチャゴチャしたコンセントが隠しやすいですよ』
この1行で終われたテーマだったということです。

・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・。

なのにこんな長文を読ませて、申し訳ありませんでした。
心からお詫び申し上げます。
せっかく書いたので“いてまえ!”でアップさせていただきます。
では。


子どもと父の日曜日 ~劇場映画鑑賞~

2009-01-27 19:01:36 | 子育て
先日の日曜日、子ども達3人と一緒に映画を観てきました。

もちろん、嫁さんはお仕事。
がんばって稼いでや。

きったない外壁ですな

ここの、

ここで、映画鑑賞です。
4人での劇場鑑賞は初めての試みなので、
作品的に、ジャリ男をターゲットにした映画をセレクトする必要がありました。
1号が飽きたとしても誤魔化しは利きますが、
ジャリ男が飽きてしまったら、途中退出しかできなくなりますから。

そんな事情があって選んだ映画がこれ。
ちょっとゴーオンレッドの顔が照り返しで見えていませんが、
ゴーオンレッドがハゲているわけではなく、館内照明の関係です
『ゴーオンジャーvsゲキレンジャー』
VSとなってますが、別に両者が相まみえるわけではありません。
どちらも正義の味方ですから。
両者が協力して、強大な敵をやっつけるお話です。

ゴーオンジャーは子ども達が毎週楽しみにテレビを見ているのですが、
ゲキレンジャーは全員馴染みがありません。
ゴーオンジャーの前に戦隊シリーズとして君臨していたようですが、
その程度しか僕ら4人には認識がありませんでした。

映画が始まると、ジャリ男はもちろん、
1号も2号もスクリーンに釘付けです。
1号なんかは夢中になりすぎて、
“ヨゴシュタイン(ゴーオンジャーの悪役)ってこないだ死んだのに出てきてるな”
と空気を読まずに大声で僕に話しかける始末(汗)。
2号は持ち込んだマーブルチョコレートを手に長い間持ちすぎて、
映画が終わると手と服がチョコレートで黒く汚れている始末(汗汗)。
それだけ熱中している証拠でしょう。

映画はさすが子ども向けです。
シンプルなストーリーと早い展開と爽快なラストが用意されていました。
上映時間も55分と適切な時間設定です。
聞くところによると、制作会社が別の映画を製作していたけど、
その映画が上映できないことになり、
Vシネマとして製作されていた本作が代役として劇場上映されたとか。
戦隊ヒーロー適齢期の子を持つ親としてはラッキーですよね。
テレビでしか見られないはずの映像が、スクリーンで見られたんですから。

個人的に何より嬉しかったのは、
G3プリンセスが銀幕で見られたこと(苦笑)。
ライブだけあって恥ずかしそうにしているプリンセスがかわいいんですよね~。
そんな中でも堂々とケガレシアを演じていた及川奈央はさすが!
・・・・・あ。ものすごく理解不能なネタで失礼しました。

そんなこんなで無事、3人は最後まで楽しく鑑賞してくれた次第です。
映画は・・・使えるなぁ。
鑑賞後に色々と感想を語り合えるのもGOOD。
帰りの車の中ではゴーオンジャーとゲキレンジャーについて、
大盛り上がりでみんなで話すことができましたしね。
まさに大人も子どもも楽しめるエンターテインメントですな。
これに味をしめて、次は。。。

コレにしよっかなぁ。
でも、ジャリ男にはちょっとつらいかな。

コレは使えそうやな。
そのためには第1作も見とかなあかんな。

コレならジャリ男も大丈夫でしょう。
アクション満載やからね。
でも、ヘンに製作者側がリキを入れてしまって、
小難しい作品になってる危険性はあるな。

こういうちょっとしたプレゼントって子ども達は大喜びしますよね。
そのわりに、家に帰る頃には興味なくなっちゃってますけど。
子どもが大きくなるにつれて、楽しみの可能性も広がります。
父親が一緒に楽しまなくて、誰が楽しむというのしょう。
では。


HermanMiller:ETRT(エリプティカルテーブル)

2009-01-26 20:49:04 | “モノ”リスト
mercy邸の縦長(横長とも言える)リビングに合うテーブルが欲しいんです。

つまりは長いリビングテーブル。
新築計画段階で長いリビングになると決まったときから、
ずっと狙っているリビングテーブルがあります。

Eames Elliptical Table ETRT(イームズ エリプティカルテーブル イーティーアールティー)

それがこれ。
チャールズ&レイ・イームズによるデザインのあまりにも有名なテーブルです。
1951年にデザインされたETRT(ELLIPTICAL TABLE)。

通称サーフボードと呼ばれる2m20cmのこのテーブルは、さまざまな形を経て現在の姿になりました。
デザインのきっかけとなったのは、イームズ夫妻が30年以上も暮らした、
サーフィンの聖地としても知られるカリフォルニアのヴェニスビーチではないかと考えられています。
床に座ってのパーティに最適。
(出典:hhstyle)

幅が75㎝で長さが220㎝ですよ。
細長いにも程があるテーブルです。
シェルチェアーと同じく、スチールの足がステキ。
それにしても220㎝は長すぎるんじゃないの?と思われるかもですが・・・・

ほらね。
画像のテーブルはそれぞれ90㎝と120㎝なので、合計210㎝になります。
ETRTは220㎝ですが、楕円形なので圧迫感としてはこの画像よりも小さいと思われます。
ね!?mercy邸のリビングにはサイズ的にピッタリでしょ?
たくさんの子どもが遊びに来ても、
ワイワイガヤガヤとたくさんの子どもが並べそうです。
お友達を招いての誕生日パーティなんてことも、そのうちあるかも知れません。
ま、今のままでも同じ効果は期待できるでしょうが・・・。

でもね。
やっぱり高いんですよ、値段が。
税込みで129,150円ナリ。
テーブルに・・・13万は・・・ちょっと出ないですねぇ。
ダイニングテーブルとチェアーのセットならわからなくもないですが。。。


ちなみにこのETRTも、当然ながらリプロダクトで製品化されています。
オリジナルは長すぎるので、リプロダクトと同時にリサイズもされています。
全長が180㎝で、価格も5万円まで。
あぁ。。。。悩ましい。

個人的な希望として、どうせ買うならオリジナルが欲しいと思うのです。
そりゃ、プレゼントでいただくならリプロダクトでもOKなのですが、
せっかくお金を出すなら、オリジナルにこだわりたい。
貧乏人がエラそうに言えないんですけどね。。。

今はFrancFrancのダイニングテーブルがちょうどいいですね。
子どもが落書きしても気にならないし、
上に乗って踊っていても礼儀作法的にはNGですが、モノ的にはOKですから。
高いテーブルを買うと、それなりに気をつかわさなきゃならなくなっちゃうのが、
ちょっとねぇ。。。。というのは買えない人の言い訳です。
では。