”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

お祝いの日のシーフードペペロンチーノ

2012年09月01日 20時59分43秒 | 家パスタ
いよいよ9月1日になった。
この日の我が家の夕食は、ゲストを招いてお祝いの食事であった。

妻が腕をふるったのは、シーフードペペロンチーノ



トマトの酸味とエビ、イカ、アサリがふんだんに使われた豪華版は、唐辛子とアンチョビが効いていた。

茄子の辛味噌炒めにキュウリのヨーグルトサラダ(ギリシャ風)



辛味噌は、紫蘇南蛮の甘め味、ギリシャ風は、ニンニクが効いている。

ピーマンとシメジのかき玉スープ



と気合いの入ったものだった。

暑い夏もようやく収まるかといったところだが、いよいよ食欲の秋到来。

でも、太りすぎないよう注意はしたいと思っている。


再びマルちゃんヌードル、しかも坦々麺と・・・

2012年09月01日 09時05分57秒 | 外食その他
チーズサンドが、8月31日の昼食だ。
チーズサンドにカップ坦々麺。
無理があるかもしれないが、これでチーズ坦々麺だ。



坦々麺は、辛さがきつくなく万人向けの味である。
実は、ボクは密かにこのマルちゃんヌードルシリーズのファンになりつつある。

カップ麺でしばしば問題となるのは、スープの後始末。
この形態のカップ麺は、スープの量が少ないので飲みきるのに苦労はしない。
さらにお湯を注ぐだけのスタイルは、かやくやスープの袋の始末が不要。
カップも蓋も紙製なのでゴミとしても始末が楽。
・・・・・というわけで、今マイブームなのである。



ある老舗中華店の閉店に思うこと。

2012年09月01日 07時42分46秒 | 地域
僕の街で,昭和23年から営業を続けてきた老舗中華店が8月31日に閉店した。
店主の健康上の理由ということだが,僕の街ではこうした店は,後を継ぐ人がいないためにやむなく閉店する飲食店が多い。
これも,少子高齢化が大きな原因かもしれないが,3Kを嫌う風潮も大きな要因だ。
今の社会では,技術を伝承することがかなり難しくなってきている。
たかが,ラーメン類といえども食材会社の出来合いを利用する店ならまだしも,昔ながらのやり方で作り上げる工程を重視しているところはなおさらだ。
おそらく,修行というほぼ死語に近い意識が薄れる現代日本ではもはや止めようのない傾向なのかもしれない。
この店の店主は2代目,先代は僕の街のラーメン界を牽引した台湾人の人たちの一人だ。
特にこの店で一番人気の「かけチャーハン」はあんかけチャーハンの態様だが,その餡の味が独特。
微妙な甘みや香りを具備したもので他の店でこのような餡を出すところは記憶にはない。
閉店の報を聞きつけた僕は,最後にもう一度とおもったが,閉店の報を聞きつけたマニアやにわかファンの作る行列のため断念せざるを得なかった。
どこの地方都市でもこのように地域密着の老舗の閉店の流れは止めようもないかもしれないが,僕としては自分の街の行く末を暗示するものとして考えている。
僕の街では,中心市街地(もはやそうは呼べない地域だが)の活性化を進める取組を行政が取り組み始めたが,おそらく失敗に終わると思っているからだ。

もうひとつ,この店に対しては個人的な郷愁がある。
おそらく昭和40年代の初めの方と思うが,よく親に連れられて食べに行った記憶がよみがえる。
当時は,ラーメンがひとつのご馳走で,おそらく台湾人がつくるものが本物かと信じられていたせいもあるが,この店のラーメンは他とは違うというのが定説だった。
でも,今思えばそんなたいそうなものではない。
麺ゆでの時間は極端に短く,玉状になったまま提供,チャーシューはなんと角ハムを三角にスライスしたものだったと記憶する。
だが,日常と違うものを食べることへの喜びがこの程度のものでも満足させたのだ。
現代は,飽食の時代,選択肢は無限にひろがり,ラーメンはご馳走ではなくなった。
かつて,男性が仕事の合間や帰りがけに食べるのが主流だった時代から,女性がおしゃれに楽しむ時代に変わった外食。
こうした点も,老舗の存続を脅かしているのかもしれない。

僕はラーメンについていえば,それは「瞬間の美学」だと思っている。
麺がのびないうちに食べ終えるという物理的な問題もさながら,食べているひと時だけが安堵の時間という刹那的で屈曲した精神世界そのものかもしれない。
この店だった「かけチャーハン」,賑わう店内で,熱々のものを急いで食べる瞬間の美学。
冷めたかけチャーハンを食べた記憶は僕にはない。きっと旨くないかも・・・

店の名前は,通称「汪(わん)さん」と呼ばれていた。