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昔の人はどんな気持ちで月見をしていたの? (子供のための年中行事解説)

2021-09-02 07:26:39 | 年中行事・節気・暦
昔の人はどんな気持ちで月見をしていたの? 
 日本人は、春の朧月(おぼろづき)、夏の涼しげな雲間の月、秋の澄みきった鏡のような月、冬の凍っているような月というように、四季それぞれの月の美しさを知っています。その中でも秋の名月は特に美しいものとされ、いわゆる「お月見」が行われています。しかし昔の人にとっては、現代人とは比べものにならない程に月をながめる機会が多いものでした。それは月の満ち欠けに基づいた太陰暦が用いられていましたから、月の形を見れば、暦を見なくてもおよそ何日頃ということがわかったからです。要するに、昔の人にとって月はカレンダー代わりであり、とても身近な存在だったのです。

 『万葉集』には月を詠んだ歌が約200首もあるのですが、季節がはっきりとわかる歌は多くはありません。また月見の宴があったことは確認できず、恋に関わって月を詠んだ歌が多いことに特徴があります。『万葉集』の時代には、秋の名月を特別に愛でるいわゆる「月見」の風習はまだ始まっていませんでした。
 平安時代になると唐の観月(月見)の宴にならって、宮廷の行事として観月の宴が開かれるようになります。藤原良房が活躍した9世紀中頃の文徳天皇の頃には始まったと推定され、文献上はそれよりやや後の、『日本紀略』という歴史書の延喜九年(909年)に、宇多法皇の観月の宴を確認することができます。宮中の行事として行われたことは、そのまま貴族の私邸でも模倣されたことでしょう。『源氏物語』には秋の名月を愛でる場面がたくさんあります。

 現代人は月を眺めてその美しさに心を奪われ、素直に感動するでしょうが、普通はそれ以上でもなくそれ以下でもなさそうです。しかし平安時代以後の人たちの月の理解は、現代人には想像も付かない程に実に豊かなものでした。それは当時の和歌から読み取ることができます。自ら澄みきっているだけでなく、見る人の心も澄んだものにしてくれる清らかな月。極楽浄土が西の彼方にあると信じられていたため、極楽浄土に往生したいと願う人があこがれる、西の山の端に沈む月。年を重ねて老いる人に比べて、満ち欠けしつつもいつも変わることなく照っているので、世の無常や老いを嘆かせる月。昔に見たのと変わることがないため、昔を懐かしく思い出させる月。空ばかりではなく、水面に映り水底にもすんで(住んで・澄んで)いる月。古くからの月の名所には、水に縁のある所がたくさんありました。葉末にすがる夜露をきらりと光らせる夜露に宿る月。離れた所で同じく月を見ている人が映るのではないかと思わせる鏡の様な月。天の川や雲の波に浮かぶ舟に見立てられる月。故郷を思い起こさせる異郷で見る月。夜空を渡る雁を照らす月。木の間から月影が漏れ来る月。不老不死の世界にあこがれさせる月など、実に様々です。かぐや姫の物語(竹取物語)では、月が不老不死の不思議な国として描かれていることは、誰もが知っていることでしょう。

 その『竹取物語』には、「月を見ることは、あえて避けるべきことである」という理解もあったことが記されています。『源氏物語』の宿木の巻にも、「月見るは忌みはべるものを」と記されています。その理由ははっきりとはわからないのですが、『古今和歌集』の「おほかたは 月をもめでじ これぞこの 積もれば人の 老いとなるもの」という歌にヒントがありそうです。「そもそも月を愛でることはするまい。月が積もり積もれば人の老いとなるから」という意味なのですが、暦では月の満ち欠けによって月数を数え、それがさらに重なって年数えるので、人は月を見ながら老いてゆくことになるからでしょうか。とにかく老いにつながるので月を敢えて見ないというわけです。月を見ると寿命が短くなるという理解は、唐の詩人白楽天の詩集『白氏文集』(はんしもんじゅう)にも見られます。『白氏文集』は当時の文化人なら暗記をしている程の基礎教養でしたから、そのような理解は共有されていたとみてよいでしょう。

 現代の子供は幼いときに、月には兎がすんでいると教えられます。これはもともとは中国の紀元前3世紀にはそのように信じられていたことが起源で、日本では7世紀初めの聖徳太子の頃から知られていました。聖徳太子の死を悼んでお妃の一人が作らせたカーテンの刺繍(中宮寺蔵、天寿国繍帳)に、兎のいる月と壺が縫い取られています。その壺の中には、おそらく不老不死の仙薬が入っているのでしょう。
 また兎と猿と狐が行き倒れの老人を介護しようとして、兎が自分から焚き火に飛び込んで死んでしまい、それを哀れんだ老人が、実は帝釈天(たいしゃくてん)という神だったのですが、兎を抱いて天に帰り、月にその姿をとどめさせたという話を、きっと聞いたことがあるでしょう。この話は仏教的な説話で、もともとは日本のものではありませんが、平安時代末期に編纂された『今昔物語集』に収められています。「うさぎうさぎ 何見てはねる 十五夜お月さん 見てはねる」という童謡は江戸時代の文献に記されています。ただしメロディーはわかりません。このように月に兎がいるという理解には、古い歴史があるのです。

 秋の名月を観賞する月見の起原について、一般の解説書には実に様々な説が見られます。「稲や芋の収穫感謝のために月を眺めた」という説が多いのですが、秋の月見の宴が始まった平安時代には、そのようなことを示す文献史料は何一つありません。月が豊作をもたらす神であるという信仰は、日本にはありませんでした。そもそも昔の稲刈りは現代よりかなり遅く、旧暦8月15日ではまだまだ収穫前です。近現代の古老がそのように話していたということはあるでしょうが、それが月見の起原ではありませんし、歴史的な理解ではありません。「起原」というからには、少なくとも平安時代以前までさかのぼれる根拠がなければならないのです。もちろん現代の月見で、収穫を感謝する心で月を眺めるのもよいでしょう。しかし私達の祖先達が知っていた、もっと豊かな月を見る心を再確認しながら、月を眺めてみませんか。