うたことば歳時記

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月見には何をお供えするの?(子供のための年中行事解説)

2021-09-05 06:57:18 | 年中行事・節気・暦
月見には何をお供えするの?
 古い時代の庶民の月見がどのようなものであったかは、史料がほとんどないのでよくわかりません。しかし江戸時代になると多くの文献史料が残され、月見に供えるものまでよくわかるようになります。主役は月見団子です。団子を供える理由については、十五日の望月(もちづき、満月)であるので、丸い餅の団子を供えたと理解するのが自然ですが、文献史料の裏付けがあるわけではありません。その他には里芋やすすき(芒・薄)を供えるのが最も一般的でした。江戸時代の『俳諧歳時記』(1803年)という書物には、「御神酒(おみき)と尾花(すすき)を月に供え、団子と芋と豆を盛り、またそれを互いに贈り合う。また必ず芋を食べるので『芋名月』という」と記されています。この場合の「芋」は里芋のことです。「衣かつぎ」(正しくは「衣被き」・「きぬかづき」であって、「衣を担ぐ」わけではない)にして食べることもありました。これは小さな里芋の皮をむかずにゆで、皮をつるりとむいて味噌などをつけて食べます。『長崎歳時記』(1757年)には里芋と共に「琉球芋」と呼ばれた薩摩芋の煮物を供えると記されていますが、これは九州ならではのことなのでしょう。
『守貞謾稿』(もりさだまんこう)という江戸時代末期の風俗解説書には、江戸・京・大坂の月見の様子が詳細に記されています。「江戸では、机上にすえた三方に団子を盛り、また必ずすすきを生ける。千日紅などの秋草を添えることもある。京・大坂では机の上の三方に団子を盛るのは江戸と同じだが、団子の形が(里芋の)小芋のように片方を少し尖らせるようにこしらえる。そして豆粉(きなこ)に砂糖を加えて団子にまぶし、醤油で煮た小芋と一緒に、12個を盛って三方に盛る。閏月のある年には13個を盛る」、ということです。十五夜にちなんで、江戸時代には15個供えることもあったようです。「大家から鉄砲玉が十五来る」(『誹風柳多留』12-17)という川柳がありますが、けちな大家が店子(たなこ、長屋の住人)に配る月見団子が「鉄砲玉」のように小さいと皮肉っているのです。『東京年中行事』(1911年)では、15個となっていて、現在でも15個供えることが多いようです。もっとも江戸時代の団子は、絵図で見る限りは、一つが直径5㎝から握りこぶし程の大きさがあります。
 近現代の月見団子は地域差がとても大きく、とても一くくりにはできません。関東から中部地方にかけては、白く丸い形が広まっています。葬儀用の枕団子と同じようにならないように、真丸ではなく少し押しつぶした形もあります。富山から新潟・山形の日本海側には、あん入りの白い団子、京阪地方では里芋のように片方が少し尖った形をしています。このことは『守貞謾稿』に記されているように、江戸時代以来の伝統です。ただ現代ではその上にあんがのせられています。四国・瀬戸内地方では、団子を串刺しにして供えるとのことです。
 団子の他には、江戸時代にはすすき(芒、薄)を供える地域もありました。年中行事の解説書やネット情報には、すすきは月の神を招くための依代(よりしろ、神霊を招き寄せるための目印)であると説明されています。また茎が中空のため、神が宿るとか、すすきの鋭い切り口が魔除けになるとか、収穫にはまだ早い稲穂に見立てるなど、さまざまな説がとなえられています。また月は豊作をもたらす神として信仰されていたので、稲穂に見立てたすすきを供えると説明されることがあります。しかしそのような理解があったことを示す文献は、江戸時代の主な歳時記・年中行事の解説書や辞書類には何一つありません。そもそも日本では月が豊作の神であるという信仰はありませんでした。古老がそのように言っていたという可能性はありますが、歴史的文献の裏付けはありません。おそらくは誰かがもっともらしく解説したことが、根拠の確認もしないで垂れ流された結果なのでしょう。
 さて「すすき」を知らない日本人はまずいないでしょうが、実はこれがかなり怪しいのです。本人はすすきと思っていても、そっくりのおぎ(荻)である場合がとても多いからです。荻という字は荻野・荻原・荻窪・荻島など、人名にはよく見られるのですが、植物としてのオギを正しく知っている人は少ないのではないでしょうか。
 オギは河川敷や水田の近くなど、湿地に近いところに群生します。しかしススキはそれより乾燥気味の所に株立ちして生育します。またオギは長い地下茎を縦横に伸ばし、あたり一面に所狭しと群生しています。それに対してススキには発達した地下茎がなく、株を作って繁茂します。一面に生えているように見えても、株ごとに独立しているのです。そういうわけで、生えている場所と、株立ちするか否かで、100m離れた所からでも識別できます。ところが穂を1本採ってきて見せられると、別の方法で識別しなければなりません。しかしこれも簡単です。穂は長さ1㎝にも満たない毛針のような小花が連なってできていますが、それをルーペで拡大して見ると、ススキには1本だけ長いのぎ(禾)があるのに対して、オギにはそれがありません。次回のお月見では、ススキかオギかよく観察してみましょう。
 現代の月見でも、月見団子を供えるでしょう。数は月の数である12でも、十五夜にちなんで15でも、どちらでもよいでしょう。形には地域独特の風習があるはずです。もちろん江戸時代以来のススキも供えましょう。ススキがなければオギでもよいでしょう。他には秋の風情を感じさせる秋草もよい。また里芋や栗や柿や枝豆など、季節の農作物をお好みで供えます。子供は飲めませんが、御神酒を供えてもよいと思います。