うたことば歳時記

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高校生に読ませたい歴史的名著の名場面  小学唱歌集  

2020-05-05 11:45:25 | 私の授業
コロナ騒ぎで私の勤務校も休校となり、非常勤講師の私は授業がありません。それでプリント作りをしているのですが、どこにも出かけられず、かといってテレビを見るような暇つぶしは性に合いません。それでいずれ授業で配ろうと思い、「高校生に読ませたい歴史的名著の名場面」と題したプリントを書こうと思いました。本当ならば全文を読ませたいのですが、まだ古文漢文に不慣れな高校生にはとてもできません。それで面白そうな場面だけを引用しているわけです。

 あくまでも高校の日本史の授業の補足として書いているので、一般の人から見たら不十分なことはあるでしょうが、古典文学の専門家ではありませんのでお許し下さい。誤植・誤読・誤写・誤解があるかもしれませんが、見直す元気はあまりありません。それもお許しを

今回は一風変わって、日本最初の音楽の教科書を選びました。ここに取り上げた「庭の千草」と言う歌は、現在も多くの人に歌われる名曲ですが、なぜかその本当の意味はもう忘れられています。詳しくは「うたことば歳時記 庭の千草の秘密」と検索して下さい。

小学唱歌集
原文
    菊

一 庭の千草も。むしのねも。
  かれてさびしく。なりにけり。
  あゝしらぎく。嗚呼白菊。
  ひとりおくれて。さきにけり。

二 露にたわむや。菊の花。
  しもにおごるや。きくの花。
  あゝあはれ 〳〵。あゝ白菊。
  人のみさをも。かくてこそ。

現代訳
    菊

一  咲き乱れていた多くの草花もかれ、 虫の声も聞かれなくなり、
   誰もいなくなってしまった寂しい庭に、
   ああ白菊よ、 白菊の花よ、
   お前もただひとりのこされて、 咲いているのか、

二  なみだの露にはうな垂れる、菊の花
   しかし辛い霜には、 負けることなくけなげにも咲く菊の花
   ああ、何といじらしいことよ、ああ白菊の花よ 
   人のこころも、このようにありたいものだ

解説
 『小学唱歌集』は日本最初の音楽の教科書で、初編は奥付では明治14年(実際には15年)、第二編は明治16年、第三編は明治17年に発行されました。編集したのは明治12年に設けられた音楽取調掛で、中心となったのは掛長の伊沢修二でした。彼は明治8年にアメリカに留学して音楽教育を学び、明治11年に帰国します。そしてアメリカで師事したメーソンを日本に招聘し、『小学唱歌集』を編纂したのです。
 編集の基本方針は、「東西二洋音楽ヲ折衷シテ新曲ヲ作ル事」でした。もちろん日本にも伝統音楽はあります。しかし雅楽と俗謡の二極に別れていて、どちらにせよ学校教育にはふさわしくありません。そこでメーソンの助言もあり、西洋の楽曲に日本の歌詞を付けて、新しい和洋折衷の唱歌をたくさん作ったのです。そのため原曲の中にはキリスト教の賛美歌曲や欧米の民謡がたくさん採り入れられています。全91曲ある中で、現在でもよく知られている「蛍」(蛍の光)はスコットランド民謡、「見わたせば」(「むすんでひらいて」の曲)はアメリカの賛美歌、「蝶々」はドイツの曲、「あふげば尊し」はアメリカの卒業の歌、「菊」(「庭の千草」)はアイルランドの曲から採られています。
 ここに引用したのは「名場面」というよりは「名曲」と言うべきでしょうか。「菊」は第三編に収められていて、現在は「庭の千草」という題でよく知られています。
 一般には冬枯れの庭に咲き残った白菊を歌ったものと理解されていますが、実は伴侶に先立たれた人を励ます歌でもあるのです。歌詞は、孤独な晩年を「夏の最後の薔薇」になぞらえたアイルランドの『The Last Rose of Summer 』という歌を、里見義が日本語に翻案したものです。
 1番の歌詞の「かれて」とは表面上は「枯れて」なのですが、「遠ざかる」ことを意味する「離(か)れて」を掛けています。また「おくれて」は表面上は「遅れて」なのですが、「誰かが先に死んで取り残される」ことを意味する「後れて」を掛けています。ですから全体の意味は、共に咲き集った花や虫、つまり愛する者や友が一人去り、二人欠け、ついには独りぼっちになってしまったことを表しています。
 2番の歌詞の「露」は涙の比喩、「霜」は艱難の比喩です。この場合の「おごる」は驕り高ぶることではなく、強いものにも負けずに毅然としていることを意味していて、漢字では「傲る」と書きます。霜にも負けずに咲いている菊は、古来中国でも日本でも好んで詩歌に詠まれるテーマでした。ですから2番は、取り残された寂しさに涙がこぼれますが、人生の冬の厳しさには毅然と立ち向かって健気に生きる姿を表しています。そして亡くなった愛する人への一途な心も、この白菊のようでありたいものだと結んでいるのです。
 小学生にはそこまで深読みさせるのは無理なことです。表面の意味である冬枯れの庭の風情でさえも、小学生には難しいかもしれませんが、いずれ相応しい年齢になればわかることでしょう。裏に隠された意味については、現代の成人にもほとんど知られていません。こちらはそのような年齢と立場に置かれれば、あらためてしみじみと歌えることでしょう。

テキスト
○「国会図書館デジタルコレクション『小学唱歌集』第三編」を検索、34コマ目


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