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土師器と須恵器の色

2015-06-30 13:38:25 | 歴史
 大和時代の文化で必ず学習する土師器と須恵器ですが、土師器は赤褐色、須恵器は灰色と説明されます。しかしその違いがなぜ生ずるのかについては、全く説明されません。色の違いにこそ技術的に決定的な相違があるのに、なぜ教科書は触れようとしないのでしょうか。また教える先生も、なぜ色が異なるのか疑問に思わないのでしょうか。教職40年の「先輩」として言うならば、そのことを疑問に思い、さらになぜ異なるのか自分で探求することをしない先生の授業は、面白さという点であまり期待できません。教える者が常に探究心を持って研修するからこそ、学習することの楽しさを伝えることができると思っています。考査に出題されるので、生徒はただ機械的に「土師器は赤褐色、須恵器は灰色」と暗記するだけです。教える授業者も、その相違の意味していることを、どこまで本当に理解しているか怪しいものです。事実、私自身も陶芸教室に参加して、還元焼成と酸化焼成により、仕上がりの色が全く異なることを体験するまでは、知らなかったのです。

 粘土の中には必ず鉄分が含まれていますが、粘土で形を作った土器を焼くと、粘土の中の鉄が酸化されて酸化第二鉄となります。酸化第二鉄とはいわゆる赤錆のことですから、よく焼き上がった土器は赤褐色になるのが普通です。土師器は弥生土器と基本的には同じ作り方で露天で焼きますから、酸素が十分に供給され、赤褐色になるのです。これを酸化焼成と言います。また露天で焼きますから、熱はどんどん逃げてしまい、どれ程長時間焼成しても、温度はある一定以上は上がりません。せいぜい800度くらいでしょうか。

 しかし朝鮮半島から伝えられた新しい技術による須恵器は、露天ではなく斜面に築かれた穴窯で焼きます。簡単に言えば、半地下の巨大な煙突の中で焼くと思えばよいでしょう。閉鎖された窯の中で焼きますから、何日も継続して焼成すれば、窯の中の温度も千度以上になります。そして須恵器を焼く場合、最後の最後に焚き口に大量の薪を投入し、煙の出口と焚き口を密閉してしまいます。酸素が供給されないのに燃料は十分に供給され、しかも千度をこす高熱があるのですから、粘土の中の酸素が奪われ、結果として還元されます。いわば炭焼きの原理と同じことです。炭焼き窯の中に酸素を供給すれば、窯に詰めた木材はみな灰になってしまいますよね。備前焼の釜焚きの様子を見たことがあるのですが、焼成の最終段階で、大量の木炭を投入していました。備前焼は釉薬を使わず、原理としては須恵器と同じことですから。そして冷却されるのを何日も待つわけです。酸素が十分に供給されませんから、粘土の中に含まれている酸素さえ奪い取られ、粘土の中の鉄分は還元されて酸化第一鉄になります。これはいわゆる黒錆で黒色ですから、鉄を含んだ粘土は灰色に焼き上がるわけです。これを還元焼成と言います。

 酸素が不十分なのに燃焼するという現象は、実は身近にも見られます。枯れきっていない草を火種の上に覆い被せると、炎は上がらずに煙だけがもくもくと立ち上ることがあります。この場合は一酸化炭素が発生しているのですが、屋外ですから危険ではありません。いわゆる不完全燃焼です。ガスや木炭の不完全燃焼も同じことですが、こちらは命に関わります。そういう状態の所に団扇などで空気、つまり十分な酸素を供給してやれば、真っ赤な炎を上げて盛んに燃え始め、煙も出なくなります。この時は酸素が十分ありますから、二酸化炭素が発生しているのです。要するに須恵器というのは、最後に不完全燃焼させて鉄分が黒く発色しているわけなのです。

 身近なところに土師器や須恵器があれば実物で色を見せられるのですが、どうしてもなければ素焼きの植木鉢と屋根瓦で説明します。植木鉢は酸化焼成されていますから、赤褐色をしています。それに対して屋根瓦は、まあ地方によっては色々な色があるでしょうが、一般的には黒っぽい色をしています。これは還元焼成されたからです。身近なところから教材を提示できるところに、面白さがあると思います。


追記
高校の日本史の教科書には、「弥生土器の系譜を引く赤焼きの土師器・・・・朝鮮半島から硬質で灰色の須恵器・・・・」としか書かれていませんから、生徒はテスト対策として、「土師器は赤色、須恵器は灰色」とわけもわからずにただ暗記しようとします。上記の酸化焼成と還元焼成の理屈まで教科書に書く余裕はありませんから、教科書に触れられていないのやむを得ません。しかし指導する先生がそれを知らないとしたら、ただ教科書そのままに「土師器は赤っぽく、須恵器は灰色だよ」という以上のことは言えないでしょう。こういうことを繰り返していれば、ますます歴史の授業は暗記ばかりでつまらないと言われてしまいます。少なくとも指導する先生は、なぜ色が違うのか、ということを疑問におもわなければなりません。えらそうなことを言って申し訳ありませんが、そのような事を疑問に思い、それを調べてみようとするかどうかで、その先生の授業力に差が付いてくるのです。今はネットですぐに調べられます。私の頃は、陶芸の本を図書館から借りてきて片端から読んだり、陶芸家を訪ねて登り窯で焼いているのを見せてもらったりして、すこしづつ覚えていったものです。それだけに深く体験的に学んでいます。ネットで調べられる時代だからこそ、手間と時間をかけて教材研究をすることがどれだ大切か、若い世代の先生にお伝えしたく思います。


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