和歌の世界では、春は霞とともに立つものとされていた。つまり霞は春の立つ徴と理解されていた。それなら秋の立つ徴は何かというと、山口百恵の歌にも「風立ちぬ 今はもう秋」という歌詞があるように、それは秋風であった。『古今和歌集』の秋の部は、秋風の歌で始まる。
①夏と秋の行き交ふ空の通ひ路(ぢ)はかたへ涼しき風や吹くらむ (古今集 秋 168)
②秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる (古今集 秋 169)
①には「六月のつごもりの日よめる」という詞書きが添えられていて、夏の最後の日、つまり季節を分ける節分の日に詠んだ歌である。現代人の感覚では徐々に季節が変わるが、古人は杓子定規に節分の翌日から入れ替わるように季節が替わると理解していた。それで夏と秋とが入れ替わる空の路では、秋の方だけに涼風が吹いているだろう、というのである。歌としては理屈っぽいが、それはともかくとして、秋は秋風と共にやって来ると理解されていた。このような風を、うた言葉では「秋の初風」という。
立秋の日の風と言えば、誰もが思い起こすのが②の歌であろう。目に見えるところは、どこにも秋の徴はない。それはそうであろう。立秋は新暦8月7日か8日のことであり、一年で最も暑い盛りのことである。しかし耳には秋の徴である秋風の吹く音が感じられるというのである。しかし音が聞こえる程の風と言えば、相当の強い風ではないかと思うのが普通であろう。しかしこの歌に詠まれる風とはそよ風なのである。そよ風そのものの音は決して聞こえない。しかしここで「風の音」と言っているのは、実際には風にそよぐ荻などの葉擦れの音のことである。それならば風を音として聞くことができる。
話は逸れるが、「8月上旬ではとてもではないが秋とは言えない。暦というものが実際とずれてしまっているのでは」、とお感じになるとしたら、残念ながらそれは暦について誤解しているのである。どのようにして暦や季節が決められたかについて正しく理解できれば、8月上旬の立秋は不自然ではない。そのあたりのことは私のブログ中の拙文「旧暦と季節感」にまとめてあるので参考にされたい。
それでは『古今和歌集』に続く勅撰和歌集の、秋の部の最初の歌を並べてみよう。
③にはかにも風の涼しくなりぬるか秋立つ日とはむべも言ひけり (後撰集 秋 217)
④夏衣まだひとへなるうたたねに心して吹け秋の初風 (拾遺集 秋 137)
⑤うちつけに袂(たもと)涼しくおぼゆるは衣に秋は来たるなりけり (後拾遺 秋 235)
⑥とことはに吹く夕暮れの風なれど秋立つ日こそ涼しかりけれ (金葉集 秋 156)
⑦山城の鳥羽田(とばた)の面を見渡せばほのかに今朝ぞ秋風は吹く (詞花集 秋 82)
⑧秋来ぬと聞きつるからにわが宿の荻の葉風の吹きかはるらん (千載集 秋 226)
⑨神南備の御室の山の葛かづらうら吹きかへす秋は来にけり (新古今 秋 285) ③では、立秋の日から突然に涼しくなるという。そのようなはずはないのであるが、「立秋」と聞くだけでそのように感じてしまうのであろう。④では、まだ一重の夏衣を着ていたので、急に涼しさを感じている。⑤の「うちつけに」は「急に」という意味であるから、③と同じことである。⑥では夕風の涼しさが詠まれている。まあ8月上旬でも、夕風なら涼しく感じることもあろう。しかしこの場合はそれだけではない。四神思想により秋は西から来ると理解されていたから、夕日が西に沈む夕方は、秋を実感させる時間なのである。そういえば『枕草子』の冒頭にも、「秋は夕暮れ」と記されている。⑦は立秋の朝の涼風を詠んでいる。⑧では、立秋と聞くと、荻に吹く風の音、つまり荻の葉擦れの音がそれまでとは変わることだろう、という。⑨では、秋風は葛の葉を裏返して吹くものと理解されている。
上記の歌の中で、私が注目するのは⑧の「荻の葉風」である。それは秋風と荻とを取り合わせた歌が大変多いからである。以下、そのような歌をいくつか並べてみよう。
⑩いとどしく物思ふ宿の荻の葉に秋を告げつる風の侘びしさ (後撰集 秋 220)
⑪荻の葉のそよぐ音こそ秋風の人に知らるる始めなりけれ (拾遺集 秋 139)
⑫荻の葉に吹き過ぎてゆく秋風のまた誰が里を驚かすらん (後拾遺 秋 320)
⑬荻の葉に人頼めなる風の音をわが身にしめて明しつるかな (後拾遺 秋 322)
⑩は、ただでさえ侘びしく物思いに沈んでいるのに、荻の葉に秋を告げる風が吹くと、なおさら侘びしくなる、という意味である。ここでは秋風は寂寥を増幅させる風と理解されている。⑪では、風にそよぐ荻の葉の葉擦れの音で、秋風が吹いてきたことがわかる、とされている。⑫では、荻原を渡る風が誰かを驚かすというが、「また」というからには作者自身が荻吹く風の音にまず驚いたのだろう。⑬は詞書きによれば、訪問することを約束していた友が来ない夜に詠んだ歌である。友が来た音かと錯覚させるような風の音を、その身に染み込ませるようにして一夜を明かした、というのである。⑩~⑬はいずれも荻に吹く風の音が詠まれている。荻の葉にはガラスと同じ珪酸塩が含まれるため、他の草葉より葉擦れの音が確かによく聞こえる。
荻の他にも、稲葉を吹く秋風の歌もかなりあり、荻は水田に近い湿地に繁茂するから、水田の辺りは、秋風を真っ先に感じ取る場所であった。あらためて、秋風は草葉をそよがせる音によって知られたのである。
荻との組み合わせ程ではないが、雁と共に詠まれることもある。
⑭秋風に初かりがねぞ聞ゆなる誰(た)が玉章(たまづさ)を懸けて来つらむ(古今集 秋 207)
⑮秋風に声を帆にあげて来る舟は天の門(と)渡る雁にぞありける (古今集 秋 212)
⑯秋風に誘はれ渡る雁が音(ね)は雲居はるかに今日ぞ聞こゆる (後撰集 秋 355)
⑭の「かりがね」は「雁が音」と表記され、本来は雁の鳴き声のことであるが、雁そのものをも表すことがある。「玉章」とは手紙のことであるが、雁は気に掛かる人の消息を伝えてくれるという理解があった。このことについてはいずれ別に述べるつもりである。秋風にのって、初雁の鳴き声が聞こえてくる。いったい誰の消息をもって来たのだろう、という意味である。⑮の「天の門」とは空を海や川が狭くなった水門(みなと)に見立てたもので、そこから帆を上げてやって来る舟に雁を喩え導いている。⑯の「雲居」は空のことで、渡ってくる雁の声が遠くから聞こえてくることを詠んでいる。いずれも雁は秋風に誘われ、秋風に乗ってやって来ると理解しているのである。
実際、雁はいつ頃渡来してくるのだろうか。飛来する各地の観測記録を調べてみると、10月になると渡って来るようである。しかし旧暦8月の異称に「雁来月」(かりくづき)という言葉があるように、かつては新暦の9月には第一陣がやって来たらしい。温暖化の影響もあり、平安時代よりも遅くなっているのだろうか。仮に新暦9月に雁が来るとしても、立秋よりはかなり遅れている。立秋に吹く風だけが秋風ではないから、それはそれでよい。一言で「秋風」と言っても、いろいろな風があるのである。
恋心に秋風が吹くと、その意味は全く異なるものとなる。
⑰頼めこし君はつれなし秋風は今日より吹きぬわが身かなしも (後撰集 秋 219)
⑱秋萩を色どる風の吹きぬれば人の心も疑はれけり (後撰集 秋 223)
⑲さりともと思ひし人は音もせで萩の上葉に風ぞ吹くなる (後拾遺 秋 321)
⑳いつしかと待ちし甲斐なく秋風にそよとばかりも荻の音せぬ (後拾遺 雑 949)
⑰の「頼めこし」は「期待させた」「あてにさせた」という意味で、その気にさせた恋人が、最近つれなくなったのは、秋風ならぬ飽きる風が吹いたからだ、という。⑱は、秋風が吹いて萩の葉が色変わりしたように、人の心の言の葉も色変わりしたことを嘆いている。⑲の「さりともと」とは「いくら何でも(今日こそは)」という意味で、いくら待っても恋人は来ず、来るのは荻をそよがせる風ばかりである、という。「秋風」とはなっていないが、秋風は「飽き風」に通じることは、当時は共通認識されていた。⑳には「秋を待てと言ひたる女につかはしける」という詞書きが添えられている。つまり、約束した秋が来たのに、「そよ」とさえ萩の葉音もしない、という。そこの「そよ」は現代人にとってはただ単に「そよ風」の「そよ」に過ぎないが、代名詞の「そ」(現代語では「それ・其れ」)に終助詞の「よ」が付いた連語であり、「それだよ」という意味でもある。つまり「そよ」といって訪れることは、人が訪ねて来ることを暗示しているのである。そうであるから、⑲の場合は、「其よ そよ」といっても来るのは人ではなく風ばかりであり、⑳では、人はおろか、荻さえも「そよ」とすら音を立てない、というわけである。秋はただでさえ侘びしい季節であるが、さらに別れの季節ということなのであろう。
原稿も無しに、思いつくままつれづれに書いているので、構成もなにもない下手な文章です。お許し下さい。
①夏と秋の行き交ふ空の通ひ路(ぢ)はかたへ涼しき風や吹くらむ (古今集 秋 168)
②秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる (古今集 秋 169)
①には「六月のつごもりの日よめる」という詞書きが添えられていて、夏の最後の日、つまり季節を分ける節分の日に詠んだ歌である。現代人の感覚では徐々に季節が変わるが、古人は杓子定規に節分の翌日から入れ替わるように季節が替わると理解していた。それで夏と秋とが入れ替わる空の路では、秋の方だけに涼風が吹いているだろう、というのである。歌としては理屈っぽいが、それはともかくとして、秋は秋風と共にやって来ると理解されていた。このような風を、うた言葉では「秋の初風」という。
立秋の日の風と言えば、誰もが思い起こすのが②の歌であろう。目に見えるところは、どこにも秋の徴はない。それはそうであろう。立秋は新暦8月7日か8日のことであり、一年で最も暑い盛りのことである。しかし耳には秋の徴である秋風の吹く音が感じられるというのである。しかし音が聞こえる程の風と言えば、相当の強い風ではないかと思うのが普通であろう。しかしこの歌に詠まれる風とはそよ風なのである。そよ風そのものの音は決して聞こえない。しかしここで「風の音」と言っているのは、実際には風にそよぐ荻などの葉擦れの音のことである。それならば風を音として聞くことができる。
話は逸れるが、「8月上旬ではとてもではないが秋とは言えない。暦というものが実際とずれてしまっているのでは」、とお感じになるとしたら、残念ながらそれは暦について誤解しているのである。どのようにして暦や季節が決められたかについて正しく理解できれば、8月上旬の立秋は不自然ではない。そのあたりのことは私のブログ中の拙文「旧暦と季節感」にまとめてあるので参考にされたい。
それでは『古今和歌集』に続く勅撰和歌集の、秋の部の最初の歌を並べてみよう。
③にはかにも風の涼しくなりぬるか秋立つ日とはむべも言ひけり (後撰集 秋 217)
④夏衣まだひとへなるうたたねに心して吹け秋の初風 (拾遺集 秋 137)
⑤うちつけに袂(たもと)涼しくおぼゆるは衣に秋は来たるなりけり (後拾遺 秋 235)
⑥とことはに吹く夕暮れの風なれど秋立つ日こそ涼しかりけれ (金葉集 秋 156)
⑦山城の鳥羽田(とばた)の面を見渡せばほのかに今朝ぞ秋風は吹く (詞花集 秋 82)
⑧秋来ぬと聞きつるからにわが宿の荻の葉風の吹きかはるらん (千載集 秋 226)
⑨神南備の御室の山の葛かづらうら吹きかへす秋は来にけり (新古今 秋 285) ③では、立秋の日から突然に涼しくなるという。そのようなはずはないのであるが、「立秋」と聞くだけでそのように感じてしまうのであろう。④では、まだ一重の夏衣を着ていたので、急に涼しさを感じている。⑤の「うちつけに」は「急に」という意味であるから、③と同じことである。⑥では夕風の涼しさが詠まれている。まあ8月上旬でも、夕風なら涼しく感じることもあろう。しかしこの場合はそれだけではない。四神思想により秋は西から来ると理解されていたから、夕日が西に沈む夕方は、秋を実感させる時間なのである。そういえば『枕草子』の冒頭にも、「秋は夕暮れ」と記されている。⑦は立秋の朝の涼風を詠んでいる。⑧では、立秋と聞くと、荻に吹く風の音、つまり荻の葉擦れの音がそれまでとは変わることだろう、という。⑨では、秋風は葛の葉を裏返して吹くものと理解されている。
上記の歌の中で、私が注目するのは⑧の「荻の葉風」である。それは秋風と荻とを取り合わせた歌が大変多いからである。以下、そのような歌をいくつか並べてみよう。
⑩いとどしく物思ふ宿の荻の葉に秋を告げつる風の侘びしさ (後撰集 秋 220)
⑪荻の葉のそよぐ音こそ秋風の人に知らるる始めなりけれ (拾遺集 秋 139)
⑫荻の葉に吹き過ぎてゆく秋風のまた誰が里を驚かすらん (後拾遺 秋 320)
⑬荻の葉に人頼めなる風の音をわが身にしめて明しつるかな (後拾遺 秋 322)
⑩は、ただでさえ侘びしく物思いに沈んでいるのに、荻の葉に秋を告げる風が吹くと、なおさら侘びしくなる、という意味である。ここでは秋風は寂寥を増幅させる風と理解されている。⑪では、風にそよぐ荻の葉の葉擦れの音で、秋風が吹いてきたことがわかる、とされている。⑫では、荻原を渡る風が誰かを驚かすというが、「また」というからには作者自身が荻吹く風の音にまず驚いたのだろう。⑬は詞書きによれば、訪問することを約束していた友が来ない夜に詠んだ歌である。友が来た音かと錯覚させるような風の音を、その身に染み込ませるようにして一夜を明かした、というのである。⑩~⑬はいずれも荻に吹く風の音が詠まれている。荻の葉にはガラスと同じ珪酸塩が含まれるため、他の草葉より葉擦れの音が確かによく聞こえる。
荻の他にも、稲葉を吹く秋風の歌もかなりあり、荻は水田に近い湿地に繁茂するから、水田の辺りは、秋風を真っ先に感じ取る場所であった。あらためて、秋風は草葉をそよがせる音によって知られたのである。
荻との組み合わせ程ではないが、雁と共に詠まれることもある。
⑭秋風に初かりがねぞ聞ゆなる誰(た)が玉章(たまづさ)を懸けて来つらむ(古今集 秋 207)
⑮秋風に声を帆にあげて来る舟は天の門(と)渡る雁にぞありける (古今集 秋 212)
⑯秋風に誘はれ渡る雁が音(ね)は雲居はるかに今日ぞ聞こゆる (後撰集 秋 355)
⑭の「かりがね」は「雁が音」と表記され、本来は雁の鳴き声のことであるが、雁そのものをも表すことがある。「玉章」とは手紙のことであるが、雁は気に掛かる人の消息を伝えてくれるという理解があった。このことについてはいずれ別に述べるつもりである。秋風にのって、初雁の鳴き声が聞こえてくる。いったい誰の消息をもって来たのだろう、という意味である。⑮の「天の門」とは空を海や川が狭くなった水門(みなと)に見立てたもので、そこから帆を上げてやって来る舟に雁を喩え導いている。⑯の「雲居」は空のことで、渡ってくる雁の声が遠くから聞こえてくることを詠んでいる。いずれも雁は秋風に誘われ、秋風に乗ってやって来ると理解しているのである。
実際、雁はいつ頃渡来してくるのだろうか。飛来する各地の観測記録を調べてみると、10月になると渡って来るようである。しかし旧暦8月の異称に「雁来月」(かりくづき)という言葉があるように、かつては新暦の9月には第一陣がやって来たらしい。温暖化の影響もあり、平安時代よりも遅くなっているのだろうか。仮に新暦9月に雁が来るとしても、立秋よりはかなり遅れている。立秋に吹く風だけが秋風ではないから、それはそれでよい。一言で「秋風」と言っても、いろいろな風があるのである。
恋心に秋風が吹くと、その意味は全く異なるものとなる。
⑰頼めこし君はつれなし秋風は今日より吹きぬわが身かなしも (後撰集 秋 219)
⑱秋萩を色どる風の吹きぬれば人の心も疑はれけり (後撰集 秋 223)
⑲さりともと思ひし人は音もせで萩の上葉に風ぞ吹くなる (後拾遺 秋 321)
⑳いつしかと待ちし甲斐なく秋風にそよとばかりも荻の音せぬ (後拾遺 雑 949)
⑰の「頼めこし」は「期待させた」「あてにさせた」という意味で、その気にさせた恋人が、最近つれなくなったのは、秋風ならぬ飽きる風が吹いたからだ、という。⑱は、秋風が吹いて萩の葉が色変わりしたように、人の心の言の葉も色変わりしたことを嘆いている。⑲の「さりともと」とは「いくら何でも(今日こそは)」という意味で、いくら待っても恋人は来ず、来るのは荻をそよがせる風ばかりである、という。「秋風」とはなっていないが、秋風は「飽き風」に通じることは、当時は共通認識されていた。⑳には「秋を待てと言ひたる女につかはしける」という詞書きが添えられている。つまり、約束した秋が来たのに、「そよ」とさえ萩の葉音もしない、という。そこの「そよ」は現代人にとってはただ単に「そよ風」の「そよ」に過ぎないが、代名詞の「そ」(現代語では「それ・其れ」)に終助詞の「よ」が付いた連語であり、「それだよ」という意味でもある。つまり「そよ」といって訪れることは、人が訪ねて来ることを暗示しているのである。そうであるから、⑲の場合は、「其よ そよ」といっても来るのは人ではなく風ばかりであり、⑳では、人はおろか、荻さえも「そよ」とすら音を立てない、というわけである。秋はただでさえ侘びしい季節であるが、さらに別れの季節ということなのであろう。
原稿も無しに、思いつくままつれづれに書いているので、構成もなにもない下手な文章です。お許し下さい。
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