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うたことば歳時記

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軒端のあやめ草

2015-06-09 08:48:32 | うたことば歳時記
 旧暦五月五日の端午の節句には、現在も伝統的な習俗として菖蒲湯が行われている。私が幼い頃は、菖蒲の葉と蓬を束ねて風呂に入れたものである。しかし菖蒲の葉を軒端に葺く習俗は、まだ残っている地域もあるかもしれないが、私自身の経験としては見たことがない。もし残っていたら是非とも教えていただきたい。

 さてその菖蒲であるが、「菖蒲」と表記しても上古には「あやめ」とか「あやめぐさ」と読んでいた。ところが「あやめ」と読むと、紫色の花が咲くハナショウブを小さくしたようなあの「あやめ」かと思われるが、葉の形は似ていても植物分類上は全く異なる種類である。菖蒲湯の菖蒲は何とサトイモの仲間であるというから驚きである。その花はおよそ「花」のイメージからはかけ離れている。言葉では何とも説明できないので、花の姿はインターネットで検索していただきたい。花が咲けば区別はできるが、葉だけでは外見上はよく似ている。しかし菖蒲湯の「あやめ」は葉の根元を切ってみると芳香があるのに対して、花の美しい「あやめ」(以後は「花あやめ」と表記)には全く香りがない。また生育している場所も全く異なる。はな菖蒲湯の「あやめ」は沼や底が泥の水路に群生しているが、花の「あやめ」は乾燥している所に生育する。それよりも現在では園芸品種となっているので、野生の状態で見ることはほとんどなくなってしまった。ところがまたまた識別を困難にしているのは、花あやめに似ているカキツバタや花菖蒲は、菖蒲湯の「あやめ」が生育するのと同じ水辺を好む。ただ野生のカキツバタはほとんど見られず、花菖蒲は園芸品種であるから、野生で群生していたら、菖蒲湯の「あやめ」(以後は「あやめ草」と表記)である確率が高い。それでも黄菖蒲は生育環境も葉の形も群生することもあやめ草に似ているので、間違いやすい。慣れた人なら、葉の色が微妙に違うので区別できるであろう。

 さてあやめ草は『万葉集』に12首詠まれているが、それらはの中には軒端のあやめ草に関わる歌はない。それらのほとんどは薬玉やあやめかづらに関する歌で、いずれどこかで触れてみたいと思っている。
 『万葉集』には見られなかった軒端のあやめ草であるが、王朝和歌にはかなり詠まれている。

 ①昨日までよそに思ひしあやめ草今日わが宿のつまと見るかな    (拾遺集 夏 109)
 ②今日見れば玉の台(うてな)もなかりけりあやめの草の庵のみして (拾遺集 夏 110)
 ③よろづよにかはらぬものは五月雨のしづくにかほるあやめなりけり (金葉集 夏 128)
 ④同じくはととのへて葺けあやめ草さみだれたらば漏りもこそすれ  (金葉集 夏 133)
 ⑤逢ふことのひさしに葺けるあやめ草ただかりそめのつまとこそ見れ (金葉集 恋 436)

 ①は、昨日 までは無縁のものと思っていたあやめ草であるが、五月五日の今日、我が家の軒端を飾っているのを見ることである、という意味であるが、「端」は「つま」とも読み、「妻」と同音であることから、疎遠だった人と一夜共に過ごしたことを暗示している。裏の意味はともかくとして、五月五日の菖蒲の節句には、軒先にあやめ草を葺く習俗があった。②の「玉の台」とは美しく立派な建物のこと。そのような貴族の屋敷の軒端にもみなあやめ草を葺くので、みな粗末な草の庵に見える、というのである。貴賤の別なく、その日にはみな軒端にあやめ草を葺いていた様子を伺うことができる。③は、五月雨に濡れる軒端のあやめ草を詠んだもので、滴があやめ草の香にかおっている、という。④は、あやめ草を整えて葺き並べないと、五月雨が降ると雨漏りがする、という。軒端に隙間がない程たくさん葺いていたことが伺われるのである。⑤は、久しぶりに逢ったので、軒端のあやめ草が一日だけの仮初めのものであるように、ほんの一時の妻であると思っている、という恋の歌である。複雑な掛詞が使われているのでわかりにくいが、ここではあまりそれに関わらずに、「庇」、つまり軒端にあやめ草を葺くことや、①と同じように「つま」に同音の「端」と「妻」を掛けて詠むことが常套であったことを確認しておこう。

 菖蒲湯にはあやめ草の他に蓬をいっしょに入れることがある。「軒端のあやめ」には、蓬も含まれるのだろうか。歌の例は少ないが、あやめ草とセットにして葺いていたことを示す史料がある。

 ⑥今日といへば菖蒲ばかりぞ葺きそふる軒端ふりぬる蓬生の宿 (玉葉集 夏 343)
 ⑦我がすみかもとの蓬の宿なれば菖蒲ばかりを今日は葺かなん (夫木抄 菖蒲 2632)
 ⑧節は五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたるいみじうをかし。九重の内をはじめて、言ひしらぬ民のすみかまで、いかでわがもとにしげく葺かむと葺きわたしたる、なほいとめづらし。(枕草子)

 ⑥の「蓬生の宿」とは、荒れ果てた我が家を表す歌ことばで、「ふりぬる」は五月雨が降ることと古くなっていることを掛けている。庭は荒れ果てて蓬が茂っているので、あやめ草だけを葺く、というのである。⑦も同じことで、自邸を「蓬の宿」と自虐的に表し、蓬が茂っているのであやめ草と共に蓬を葺く必要がない、という。⑧は『枕草子』の記事。宮中から庶民の家まで、あやめ草と共に蓬も繁く葺いていることが伺われる。

 そもそも五月五日のあやめ草と蓬に関する習俗については、その起源は中国にある。6世紀に成立した中国最初の歳時記である『荊楚歳時記』によれば、五月五日、蓬で人の形を作り、門戸に懸けて邪気を祓ったことが記されている。また同じく、あやめ草を刻んで盃に浮かべ、菖蒲酒を飲んだと記されている。蓬にもあやめ草にも爽やかな芳香があることが共通点で、これが邪気を祓うと信じられたのである。あやめ草に関する呪術的習俗を詠んだ歌は『万葉集』に数多く見られるから、7世紀には中国から伝えられていたものであろう。軒端に葺くあやめ草を火事除けの呪いと説明している歳時記があるが、起源を考えれば後で取って付けた解釈である。
   




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