ゴールデンウィークの頃、我が家の周辺では田植えが行われます。地域によっては4月に済ませてしまうこともあるでしょうが、私くらいの高齢者にとっては、5月の田植えでも時期が早いと思ってしまいます。幼い頃の田植えの記憶では、田植えは梅雨の真っ最中のこと。9月初めの二百十日は稲の花の咲く時期に重なるため、暴風の多いとされる二百十日は農家の厄日とされていました。そして稲刈りは10月から11月のことでした。ですから11月23日の勤労感謝の日も、収穫を神様に感謝する日として、時期的にも素直に受け容れることができていました。ところが現在では、田植えが早まった結果、8月には稲刈りが始まり、9月中に終わってしまいます。
いったいどうしてこんなに早まってしまったのでしょうか。いろいろ理由があると思いますが、私は稲の栽培をしたことのない農業の素人ですが、台風シーズンの前に稲刈りを終えてしまえば、台風の被害を避けることができるということが大きな理由でしょうか。またいち早く新米として出荷し、高い値段で買い取ってもらえるということもあるでしょう。早く収穫するためには、早い時期の田植えが必要です。しかし稲は本来は熱帯の植物ですから、自然のままに発芽させていたのでは田植えに間に合いません。稲の発芽温度は30度前後だそうですから、苗床の温度管理をしなければ、早期の田植えはできないわけです。このような栽培技術の発達や品種改良が、田植えに留まらず、稲の栽培時期の早期化を可能にしたのでしょう。
また昔は田植えを早い時期にやろうとしてもできない事情があったようです。最大の理由は田植えに必要な水の確保という問題でしょう。我が家の周辺の水田では、水田のわきを流れる用水路を堰き止めて水位を上げ、水田に自然に水を導入しています。しかしそれは適度の幅の水路と水量のある用水路が発達していて初めてできることです。場所によってはポンプで汲み上げている水田もあります。しかしそれができない昔は、天然の雨に頼るしかありません。つまり梅雨時にしか田植えをすることができなかったのです。また裏作に麦を栽培している水田では、梅雨の晴れ間である五月晴れの日に麦を収穫し、その後代掻きをしてから田植えをすることになりますから、麦の収穫前に遡りようがないわけです。
そういうわけで、五月雨の時期に田植えをしていることを詠んだ古歌がたくさんあります。
①五月雨は小田の水口手もかけで水の心にまかせてぞ見る (金葉集 夏 139)
②いかばかり田子の裳裾もそほつらん雲間も見えぬころの五月雨(新古今 夏 227)
③五月雨の晴れぬ限りは早苗とる田子のさ衣乾く間ぞなき (堀河百首 夏 444)
①は、五月雨の頃は水量が多いので、特に人手をかけなくとも自然に水口(みなぐち)から田に水が入る様子を見ている、というのです。②③はわかりやすい歌で、五月雨の中で田植えをする早乙女の衣が濡れることを詠んでいます。このように田植えの歌には「五月雨」という言葉が必ずと言ってよい程に、一緒に詠み込まれるのです。もちろん「五月雨」は旧暦五月の雨ですから、現在の梅雨のことです。梅雨の期間は年によって前後があるでしょうが、現在の新暦の六月は含まれていると言うことができるでしょう。
『枕草子』に次のような面白い話があります。「賀茂(かも)へ参る道に、『田植(う)う』とて、女の・・・・いと多う立ちて、歌を唄(うた)ふ。・・・・郭公をいとなめう唄ふ聞くにぞ心憂(う)き。『郭公、おれ、かやつよ、おれ鳴きてこそ、我は田植(う)うれ』と唄(うた)ふを聞くも、いかなる人か『いたくな鳴きそ』とは言ひけむ」。清少納言が賀茂社参詣の途中、早乙女(さおとめ)たちが田植唄(うた)を歌いながら働いているのを見たときのことです。「郭公め、お前が鳴くので私は田植をせにゃならぬ」と郭公を馬鹿にして歌っているので、唯美鑑賞的に郭公を愛好する彼女は、その唄(うた)を気に入らないのです。平安京のあたりでは、ほととぎすの鳴く時期と田植えの時期が同じことがわかります。『栄華物語』にも「早苗植(う)うる折りにしも鳴く郭公しでの田長とうべも言ひけり」という歌が記されています。平安時代の人にとっては、田植えと五月雨とほととぎすは、同じ時期の風物詩だったのです。
有名な唱歌『夏は来ぬ』の二番には、「さみだれのそそぐ山田に 早乙女が裳裾ぬらして 玉苗ううる 夏は来ぬ」という歌詞があります。今までは何の疑問もなく歌っていましたが、よくよく考えると、おかしな歌詞です。「夏は来ぬ」というのですから、夏になったことの感動を歌っていると思っていたのですが、卯の花は夏卯月に咲きますからよいのですが、五月雨は旧暦の五月、新暦なら六月の露の頃です。すでに立夏を過ぎていて、今更「夏は来ぬ」でもあるまいしと思ってしまいました。まあこのことは今日の主題とはかけ離れていますが・・・・。それはともかく、この歌にもあるように、明治期の人の季節感でも、田植えは五月雨の降る梅雨時のことだったのです。
現代ではもう田植えが始まっています。しかしほととぎすはまだ渡ってきません。私の住んでいるあたりでは、毎年5月下旬のこと。旧暦ならまだ卯月です。私は田植えが早まっていることを、まだほととぎすの鳴き声が聞こえないことに実感しているのです。
「ほととぎす」ついでのことに、ほととぎすの「忍び音」とはほととぎすの初声や夜にこっそりと鳴く声と理解されることが多いのですが、とんでもない誤りです。私のブログ「うたことば歳時記」に「ほととぎすの忍び音」と題して考証を載せておきましたので、是非御覧下さい。
いったいどうしてこんなに早まってしまったのでしょうか。いろいろ理由があると思いますが、私は稲の栽培をしたことのない農業の素人ですが、台風シーズンの前に稲刈りを終えてしまえば、台風の被害を避けることができるということが大きな理由でしょうか。またいち早く新米として出荷し、高い値段で買い取ってもらえるということもあるでしょう。早く収穫するためには、早い時期の田植えが必要です。しかし稲は本来は熱帯の植物ですから、自然のままに発芽させていたのでは田植えに間に合いません。稲の発芽温度は30度前後だそうですから、苗床の温度管理をしなければ、早期の田植えはできないわけです。このような栽培技術の発達や品種改良が、田植えに留まらず、稲の栽培時期の早期化を可能にしたのでしょう。
また昔は田植えを早い時期にやろうとしてもできない事情があったようです。最大の理由は田植えに必要な水の確保という問題でしょう。我が家の周辺の水田では、水田のわきを流れる用水路を堰き止めて水位を上げ、水田に自然に水を導入しています。しかしそれは適度の幅の水路と水量のある用水路が発達していて初めてできることです。場所によってはポンプで汲み上げている水田もあります。しかしそれができない昔は、天然の雨に頼るしかありません。つまり梅雨時にしか田植えをすることができなかったのです。また裏作に麦を栽培している水田では、梅雨の晴れ間である五月晴れの日に麦を収穫し、その後代掻きをしてから田植えをすることになりますから、麦の収穫前に遡りようがないわけです。
そういうわけで、五月雨の時期に田植えをしていることを詠んだ古歌がたくさんあります。
①五月雨は小田の水口手もかけで水の心にまかせてぞ見る (金葉集 夏 139)
②いかばかり田子の裳裾もそほつらん雲間も見えぬころの五月雨(新古今 夏 227)
③五月雨の晴れぬ限りは早苗とる田子のさ衣乾く間ぞなき (堀河百首 夏 444)
①は、五月雨の頃は水量が多いので、特に人手をかけなくとも自然に水口(みなぐち)から田に水が入る様子を見ている、というのです。②③はわかりやすい歌で、五月雨の中で田植えをする早乙女の衣が濡れることを詠んでいます。このように田植えの歌には「五月雨」という言葉が必ずと言ってよい程に、一緒に詠み込まれるのです。もちろん「五月雨」は旧暦五月の雨ですから、現在の梅雨のことです。梅雨の期間は年によって前後があるでしょうが、現在の新暦の六月は含まれていると言うことができるでしょう。
『枕草子』に次のような面白い話があります。「賀茂(かも)へ参る道に、『田植(う)う』とて、女の・・・・いと多う立ちて、歌を唄(うた)ふ。・・・・郭公をいとなめう唄ふ聞くにぞ心憂(う)き。『郭公、おれ、かやつよ、おれ鳴きてこそ、我は田植(う)うれ』と唄(うた)ふを聞くも、いかなる人か『いたくな鳴きそ』とは言ひけむ」。清少納言が賀茂社参詣の途中、早乙女(さおとめ)たちが田植唄(うた)を歌いながら働いているのを見たときのことです。「郭公め、お前が鳴くので私は田植をせにゃならぬ」と郭公を馬鹿にして歌っているので、唯美鑑賞的に郭公を愛好する彼女は、その唄(うた)を気に入らないのです。平安京のあたりでは、ほととぎすの鳴く時期と田植えの時期が同じことがわかります。『栄華物語』にも「早苗植(う)うる折りにしも鳴く郭公しでの田長とうべも言ひけり」という歌が記されています。平安時代の人にとっては、田植えと五月雨とほととぎすは、同じ時期の風物詩だったのです。
有名な唱歌『夏は来ぬ』の二番には、「さみだれのそそぐ山田に 早乙女が裳裾ぬらして 玉苗ううる 夏は来ぬ」という歌詞があります。今までは何の疑問もなく歌っていましたが、よくよく考えると、おかしな歌詞です。「夏は来ぬ」というのですから、夏になったことの感動を歌っていると思っていたのですが、卯の花は夏卯月に咲きますからよいのですが、五月雨は旧暦の五月、新暦なら六月の露の頃です。すでに立夏を過ぎていて、今更「夏は来ぬ」でもあるまいしと思ってしまいました。まあこのことは今日の主題とはかけ離れていますが・・・・。それはともかく、この歌にもあるように、明治期の人の季節感でも、田植えは五月雨の降る梅雨時のことだったのです。
現代ではもう田植えが始まっています。しかしほととぎすはまだ渡ってきません。私の住んでいるあたりでは、毎年5月下旬のこと。旧暦ならまだ卯月です。私は田植えが早まっていることを、まだほととぎすの鳴き声が聞こえないことに実感しているのです。
「ほととぎす」ついでのことに、ほととぎすの「忍び音」とはほととぎすの初声や夜にこっそりと鳴く声と理解されることが多いのですが、とんでもない誤りです。私のブログ「うたことば歳時記」に「ほととぎすの忍び音」と題して考証を載せておきましたので、是非御覧下さい。
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