うたことば歳時記

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別れのハンカチ

2019-08-06 20:28:37 | その他
 ネット情報に、ハンカチを贈ってはいけないということがたくさんありました。いつからそんなことになってしまったのか、私が若い頃には聞いたこともありません。ハンカチは日本語では「手巾」と表すそうで、「巾」は訓読みでは「きれ」ですから、「てぎれ」と読んで「手切れ」を連想させるというのです。また別れの際にハンカチを振ることがあるので、それも別れを連想させるので、人に贈ってはいけないそうです。

 まったく嘆かわしいことです。そんなことを誰が言い始めたのか。したり顔をして誰かが最もらしく「御存知ないようですので、教えてさし上げます」とばかりに、言い始めたことなのでしょう。このような脅迫的語呂合わせは、江戸時代にはありませんでした。私は伝統的年中行事を研究していますが、年末の二十九日に門松を立てるのは「二重苦」に通じるので縁起が悪いとか、これは最近になっていわれ始めたことです。雛人形を片付けるのが一日遅れると、婚期が1年遅れるなどというのもおなじことで、これも最近になっていわれ始めたことです。どうして人を嫌な気分にさせることを、もっともらしい屁理屈を付けてふれ回るのでしょうか。本当に腹が立ってきます。

 ハンカチが別れの際の小道具であることには、少し思い当たるふしがあります。徳冨蘆花(徳富という表記は誤り)の小説に『不如帰』があります。結核のために夫の海軍少尉と離婚させられてしまう若妻のかわいそうな生涯を描いているのですが、当時の女性達の涙を絞らせたベストセラーになったものでした。そのなかに出征する夫をハンカチを振って見送る場面があります。それで当時はまだハンカチなど普及していない時代だったのですが、別れのハンカチは、当時の女性達なら知らない人はいないほど、知識として広まったのです。

 ネット情報では、このエピソードから別れのハンカチが広まったということになっているのですが、直接的な契機としては、まあそうなのかもしれません。しかし私にはもう一つ『万葉集』に心当たりがありました。「足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は さやに見もかも (4323)」といううたなのですが、防人として徴発され、足柄峠を越えて行く夫が、袖を振って別れを惜しむ場面でしょう。振っているのはハンカチではなく袖なのですが、発想としては同じ物を感じたのです。もちろんこの歌が別れのハンカチの起原ではありません。しかし同じような動作を無意識にするものだと思っただけのことです。手を振るだけでは相手に視認してもらえるかわからないので、手許にある何かを大きく振って、見えるようにしようということは、誰もが自然に考えつくことでしょう。

 繰り返しになりますが、ハンカチを贈ることには何も悪い意味はありません。悪意に解釈する人は、ネクタイを贈っても、「首を絞めるに通じるから贈ってはいけない」などと言い始めるかもしれません。全くばかばかしい話です。