新暦ではありますが、端午の節句が近付いて来ると、店頭には早くも柏餅が並んでいました。ウィキペディアには、「柏餅は徳川九代将軍家重から十代将軍家治の頃、江戸で生まれた。」と断定的に記されています。ですからそれを根拠にして、ネット情報はみなその説を受け売りしています。しかし天保十四年の『世事百談』という随筆に「柏餅」という題で記事が載せられています。それによれば、寛永の頃の『俳諧初学抄』という書物には柏餅について何も触れられていないが、寛文年間(1661~1673年)と思われる『酒餅論』という書物には、端午の柏餅の記事があり、延宝八年(1680年)の『俳諧向之岡』という書物には、柏餅を詠んだ句があるので、この頃から広く節句の行事食となったのであろうと推定しています。
『酒餅論』はネットで閲覧が可能ですので、確認したところ、7丁目に間違いなく「弥生はひなのあそびとてよもぎのもちや、端午にはちまきのもちや柏もち。水無月初の氷餅」と記されています。ウィキペディアが何を根拠にしているのかわかりませんが、明らかに誤りとしか言えません。
端午の日に柏餅を食べる習慣は、今でこそ全国的になっていますが、江戸時代には江戸の風習でした。前掲の『世事百談』には、「端午の日に柏の葉に餅を包みて、互に贈るわざは、江戸のみにて他の國にはきこえぬ風俗にして」と記されています。『俳諧歳時記』にも「畿内にはさのみ用ひぬ事なり」と記されています。端午の節句の行事食としては、粽(ちまき)もありますが、今でも粽はおもに関西でよく食べられ、関東では柏餅の方が馴染みがあるのは、もともと江戸の風習だったからでしょう。西日本には柏の木が少ないため、サルトリイバラ(山帰来(さんきらい))という草の葉を使うこともあるそうです。
天保年間に書かれた『守貞謾稿』によれば、男児が生まれると端午の節句に柏餅を親類縁者に贈る風習がありました。米粉で作った楕円形の餅を二つ折りにして、中に小豆餡(あずきあん)や味噌餡(みそあん)を挟むのですが、小豆餡の場合は葉の表を出し、味噌餡の場合は裏が見えるようにして区別したと記されています。これは現在でもそのように作られています。小さなことですが、葉の表裏にも歴史があったのです。ネットでは味噌餡の柏餅を知らなかったという記事がたくさんあります。しかし江戸時代以来のものなのです。念のため、史料を載せておきます。
「京坂にては、男児生れて初の端午には、親族及び知音(ちいん)の方に粽を配り、二年目よりは柏餅を贈ること、上巳の菱餅と戴(いただき)(灌仏会で食べる小豆餡を載せた餅)の如し、・・・・江戸にては初年より柏餅を贈る、三都(江戸・大坂・京)ともその製は、米の粉をねりて円形扁平となし、二つ折りとなし、間に砂糖入り赤豆餡(あずきあん)を挟み、柏葉大なるは一枚を二つ折りにしてこれを包む。小なるは二枚をもって包み蒸す。江戸にては砂糖入り味噌をも餡にかへ交ゆるなり。赤豆餡には柏葉表を出し、味噌には裏を出して標(しるし)とす。」
『酒餅論』はネットで閲覧が可能ですので、確認したところ、7丁目に間違いなく「弥生はひなのあそびとてよもぎのもちや、端午にはちまきのもちや柏もち。水無月初の氷餅」と記されています。ウィキペディアが何を根拠にしているのかわかりませんが、明らかに誤りとしか言えません。
端午の日に柏餅を食べる習慣は、今でこそ全国的になっていますが、江戸時代には江戸の風習でした。前掲の『世事百談』には、「端午の日に柏の葉に餅を包みて、互に贈るわざは、江戸のみにて他の國にはきこえぬ風俗にして」と記されています。『俳諧歳時記』にも「畿内にはさのみ用ひぬ事なり」と記されています。端午の節句の行事食としては、粽(ちまき)もありますが、今でも粽はおもに関西でよく食べられ、関東では柏餅の方が馴染みがあるのは、もともと江戸の風習だったからでしょう。西日本には柏の木が少ないため、サルトリイバラ(山帰来(さんきらい))という草の葉を使うこともあるそうです。
天保年間に書かれた『守貞謾稿』によれば、男児が生まれると端午の節句に柏餅を親類縁者に贈る風習がありました。米粉で作った楕円形の餅を二つ折りにして、中に小豆餡(あずきあん)や味噌餡(みそあん)を挟むのですが、小豆餡の場合は葉の表を出し、味噌餡の場合は裏が見えるようにして区別したと記されています。これは現在でもそのように作られています。小さなことですが、葉の表裏にも歴史があったのです。ネットでは味噌餡の柏餅を知らなかったという記事がたくさんあります。しかし江戸時代以来のものなのです。念のため、史料を載せておきます。
「京坂にては、男児生れて初の端午には、親族及び知音(ちいん)の方に粽を配り、二年目よりは柏餅を贈ること、上巳の菱餅と戴(いただき)(灌仏会で食べる小豆餡を載せた餅)の如し、・・・・江戸にては初年より柏餅を贈る、三都(江戸・大坂・京)ともその製は、米の粉をねりて円形扁平となし、二つ折りとなし、間に砂糖入り赤豆餡(あずきあん)を挟み、柏葉大なるは一枚を二つ折りにしてこれを包む。小なるは二枚をもって包み蒸す。江戸にては砂糖入り味噌をも餡にかへ交ゆるなり。赤豆餡には柏葉表を出し、味噌には裏を出して標(しるし)とす。」