今年も残すところ1カ月となりました。書き続けて来た節気の話も、今年は大雪と冬至だけになってしまいました。
大雪は「たいせつ」と読み、例年は12月7日頃です。既に「小雪」がありましたから、大寒と小寒があるように、大雪になるのでしょう。しかし何度もお話ししていますが、北海道が冬日なのに沖縄では夏日となることさえある日本のことですから、一律に「大雪」を当てはめるのには無理があります。
ネット情報では、「山岳だけでなく、平野にも降雪のある時節」とか、「雪が激しく降り始める頃」とか、「雪がいよいよ降り重ねる頃」などと解説されています。しかしネット情報の多くは、天明7年に出版された『こよみ便覧』の解説そのままのものが多く、実際とその説明を比較しようともしていません。載せている人は何の矛盾も感じないのでしょうか?
先日(2016年11月25日)は、54年ぶりに都心で11月の初雪が見られました。我が家の周辺では5㎝積もりました。雪国の人にとっては降ったうちに入らないのでしょうが、私にとっては大変珍しいことでした。
書くことがなく、思い余って『万葉集』以来の雪を詠んだ歌を適当に拾い読みしていると、雪を楽しむ歌と厭う歌が併存していることに気が付きました。雪を喜ぶ歌として真っ先に思い浮かんだのは、『万葉集』最巻末の歌です。
○新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事
これは『万葉集』の編者である大伴家持の歌で、雪の積もるように良きことが重なるようにというのですから、新春の初雪を縁起のよいものと見ていたことがわかります。
一方、雪を厭う歌にはいろいろあるでしょうが、たまたま私が最初に思い浮かべた歌は、
○わが宿は雪降りしきて道もなし踏みわけてとふ人しなければ(古今集 322)
でした。現代ならば雪に隔てられても、電話で話すことは出来ます。しかし古には人と交わることが大変に困難になることなのですから、雪を厭う気持ちは、現代人よりもはるかに大きいものでした。
雪を喜んだり嫌ったりすることは現代人でも同じことで、雪が降ると嬉しくなって雪の中を転げ回ったり、スキーをしたり、雪景色を眺めたりします。一方、雪が降ると外出がままならず、寒さも厳しくなり、野外の仕事が出来なくなったりします。「大雪」といっても地域により、また人により、雪に対する思いや雪の事情は千差万別でしょうね。
大雪の時期の初候は、「閉塞成冬」ということなのですが、ネット情報ではみな「そらさむく、ふゆとなる」と読ませています。しかしどう無理してもそうは読めませんよ。「閉塞して冬と成る」としか読めるはずがありません。「閉塞」の意味が「空寒く」なら理解も出来ましょう。「天地に満ちている気が塞がり、冬となる」と理解することが出来るでしょう。
次候は「熊蟄穴」で、「くまあなにこもる」と読めます。熊が穴に籠もって冬眠を始める時期も、それこそ地域で大きく異なることでしょう。私はこのことについては全く体験的知識はなく、ネット情報で一方的に知るだけです。それによれば、12月から4月くらいだそうですから、次候としての時期は概ね合っているようです。
末候は「鱖魚群」で、「さけのうおむらがる」「さけむらがる」と読んでおきましょう。私が鮭の遡上を見た新潟県の村上では、11月下旬から12月上旬がピークでした。これも地域によって大きく異なることでしょう。鮭の遡上というと北海道の印象が強いのですが、私の住む埼玉県でも、利根川を遡上してきます。もちろん勝手に釣ることはできませんが、捕獲や採卵の様子を見学することができます。
今回はあまり書くことがなく、内容も貧弱ですみません。
大雪は「たいせつ」と読み、例年は12月7日頃です。既に「小雪」がありましたから、大寒と小寒があるように、大雪になるのでしょう。しかし何度もお話ししていますが、北海道が冬日なのに沖縄では夏日となることさえある日本のことですから、一律に「大雪」を当てはめるのには無理があります。
ネット情報では、「山岳だけでなく、平野にも降雪のある時節」とか、「雪が激しく降り始める頃」とか、「雪がいよいよ降り重ねる頃」などと解説されています。しかしネット情報の多くは、天明7年に出版された『こよみ便覧』の解説そのままのものが多く、実際とその説明を比較しようともしていません。載せている人は何の矛盾も感じないのでしょうか?
先日(2016年11月25日)は、54年ぶりに都心で11月の初雪が見られました。我が家の周辺では5㎝積もりました。雪国の人にとっては降ったうちに入らないのでしょうが、私にとっては大変珍しいことでした。
書くことがなく、思い余って『万葉集』以来の雪を詠んだ歌を適当に拾い読みしていると、雪を楽しむ歌と厭う歌が併存していることに気が付きました。雪を喜ぶ歌として真っ先に思い浮かんだのは、『万葉集』最巻末の歌です。
○新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事
これは『万葉集』の編者である大伴家持の歌で、雪の積もるように良きことが重なるようにというのですから、新春の初雪を縁起のよいものと見ていたことがわかります。
一方、雪を厭う歌にはいろいろあるでしょうが、たまたま私が最初に思い浮かべた歌は、
○わが宿は雪降りしきて道もなし踏みわけてとふ人しなければ(古今集 322)
でした。現代ならば雪に隔てられても、電話で話すことは出来ます。しかし古には人と交わることが大変に困難になることなのですから、雪を厭う気持ちは、現代人よりもはるかに大きいものでした。
雪を喜んだり嫌ったりすることは現代人でも同じことで、雪が降ると嬉しくなって雪の中を転げ回ったり、スキーをしたり、雪景色を眺めたりします。一方、雪が降ると外出がままならず、寒さも厳しくなり、野外の仕事が出来なくなったりします。「大雪」といっても地域により、また人により、雪に対する思いや雪の事情は千差万別でしょうね。
大雪の時期の初候は、「閉塞成冬」ということなのですが、ネット情報ではみな「そらさむく、ふゆとなる」と読ませています。しかしどう無理してもそうは読めませんよ。「閉塞して冬と成る」としか読めるはずがありません。「閉塞」の意味が「空寒く」なら理解も出来ましょう。「天地に満ちている気が塞がり、冬となる」と理解することが出来るでしょう。
次候は「熊蟄穴」で、「くまあなにこもる」と読めます。熊が穴に籠もって冬眠を始める時期も、それこそ地域で大きく異なることでしょう。私はこのことについては全く体験的知識はなく、ネット情報で一方的に知るだけです。それによれば、12月から4月くらいだそうですから、次候としての時期は概ね合っているようです。
末候は「鱖魚群」で、「さけのうおむらがる」「さけむらがる」と読んでおきましょう。私が鮭の遡上を見た新潟県の村上では、11月下旬から12月上旬がピークでした。これも地域によって大きく異なることでしょう。鮭の遡上というと北海道の印象が強いのですが、私の住む埼玉県でも、利根川を遡上してきます。もちろん勝手に釣ることはできませんが、捕獲や採卵の様子を見学することができます。
今回はあまり書くことがなく、内容も貧弱ですみません。