最近は日の出が遅れ、日の入りが早まってきたことを実感します。特に秋の夕暮の早いことを、「秋の日の釣瓶(つるべ)落とし」と言います。釣瓶井戸を見たことがない人にとっては、何のことかわからなくなってしまい、もう一世代たったら、これも死語になってしまうのでしょう。もっとも釣瓶落としという妖怪の名前は死語にはなりそうもないので、勘違いされて理解されるかもしれません。
秋は太陽の沈むスピードが、他の季節より速くなるというわけではありません。しかし日没の時刻が日に日にずれてゆくその変化が、四季の中で一番大きい。つまり日没時間が急速に早まるのです。気象庁の公表している2017年の東京の日没時間で比べてみましょう。
1月1日の日没は16時39分、1月31日では17時7分ですから、1カ月で28分日没が遅れます。同様にして、2月には27分、3月には26分、4月には24分、5月にも24分、夏至のある6月には僅かに10分遅れます。ところが7月になると既に夏至を過ぎていますから、15分早まり、8月には一気に35分、9月には何と1カ月で42分も早まります。10月にも37分、11月には急に減って18分、冬至のある12月には、一転して10分遅くなります。この現象は緯度が高くなるほどはっきりと現れるますから、北海道はもっとよくわかるでしょう。
また、日が沈んでからもしばらくは日常生活に支障のない程度の時間帯を常用薄明と言うのですが、この継続する時間は季節により変化します。夏至や冬至の頃は薄明の継続時間はやく30分間と長いのに対して、春分・秋分の頃は最短く、約25分間しかありません。秋は太陽が真っ直ぐに落ちていくように沈むため、西の空が明るい薄明の時間が短く、みるみるうちに暗くなるります。「秋の日の釣瓶落とし」は主観的印象ではなく、客観的事実なのです。
『枕草子』の冒頭に「・・・・秋は夕暮れ・・・・」と記され、秋の夕暮は情趣の深いものとされています。秋に夕暮れが注目されるのにはいくつか理由があるのですが、その一つは急に日が落ちて暗くなることに拠っているのでしょう。その他の理由については、また後日書くつもりです。
秋は太陽の沈むスピードが、他の季節より速くなるというわけではありません。しかし日没の時刻が日に日にずれてゆくその変化が、四季の中で一番大きい。つまり日没時間が急速に早まるのです。気象庁の公表している2017年の東京の日没時間で比べてみましょう。
1月1日の日没は16時39分、1月31日では17時7分ですから、1カ月で28分日没が遅れます。同様にして、2月には27分、3月には26分、4月には24分、5月にも24分、夏至のある6月には僅かに10分遅れます。ところが7月になると既に夏至を過ぎていますから、15分早まり、8月には一気に35分、9月には何と1カ月で42分も早まります。10月にも37分、11月には急に減って18分、冬至のある12月には、一転して10分遅くなります。この現象は緯度が高くなるほどはっきりと現れるますから、北海道はもっとよくわかるでしょう。
また、日が沈んでからもしばらくは日常生活に支障のない程度の時間帯を常用薄明と言うのですが、この継続する時間は季節により変化します。夏至や冬至の頃は薄明の継続時間はやく30分間と長いのに対して、春分・秋分の頃は最短く、約25分間しかありません。秋は太陽が真っ直ぐに落ちていくように沈むため、西の空が明るい薄明の時間が短く、みるみるうちに暗くなるります。「秋の日の釣瓶落とし」は主観的印象ではなく、客観的事実なのです。
『枕草子』の冒頭に「・・・・秋は夕暮れ・・・・」と記され、秋の夕暮は情趣の深いものとされています。秋に夕暮れが注目されるのにはいくつか理由があるのですが、その一つは急に日が落ちて暗くなることに拠っているのでしょう。その他の理由については、また後日書くつもりです。