うたことば歳時記

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霜降

2016-10-03 16:53:59 | 年中行事・節気・暦
 霜降と書くと現代っ子ならば牛肉の「しもふり」と読まれそうです。霜降は例年ならば10月23日か24日ごろです。霜降の次の節気は立冬ですから、秋の暮れを感じさせる時期と言うことができるでしょう。

 霜は大気中の水蒸気が冷やされて微細な氷の粒となり、地上に近い物など一面に付着いたものです。一応氷ですから、氷点、つまり0度にならなければできないのですが、気象庁が発表する気温は地上1.5mで観測されたものですから、気温が5~6度であっても、地表面付近が0度になれば霜が発生します。ですから、氷点下ほどの寒さでなくても、霜は見られるわけです。

 その年の最初の霜は初霜と言われます。気象庁のデータによれば、例年では旭川は10月8日、札幌は10月25日、仙台は11月10日、新潟は11月25日、東京は12月20日、名古屋は11月27日、京都は11月18日、大阪は12月5日、広島は12月14日、福岡は12月12日頃ということです。節気の降霜とは随分とずれていますが、そもそも霜降の時期は中国から持ち込まれた暦によるものですから、それよりずれているかどうかという議論に何の意義もありません。近年は温暖化の影響で遅くなっていますし、内陸と沿海では全く異なります。南北に長い日本で、初霜の基準を定めること自体がもう不可能なことなのです。

 節気では「霜降」と言うように、霜が発生することを「降る」とか「降りる」と言います。しかし歴史的には霜は「置く」と表現されました。「霜降」は中国伝来の漢語で、それを和らげて「降る」とか「降りる」と言うのでしょうが、大和言葉では「霜が置く」とか「結ぶ」と言います。手許にある八代集データでは、「降る」は見当たりません。「降る」「降りる」でも「置く」でもどちらでもよいのでしょうが、古風な和歌に詠むのなら、「置く」、現代短歌に詠むのなら「降る」「降りる」なのかもしれませんね。

 霜降の期間の初候は「霜始降」で、「しもはじめてふる」と読んでおきましょう。先程もお話ししましたように、これには全く意味がありません。次候は「霎時施」で、「こさめときどきふる」と読むのだそうです。日常的には使わない漢字ですから、受け売りになってしまい申し訳ありません。小雨がしとしと降るという意味だそうですが、これも意味をなさないものですね。小雨なんてその日その時その場所の気象条件で異なるのですから、そもそも七十二候に上げるべきものとしては全く相応しくありません。いつものことですが、こんな七十二候が続くと、七十二候などなくてもよいのではと思ってしまいます。

 末候は「楓蔦黄」で、「かえでつたきばむ」と読みましょう。「楓」は「もみじ」と読まれることがありますが、「もみじ」とは秋に木の葉が色付くことを意味する「もみづ」の名詞形ですから、「もみじ」とは赤や黄色に色付いた木の葉のことです。ですから古文では「紅葉」と書いても「黄葉」と書いても「もみじ」(歴史的仮名遣いでは「もみぢ」)と読みました。「楓」はカエデのことですから、「楓」を「もみじ」と読むのは正しくはありません。また屁理屈になりますが、黄色だけではなく赤色にも色付きますから、「かえでつたきばむ」ではおかしいということになるのですが、ここは大目に見て、楓や蔦が色付くということなのでしょう。

 霜降の時期に木の葉が色付くということには、それなりの意味がありそうです。古来、木の葉を色付かせるのは、霜に当たったり時雨に染められるからと理解されていたからです。そしてそのような古歌はそれこそ枚挙に暇がないほどに伝えられています。時雨とは、晩秋から初冬にかけて降る冷たい通り雨のことですから、次候を時雨と理解することは可能でしょう。この時期、もみぢ狩りに出かけることがきっとあることでしょう。木の葉が色付いているのは、霜が置いたり時雨に染められたからとおもって観賞してみて下さい。

お詫び

はじめ公表した時に霜降が降霜になってしまっていて混乱していました。単なる変換ミスなのですが、ご迷惑をおかけしました。