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うたことば歳時記

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「秋」という季節

2016-07-16 14:57:20 | うたことば歳時記
 「春と秋と、どちらが好きですか?」と問われると、さて、と首をひねってしまいます。統計を取ったわけではないのですが、以前に授業で女子高生に聞いたところ、春の方が多かったように記憶しています。一方、成人や高齢者を対象とした学校公開講座で同じことを聞いたところ、秋の方が多い結果になりました。人生を四季に喩えれば、高校生は「青春」のただ中にありますから、春という答えが多かったのももっともだと思います。そして高齢者は、まあ年齢と自覚にもよりますが、自分の人生を秋から冬にかけての時季と理解しているのでしょう。ものごとの表面的な美しさよりも、しみじみと内面的美しさを深く理解できるのだと思います。

 勅撰和歌集の部立ては、初めは春・夏・秋・冬の歌の順になっているのですが、それぞれの部の歌の数を調べてみると、多くの場合は秋が最も多く、春がそれに次ぎ、冬と夏がガクンと減ってそれに続きます。これだけで古人の季節の好みを判断することはできませんが、目安くらいにはなるでしょう。秋には、歌人の歌心を刺激する景物がたくさんあるということができます。試みに「秋」を冠する「うたことば」を思いつくままに列挙してみましょう。秋風・秋霧・秋の霜・秋田・秋山・秋草・秋の空・秋の夕暮・秋の夜・秋の夜長・秋の月など、本気で探せば、まだまだあると思います。秋という季節は、日本人の歌心をいたく刺激する季節ということができるでしょう。

 これらのうたことばを詠んだ秋の歌には、寂寥感がただよう歌がたくさんあります。ただし『万葉集』の秋の歌には、そのような傾向がありません。『古今和歌集』以後に現れてくるのですが、その数は時代が降るにつれて多くなるようです。古代から中世にかけて、日本人は「寂寥」という新しい美的感覚を持つようになりました。この美的感覚は本居宣長が「もののあはれ」と表現したことに始まり、中世の「侘び・さび」に連なると言うことができるでしょう。

 秋は収穫の季節でもあるので、本来ならば収穫の喜びを表す歌があってもよいと思います。しかし勅撰和歌集などにはそのような歌はほとんどありません。それは勅撰和歌集に歌を残すような階級の人々には、農民の視点がなかったからだと思います。

 それでは『古今和歌集』以後の和歌集から、秋の歌を拾ってみましょう。

 ①木の間より漏りくる月の影みれば心づくしの秋は来にけり  (古今集 秋 184)
 ②わがために来る秋にしもあらなくに虫の音聞けばまずぞかなしき (古今集 秋 186)
 ③物ごとに秋ぞかなしきもみぢつつ移ろひゆくをかぎりと思へば  (古今集 秋 187)
 ④月見ればちぢに物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど (古今集 秋 193)
 ⑤奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声きくときぞ秋はかなしき  (古今集 秋 215)
 ⑥今よりは植ゑてだに見じ花すすき穂にいづる秋はわびしかりけり (古今集 秋 242)
 ⑦五月雨に濡れにし袖にいとどしく露置きそふる秋のわびしき  (後撰集 秋 277)
 ⑧何となくものぞかなしき秋風の身にしむ夜半の旅の寝覚めは (千載集 雑 1168) 
 ⑨寂しさはその色としもなかりけり真木たつ山の秋の夕暮  (新古今 秋 361) 
 
 ①から⑨に共通しているのは、何かを見たり聞いたりすると、無性にもの寂しくなるということです。①では木の間から漏れてくる月の光、②では虫の鳴き声、③では色付いては散るもみぢ、④では月、⑤では鹿の声、⑥ではすすきの穂、⑦では露、➇では秋風、⑨では夕暮が詠まれていますが、これらはいずれも秋の重要な景物ばかりです。

 ①の「心づくし」という言葉はとても重要です。現在の「心づくしのおもてなし」という場合の「心づくし」とは意味が異なり、「心が尽きてしまうほどに気をもむ」という意味です。③では「物ごとに」というのですから、何を見ても物がもみぢのように移ろうので秋はもの哀しい、というのです。『新古今和歌集』には、⑨に続いて末尾が「・・・・秋の夕暮」となる歌が⑨を含めて三つ並び、「三夕の歌」として特によく知られています。このように人の心を感傷的にさせるような秋を、うたことばでは「心尽くしの秋」とか「物思ふ秋」と言います。③のように、「物ごとに」、もう何を見ても聞いても、古人は感傷的になったのでした。

 そのような感覚は春の歌より秋の歌に顕著に表れます。

 ⑩春はただ花のひとへに咲くばかり物のあはれは秋ぞまされる (拾遺集 雑 511)
 ⑪かくしこそ春の始めはうれしけれつらきは秋の終りなりけり (拾遺集 雑 544)

 ⑩と⑪は春と秋を比較している歌です。待ち焦がれた春は、ただ桜の美しさを愛でているばかりでしたのに、秋は「物のあはれ」がまさり、春よりもしみじみとした心持ちになるというのです。「もののあはれ」とは、ある物に接したとき、理屈抜きに自ずから湧いてくるしみじみとした情感のことです。⑪は、詞書きによれば、前年の秋に娘を亡くし、今年の春に孫が昇進した人の歌ですから、多少は割り引かなければならないでしょうが、春は嬉しいが秋は辛いと詠んでいます。

 春と秋の情趣の比較については、『徒然草』の十九段に、よく知られた話が記されています。少々長いのですが、原文と現代訳を載せてみましょう。

「折節のうつりかはるこそ、ものごとにあはれなれ。「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとにいふめれど、それもさるものにて、今一きは心もうきたつものは、春の気色にこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草萌えいづるころより、やや春ふかく霞みわたりて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、折しも雨風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ。青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり恋しう思ひ出でらるる。山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。」

「季節の移り変わりこそ、何事につけても味わい深いものである。「もののあはれは秋がまさっている」と誰もが言うが、それも一理ある。しかし、今ひときわ心浮き立つものは、春の風物の様子でこそあるだろう。鳥の声なども特に春めいて、のどかな日の光の中、垣根の草が萌え始める頃から、次第に春が深くなってきて霞が立ち込めて、花も次第に色づいてくる、そのような折に、雨風がうち続いて、心はせわしなく思ううちに散ってしまう。(花が散って)青葉になるまで、何かにつけて心を悩ませる。花橘は昔を思い出させるものとされているが、それでもやはり梅の花の香りにこそ、昔のことも今が昔に立ち返って思い出される。山吹が清らかに咲いているのも、藤の花房がおぼろにかすんでいる様も、すべて、思い捨てがたいことが多い。

 要するに、一般には「もののあはれは秋がまさっている」と言われていますが、春のもののあわれもなかなかのものですよ、というのです。もちろん『徒然草』の説くところに私も異論はありません。その通りだと思います。しかし一般的には、「もののあはれは秋こそまされ」と人は言うとも言っているのです。

 この感覚の相異は何に因っているのでしょうか。それは春は待たれる季節であるのに対して、秋は惜しまれる季節であることに因るのではないかと思います。春を待ち焦がれる歌は多いのですが、秋を待つ歌は意外に少ない。それは凌ぎやすい秋を期待しつつも、どこかもの寂しさを感じるからなのではないでしょうか。また「あき」という音が「飽き」と同音で、恋の終わりを予感させること。そう言えば「今はもう秋、誰もいない海、知らん顔して人は行き過ぎても・・・・」という歌謡曲がありましたね。秋に恋の終わりを感じることは、今も昔も変わらないのでしょう。また人生を四季に喩え、衰えゆく時期の象徴として理解されることなども手伝っていることでしょう。このような秋を、うたことばでは「心の秋」とか「人の秋」と言います。

 ⑫しぐれつつもみづるよりも言の葉の心のあきに逢ふぞわびしき (古今集 恋 820)
 ⑬色かはる萩の下葉を見てもまづ人の心の秋ぞ知らるる (新古今 恋 1353)

 ⑫の「もみづ」とは「紅葉する」という意味で、時雨に濡れて木の葉が色付くよりも、木の葉ならぬ人の「言の葉」(ことのは)が色変わりする、即ち人の心が変わり愛情が失せてしまったことを嘆いている歌です。⑬は、色付いた萩の葉を見ても、恋人の心変わりする秋であることがわかることだ、というのです。このような秋を、⑫⑬にあるように、うたことばでは「心の秋」とか「人の秋」と言います。

 長々とお話ししてきましたが、要するに秋という季節は、美しい自然の移ろいを喜びながらも、それが長くは続かないことを知っていて、惜しまれる季節でありました。秋の寂寥を詠んだ歌に多くの秋の景物が詠まれていたことが、そのことをよく物語っています。また「飽き」に通じることから、春に芽生え、夏に燃えさかった恋も、飽きられて終わる季節でありました。また人生を四季に喩えて、冬に象徴される人生の幕引きが近付く哀しさを実感する季節でもありました。

 今日は7月16日。一カ月もしないうちに立秋を迎えます。暑い最中ですが、しみじみと近寄ってくる秋を味わいたいものです。人生を四季に喩えると、私はもう中秋か晩秋(季秋)の頃でしょう。ひょっとして、もう冬かもしれません。


○幾年か残る齢(よはひ)になずらへてねぐらにかへる烏数ふる



蝉の羽衣

2016-07-10 10:03:56 | うたことば歳時記
先週には早くもヒグラシが鳴き初め、一昨日からはニイニイゼミも鳴き始めました。例年ならニイニイゼミの方が早いのですが、気の早いヒグラシが何匹かいたようです。いずれアブラゼミとミンミンゼミが鳴き、秋になるとツクツクホウシも鳴くことでしょう。このあたりにはクマゼミはいないようです。松尾芭蕉は「静かさや」なんて詠んでいますが、まあ聞きようによってはそう思うこともあります。それでもミンミンゼミが「眠眠、ミンミン」とすぐそばで鳴くと、眠れと言われてもそう大きな声を出されては、うるさくて昼寝もできません。

 蝉を詠んだ古歌は決して少ないわけではないのですが、種類名まで詠まれるのは蜩(ひぐらし)で、その他には僅かに法師蝉(つくつくほうし)が散見する程度です。蝉というとまずその特徴的な鳴き声が詠まれそうなものですが、夏の部の歌に最初に登場するのは鳴き声ではなく、「蝉の羽衣」と称するその薄い羽でした。逆に現代人は蝉の羽にはそれ程関心を持たないでしょうね。

 ①鳴く声はまだ聞かねども蝉の羽の薄き衣はたちぞ着てける (拾遺集 夏 79)
 ②一重なる蝉の羽衣夏はなほ薄しといへどあつくぞありける (後拾遺 夏 218)
 ③今朝かふる蝉の羽衣きてみればたもとに夏は立つにぞありける (千載集 夏 137)

 ①は『拾遺和歌集』の夏の部の巻頭歌です。蝉の声はまだ聞こえないけれども、蝉の羽衣のように薄い夏衣を、今日、裁ち縫って着たことです、という意味です。どこにも立夏の日とは詠まれていませんが、夏の最初の歌であり、「たつ」という音が夏が立つことを暗示しています。また古には実際の気温の如何に関わらず、旧暦四月一日が衣更の日とされていました。立夏と四月一日が同じ日とは限りませんが、そのどちらかの日の歌でしょう。

 ②は洒落の歌です。蝉の羽衣は夏衣のように薄い単衣ですが、「薄い」とは言うものの、暑いことです、というわけで、「厚い」と「暑い」をかけているわけです。夏衣はみな一重でした。おそらく麻で織った風通しのよい服だったことでしょう。糸の目が粗ければ、蜩の羽のように透けて見えたことと思います。蚊帳は麻布ですから、蚊帳を思い浮かべるとよいのでしょう。当時はまだ木綿の布はなく、夏には麻布が適していたはずです。ただし麻布は保温性が低いので、寒い季節には向いていませんでした。私も夏には好んで麻布の服を着ます。

 ③も更衣の日の歌でしょう。蝉の羽衣のように透けて見える薄い夏衣を着た涼しさを、「たもとに夏が立つ」と個性的に詠んでいます。「立つ」は①と逆に「裁つ」を響かせ、縫い上がったばかりの衣を着る喜びも表しているわけです。

 しかしいくら風通しのよい麻布の夏衣とは言うものの、真夏はさぞかし暑かったことでしょうね。Tシャツに半ズボンというわけにはいかなかったのですから。それでも我が家には未だにクーラーなる文明の利器はありませんが、周囲に樹木が多いためか、慣れてしまえば何でもありません。また現在ほど夏が暑くなかったのかもしれません。私の小学生時代の夏の絵日記には、暑いと言っても32~34度くらいにしかなっていません。今日の最高気温は31度だそうで、過ごしやすい日になりそうです。

百合(深草百合)

2016-06-27 16:59:12 | うたことば歳時記
「百合」と書いて「ゆり」と読みますが、鱗片が重なって球根(球茎)を形作っていることによる呼称でしょう。キリスト教世界ではイエス・キリスト復活のシンボルとして「イースター・リリー」と呼ばれ、また聖母マリアの花(マドンナ・リリー)とも理解され、神聖な花として尊ばれています。キリスト教徒の墓石に百合の花が刻まれるのも、百合に象徴される復活にあやかりたいからにほかなりません。日本でも『古事記』『日本書紀』にも登場しています。

 『古事記』では、神武天皇が后妃として伊須気余理比売(いすけよりひめ)を選ぶ際に、姫の家の側の川岸に山百合がたくさん咲いていたので、百合の古語である「さい」によって「佐韋河」と名付けたという逸話が記されています。その背景としては、百合の花を美しい女性に見立てるという理解があったからなのでしょう。
 
『万葉集』にも11首詠まれ、古くから身近な花でしたが、『古今和歌集』以後の三代集では歌の題としては全く注目されず、院政期になると再び詠まれるようになります。
  ①道の辺の草深百合の花咲(ゑみ)に咲(ゑ)みしがからに妻と言ふべしや(万葉集 1257)
  ②夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ(万葉集 1550)
 ①は、百合の花のようにちょっと微笑んだだけで、妻であると言うべきでしょうか、という意味で、求婚を断る女性の歌ということです。②は、夏野の茂みにひっそりと咲いている姫百合のように、相手に思いを伝えられない恋は苦しいもの、という意味です。歌の内容はともかく、ここでは百合の花は草深い中にひっそりと咲く、即ち、言うに言われぬ乙女の片思いという理解に注目しましょう。「草深百合」と詠む歌は他にもあり、慣用的表現となっていたらしいのです。もちろん直接の関係は何もないのですが、『旧約聖書』の「雅歌」2章21節にも、「いばらの中に百合の花があるようだ」と記されていて、いばらの茂みの中の百合が注目されています。

 さて「ゆり」とは、上代の言葉で「後」とか「将来」ということを意味します。そこでこの同音異義を掛けた百合の歌が詠まれました。
  ③路の辺の草深百合の後(ゆり)にとふ妹が命を我知らめやも (万葉集 2467)
  ④吾妹子(わぎもこ)が家の垣内(かきつ)の小百合花後(ゆり)と言へるは不欲(いな)と言ふに似む (万葉集 1503)
③は、「後で」と言うあなたの命を私は知らない、(だから早く逢いたい)という意味。④は、後でお逢いしましょうというのは、逢いたくないと言っているのと同じ、という意味です。③も④も「百合」は同じ音の「後(ゆり)」を導く枕詞・序詞として詠まれていますが、それだけではなく恋人の印象をも兼ねていて、『万葉集』としては手の込んだ歌です。このように同音異義語を活かして詠むことは、現代短歌の歌人にはつまらぬ技巧と退けられるでしょうが、本来の和歌にはごく普通に見られることでした。
 現代人にとって百合の花は、花屋で買い求める花であり、野生の百合を見る機会は少なくなってしまいました。もし夏草の中に野生の百合を見ることがあれば、それは価値ある見物なのです。この年齢になりますと、今さら「人に知られぬ恋」でもありませんが、若い方々は、そのような思いを重ねて、しみじみと「草深百合」を御覧になってください。我が家の周辺では、大正末期に台湾から伝えられたとされる「高砂百合」(タカサゴユリ)が、数え切れないほどたくさん咲きます。種が風に飛ばされて容易に増殖するので、密集して咲いているところもあります。周囲を背丈の高い草に囲まれても咲いているので、それこそ「深草百合」だと楽しんではいるのですが、花が数日しかもたないのが欠点です。

 古来からの百合の理解を踏まえて、私も一首詠んでみました。少々おのろけの歌ですが・・・・。
  ○吾妹子(わぎもこ)に恋こそまされ夏草の草深百合の後(ゆり)もかはらず  

撫でし子(なでしこ)

2016-06-16 14:46:33 | うたことば歳時記
ナデシコを漢字で書けますか。これがなかなか難しいのです。『万葉集』では「瞿麦」や「石竹」と表記されていますが、『古今和歌集』以後は「常夏」と書かることがあります。もっとも「常夏」はナデシコの別名であって、「とこなつ」と読まれ、「なでしこ」と読んだわけではなさそうです。「なでしこ」と読む場合は、「撫子」と表記されるようになります。

 その「撫子」ですが、同音異義語の大好きな古人は「慈しんで撫(な)でた子供」という意味に理解し、次のような歌が詠まれました。
  ①あな恋し今も見てしが山賤(やまがつ)の垣ほに咲ける大和なでしこ (古今集 恋 695)
  ②双葉(ふたば)よりわが標(し)めゆひし撫子の花のさかりを人に折らすな (後撰集 夏 183)
  ③よそへつつ見れど露だに慰まずいかにかすべきなでしこの花(新古今 雑 1494)

 ①は、ああ恋しくて今も逢いたいものだ。山に住む人の垣根に咲いていたあの大和なでしこのような可愛いあの娘を、という意味です。詞書きがないので具体的なことはわかりませんが、なでしこの花を可愛い女の子に喩えているのです。作者はその娘がまだ幼い頃から可愛がっていたのでしょう。次第に成長してくると、可愛いだけではなく、年頃の女性として恋心が芽生えたのかもしれません。

 「なでしこ」はもちろん「撫でし子」です。「し」(き)は、文法的には過去を表す助動詞で、主に話し手自身の直接体験を 回想する場合に用いられ、「自己体験過去」の助動詞とも呼ばれます。ですから特に説明されなくとも、「幼い頃に私が撫でて可愛がった可愛い子」という意味を背後に含んでいるのです。(余談ですが、現代短歌ではこの自己体験過去の助動詞を、単なる過去を表す言葉として、自己体験以外にも乱用しているのは、時代の趨勢とはいえ、少々残念なところです。)

 ②には、「女子持て侍りける人に、思ふ心侍りてつかはしける」という詞書があります。「標(しめ)をゆふ」とは標縄を張って占有を表す行為ですから、「双葉・・・・撫子の花」は、「幼い頃から撫でるようにして大切に育てた乙女」という意味。それを「人に折らすな」というのですから、「他の男に取らせるな」という意味です。現代人には理解しかねる倫理観かもしれませんが、『源氏物語』の光源氏も紫の上を同じように育てて妻に迎えていますから、王朝時代には許されることだったのでしょう。

 ③は詞書きによれば、母がなかなか訪ねてこない息子に、なでしこの花と一緒に贈った歌で、なでしこの花をお前だと思って眺めてみるが、少しも心が慰められない、という意味です。要するに、寂しいから母に逢いに来て欲しいと訴えているのです。なでしこの花が「幼い頃から可愛がってきた可愛い子」を意味することが、共通理解となっていたことがわかります。

 このような幼児からの類想で、親に先立たれた遺児という理解も生まれます。
  ④見るままに露ぞこぼるる後れにし心も知らぬ撫子の花 (後拾遺 哀傷 569)
長い詞書などによれば、父である一条天皇が亡くなった後、わずか4歳の皇子(後の後一条天皇)が、父の死もわからずに傍らの撫子の花を手に取った姿を、これもわずか24歳の母である上東門院(藤原道長の娘、彰子)が見て詠んだ歌ということです。要するに、父の死を実感できない幼児のことを、母が詠んだ哀しみの歌なのです。「後(おく)る」とは、遅くなるということではなく、「愛する者と死に別れる」という意味。「露」はもちろん「涙」の比喩です。まさに「撫でし子」が実感される歌ですね。現代短歌では同音異義語にほとんど関心がもたれないのですが、このように撫子の印象をより豊かにしてくれる可愛い理解を、もっと大切にしたいものです。

 現代では母の日に子供が母にカーネーションを贈る習慣がありますが、カーネーションは江戸時代には「オランダなでしこ」と呼ばれ、なでしこの仲間です。もちろん偶然のことですが、古の日本では、母が愛しい子を連想する花であったのです。

納涼の古歌

2016-06-09 21:11:56 | うたことば歳時記
 まだ猛暑日には遠いのですが、猛暑を少々先取りして、納涼の古歌を探してみました。そもそも「納涼」と言う言葉は、わかりにくい言葉ですね。「涼しさを納める」ってどんな意味なのか。涼しさをどこかに納めてしまっては、かえって暑くなってしまうのでは。そんな考えも一瞬よぎるでしょうが、「納」とは、小屋を表す象形文字の「冂」に、入れることを意味する「入」を組み合わせた会意文字「内」と、糸や織物を意味する「糸」を組み合わせ、税として糸などを倉に入れ込むことを表す文字です。ですから、納涼とは、家の中に涼しさを採り入れるというのが、本来の意味のようです。なお余談ですが、

 それでは、納涼の古歌を並べてみましょう。
 ①夏山の楢の葉そよぐ夕暮はことしも秋の心地こそすれ (後拾遺 夏 231)
②夏衣たつた川原の柳かげ涼みにきつつ慣らす頃かな (後拾遺 夏 220)   
③山かげや岩もる清水の音さえて夏のほかなるひぐらしの声 (千載集 夏 210)
 ④夕されば玉ゐる数も見えねども関の小川の音ぞ涼しき (千載集 夏 211)
 ⑤さらぬだに光涼しき夏の夜の月を清水にやどしてぞ見る (千載集 夏 213)
 ⑥わが宿のそともにたてる楢の葉のしげみに涼む夏は来にけり (新古今 夏 250)  
 ⑦むすぶ手に扇の風も忘られてわぼろの清水すずしかりけり  (堀河院百首 夏 533)

 ①と⑥では、楢の木蔭が、②では柳の木蔭が詠まれています。楢はいわゆる団栗の木の一種で、柏程ではないですが、葉は幅が広いのでしっかりとした木蔭ができます。そのため、このような歌が詠まれたわけです。②の柳は枝垂柳か川柳か判別できませんが、水辺を好む柳ですから、涼しさが感じられることでしょう。
③④⑦では清水やその流れる音、⑤では清水の水面に映る月影が詠まれています。③にはひぐらしが詠まれていますが、ひぐらしが鳴くのは早朝か夕方ですから、その涼しげな鳴き声も相俟って、涼しさを感じられることでしょう。①④でも夕暮れが詠まれています。⑦の「むすぶ」は水を掌ですくうという意味です。

 こうしてみると、クーラーのない時代、真夏に涼しさを自然に感じられる場所は清流の水辺や木蔭であり、また涼しさを感じられる時間帯は、夕暮れや夜でした。そう言えば『枕草子』にも「春はあけぼの・・・・夏は夜」と記されていましたね。クーラーに慣れきってしまった現代人なら、この程度では涼めないのかもしれませんが、私の幼い頃、つまりクーラーのなかった頃は、夕方に縁側で涼んだり、木蔭に宿ってほっとしたものでした。子供の頃の夏休日記の天気の記録を見ても、35度を超えるようなことはなく、それだけでも十分に納涼になっていたと思います。

 このところ忙しさと体調不良で、ブログを書けない日が続きました。頑張りすぎると続きませんから、のんびりやるつもりです。ながーくお付き合い下さい。


追記

有り難いことに読者の方が、私が上げた以外にも納涼の歌を教えて下さいました。せっかくの御指摘ですので、ここに御紹介いたします。

 摂政太政大臣
かさねても涼しかりけり夏衣うすきたもとにやどる月かげ
 藤原有家朝臣
すずしさは秋やかへりてはつせ川ふる川の辺の杉のしたかげ
 西行法師
道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ
 西行法師
よられつる野もせの草のかげろひてすずしく曇る夕立の空
 藤原清輔朝臣
おのづから涼しくもあるか夏衣ひもゆふぐれの雨のなごりに

西行の「道の辺に・・・・」の歌は、後に松尾芭蕉が奥の細道でも本歌にする、よく知られた歌ですね。ありがとうございます。