「春と秋と、どちらが好きですか?」と問われると、さて、と首をひねってしまいます。統計を取ったわけではないのですが、以前に授業で女子高生に聞いたところ、春の方が多かったように記憶しています。一方、成人や高齢者を対象とした学校公開講座で同じことを聞いたところ、秋の方が多い結果になりました。人生を四季に喩えれば、高校生は「青春」のただ中にありますから、春という答えが多かったのももっともだと思います。そして高齢者は、まあ年齢と自覚にもよりますが、自分の人生を秋から冬にかけての時季と理解しているのでしょう。ものごとの表面的な美しさよりも、しみじみと内面的美しさを深く理解できるのだと思います。
勅撰和歌集の部立ては、初めは春・夏・秋・冬の歌の順になっているのですが、それぞれの部の歌の数を調べてみると、多くの場合は秋が最も多く、春がそれに次ぎ、冬と夏がガクンと減ってそれに続きます。これだけで古人の季節の好みを判断することはできませんが、目安くらいにはなるでしょう。秋には、歌人の歌心を刺激する景物がたくさんあるということができます。試みに「秋」を冠する「うたことば」を思いつくままに列挙してみましょう。秋風・秋霧・秋の霜・秋田・秋山・秋草・秋の空・秋の夕暮・秋の夜・秋の夜長・秋の月など、本気で探せば、まだまだあると思います。秋という季節は、日本人の歌心をいたく刺激する季節ということができるでしょう。
これらのうたことばを詠んだ秋の歌には、寂寥感がただよう歌がたくさんあります。ただし『万葉集』の秋の歌には、そのような傾向がありません。『古今和歌集』以後に現れてくるのですが、その数は時代が降るにつれて多くなるようです。古代から中世にかけて、日本人は「寂寥」という新しい美的感覚を持つようになりました。この美的感覚は本居宣長が「もののあはれ」と表現したことに始まり、中世の「侘び・さび」に連なると言うことができるでしょう。
秋は収穫の季節でもあるので、本来ならば収穫の喜びを表す歌があってもよいと思います。しかし勅撰和歌集などにはそのような歌はほとんどありません。それは勅撰和歌集に歌を残すような階級の人々には、農民の視点がなかったからだと思います。
それでは『古今和歌集』以後の和歌集から、秋の歌を拾ってみましょう。
①木の間より漏りくる月の影みれば心づくしの秋は来にけり (古今集 秋 184)
②わがために来る秋にしもあらなくに虫の音聞けばまずぞかなしき (古今集 秋 186)
③物ごとに秋ぞかなしきもみぢつつ移ろひゆくをかぎりと思へば (古今集 秋 187)
④月見ればちぢに物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど (古今集 秋 193)
⑤奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声きくときぞ秋はかなしき (古今集 秋 215)
⑥今よりは植ゑてだに見じ花すすき穂にいづる秋はわびしかりけり (古今集 秋 242)
⑦五月雨に濡れにし袖にいとどしく露置きそふる秋のわびしき (後撰集 秋 277)
⑧何となくものぞかなしき秋風の身にしむ夜半の旅の寝覚めは (千載集 雑 1168)
⑨寂しさはその色としもなかりけり真木たつ山の秋の夕暮 (新古今 秋 361)
①から⑨に共通しているのは、何かを見たり聞いたりすると、無性にもの寂しくなるということです。①では木の間から漏れてくる月の光、②では虫の鳴き声、③では色付いては散るもみぢ、④では月、⑤では鹿の声、⑥ではすすきの穂、⑦では露、➇では秋風、⑨では夕暮が詠まれていますが、これらはいずれも秋の重要な景物ばかりです。
①の「心づくし」という言葉はとても重要です。現在の「心づくしのおもてなし」という場合の「心づくし」とは意味が異なり、「心が尽きてしまうほどに気をもむ」という意味です。③では「物ごとに」というのですから、何を見ても物がもみぢのように移ろうので秋はもの哀しい、というのです。『新古今和歌集』には、⑨に続いて末尾が「・・・・秋の夕暮」となる歌が⑨を含めて三つ並び、「三夕の歌」として特によく知られています。このように人の心を感傷的にさせるような秋を、うたことばでは「心尽くしの秋」とか「物思ふ秋」と言います。③のように、「物ごとに」、もう何を見ても聞いても、古人は感傷的になったのでした。
そのような感覚は春の歌より秋の歌に顕著に表れます。
⑩春はただ花のひとへに咲くばかり物のあはれは秋ぞまされる (拾遺集 雑 511)
⑪かくしこそ春の始めはうれしけれつらきは秋の終りなりけり (拾遺集 雑 544)
⑩と⑪は春と秋を比較している歌です。待ち焦がれた春は、ただ桜の美しさを愛でているばかりでしたのに、秋は「物のあはれ」がまさり、春よりもしみじみとした心持ちになるというのです。「もののあはれ」とは、ある物に接したとき、理屈抜きに自ずから湧いてくるしみじみとした情感のことです。⑪は、詞書きによれば、前年の秋に娘を亡くし、今年の春に孫が昇進した人の歌ですから、多少は割り引かなければならないでしょうが、春は嬉しいが秋は辛いと詠んでいます。
春と秋の情趣の比較については、『徒然草』の十九段に、よく知られた話が記されています。少々長いのですが、原文と現代訳を載せてみましょう。
「折節のうつりかはるこそ、ものごとにあはれなれ。「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとにいふめれど、それもさるものにて、今一きは心もうきたつものは、春の気色にこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草萌えいづるころより、やや春ふかく霞みわたりて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、折しも雨風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ。青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり恋しう思ひ出でらるる。山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。」
「季節の移り変わりこそ、何事につけても味わい深いものである。「もののあはれは秋がまさっている」と誰もが言うが、それも一理ある。しかし、今ひときわ心浮き立つものは、春の風物の様子でこそあるだろう。鳥の声なども特に春めいて、のどかな日の光の中、垣根の草が萌え始める頃から、次第に春が深くなってきて霞が立ち込めて、花も次第に色づいてくる、そのような折に、雨風がうち続いて、心はせわしなく思ううちに散ってしまう。(花が散って)青葉になるまで、何かにつけて心を悩ませる。花橘は昔を思い出させるものとされているが、それでもやはり梅の花の香りにこそ、昔のことも今が昔に立ち返って思い出される。山吹が清らかに咲いているのも、藤の花房がおぼろにかすんでいる様も、すべて、思い捨てがたいことが多い。
要するに、一般には「もののあはれは秋がまさっている」と言われていますが、春のもののあわれもなかなかのものですよ、というのです。もちろん『徒然草』の説くところに私も異論はありません。その通りだと思います。しかし一般的には、「もののあはれは秋こそまされ」と人は言うとも言っているのです。
この感覚の相異は何に因っているのでしょうか。それは春は待たれる季節であるのに対して、秋は惜しまれる季節であることに因るのではないかと思います。春を待ち焦がれる歌は多いのですが、秋を待つ歌は意外に少ない。それは凌ぎやすい秋を期待しつつも、どこかもの寂しさを感じるからなのではないでしょうか。また「あき」という音が「飽き」と同音で、恋の終わりを予感させること。そう言えば「今はもう秋、誰もいない海、知らん顔して人は行き過ぎても・・・・」という歌謡曲がありましたね。秋に恋の終わりを感じることは、今も昔も変わらないのでしょう。また人生を四季に喩え、衰えゆく時期の象徴として理解されることなども手伝っていることでしょう。このような秋を、うたことばでは「心の秋」とか「人の秋」と言います。
⑫しぐれつつもみづるよりも言の葉の心のあきに逢ふぞわびしき (古今集 恋 820)
⑬色かはる萩の下葉を見てもまづ人の心の秋ぞ知らるる (新古今 恋 1353)
⑫の「もみづ」とは「紅葉する」という意味で、時雨に濡れて木の葉が色付くよりも、木の葉ならぬ人の「言の葉」(ことのは)が色変わりする、即ち人の心が変わり愛情が失せてしまったことを嘆いている歌です。⑬は、色付いた萩の葉を見ても、恋人の心変わりする秋であることがわかることだ、というのです。このような秋を、⑫⑬にあるように、うたことばでは「心の秋」とか「人の秋」と言います。
長々とお話ししてきましたが、要するに秋という季節は、美しい自然の移ろいを喜びながらも、それが長くは続かないことを知っていて、惜しまれる季節でありました。秋の寂寥を詠んだ歌に多くの秋の景物が詠まれていたことが、そのことをよく物語っています。また「飽き」に通じることから、春に芽生え、夏に燃えさかった恋も、飽きられて終わる季節でありました。また人生を四季に喩えて、冬に象徴される人生の幕引きが近付く哀しさを実感する季節でもありました。
今日は7月16日。一カ月もしないうちに立秋を迎えます。暑い最中ですが、しみじみと近寄ってくる秋を味わいたいものです。人生を四季に喩えると、私はもう中秋か晩秋(季秋)の頃でしょう。ひょっとして、もう冬かもしれません。
○幾年か残る齢(よはひ)になずらへてねぐらにかへる烏数ふる
勅撰和歌集の部立ては、初めは春・夏・秋・冬の歌の順になっているのですが、それぞれの部の歌の数を調べてみると、多くの場合は秋が最も多く、春がそれに次ぎ、冬と夏がガクンと減ってそれに続きます。これだけで古人の季節の好みを判断することはできませんが、目安くらいにはなるでしょう。秋には、歌人の歌心を刺激する景物がたくさんあるということができます。試みに「秋」を冠する「うたことば」を思いつくままに列挙してみましょう。秋風・秋霧・秋の霜・秋田・秋山・秋草・秋の空・秋の夕暮・秋の夜・秋の夜長・秋の月など、本気で探せば、まだまだあると思います。秋という季節は、日本人の歌心をいたく刺激する季節ということができるでしょう。
これらのうたことばを詠んだ秋の歌には、寂寥感がただよう歌がたくさんあります。ただし『万葉集』の秋の歌には、そのような傾向がありません。『古今和歌集』以後に現れてくるのですが、その数は時代が降るにつれて多くなるようです。古代から中世にかけて、日本人は「寂寥」という新しい美的感覚を持つようになりました。この美的感覚は本居宣長が「もののあはれ」と表現したことに始まり、中世の「侘び・さび」に連なると言うことができるでしょう。
秋は収穫の季節でもあるので、本来ならば収穫の喜びを表す歌があってもよいと思います。しかし勅撰和歌集などにはそのような歌はほとんどありません。それは勅撰和歌集に歌を残すような階級の人々には、農民の視点がなかったからだと思います。
それでは『古今和歌集』以後の和歌集から、秋の歌を拾ってみましょう。
①木の間より漏りくる月の影みれば心づくしの秋は来にけり (古今集 秋 184)
②わがために来る秋にしもあらなくに虫の音聞けばまずぞかなしき (古今集 秋 186)
③物ごとに秋ぞかなしきもみぢつつ移ろひゆくをかぎりと思へば (古今集 秋 187)
④月見ればちぢに物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど (古今集 秋 193)
⑤奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声きくときぞ秋はかなしき (古今集 秋 215)
⑥今よりは植ゑてだに見じ花すすき穂にいづる秋はわびしかりけり (古今集 秋 242)
⑦五月雨に濡れにし袖にいとどしく露置きそふる秋のわびしき (後撰集 秋 277)
⑧何となくものぞかなしき秋風の身にしむ夜半の旅の寝覚めは (千載集 雑 1168)
⑨寂しさはその色としもなかりけり真木たつ山の秋の夕暮 (新古今 秋 361)
①から⑨に共通しているのは、何かを見たり聞いたりすると、無性にもの寂しくなるということです。①では木の間から漏れてくる月の光、②では虫の鳴き声、③では色付いては散るもみぢ、④では月、⑤では鹿の声、⑥ではすすきの穂、⑦では露、➇では秋風、⑨では夕暮が詠まれていますが、これらはいずれも秋の重要な景物ばかりです。
①の「心づくし」という言葉はとても重要です。現在の「心づくしのおもてなし」という場合の「心づくし」とは意味が異なり、「心が尽きてしまうほどに気をもむ」という意味です。③では「物ごとに」というのですから、何を見ても物がもみぢのように移ろうので秋はもの哀しい、というのです。『新古今和歌集』には、⑨に続いて末尾が「・・・・秋の夕暮」となる歌が⑨を含めて三つ並び、「三夕の歌」として特によく知られています。このように人の心を感傷的にさせるような秋を、うたことばでは「心尽くしの秋」とか「物思ふ秋」と言います。③のように、「物ごとに」、もう何を見ても聞いても、古人は感傷的になったのでした。
そのような感覚は春の歌より秋の歌に顕著に表れます。
⑩春はただ花のひとへに咲くばかり物のあはれは秋ぞまされる (拾遺集 雑 511)
⑪かくしこそ春の始めはうれしけれつらきは秋の終りなりけり (拾遺集 雑 544)
⑩と⑪は春と秋を比較している歌です。待ち焦がれた春は、ただ桜の美しさを愛でているばかりでしたのに、秋は「物のあはれ」がまさり、春よりもしみじみとした心持ちになるというのです。「もののあはれ」とは、ある物に接したとき、理屈抜きに自ずから湧いてくるしみじみとした情感のことです。⑪は、詞書きによれば、前年の秋に娘を亡くし、今年の春に孫が昇進した人の歌ですから、多少は割り引かなければならないでしょうが、春は嬉しいが秋は辛いと詠んでいます。
春と秋の情趣の比較については、『徒然草』の十九段に、よく知られた話が記されています。少々長いのですが、原文と現代訳を載せてみましょう。
「折節のうつりかはるこそ、ものごとにあはれなれ。「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとにいふめれど、それもさるものにて、今一きは心もうきたつものは、春の気色にこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草萌えいづるころより、やや春ふかく霞みわたりて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、折しも雨風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ。青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり恋しう思ひ出でらるる。山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。」
「季節の移り変わりこそ、何事につけても味わい深いものである。「もののあはれは秋がまさっている」と誰もが言うが、それも一理ある。しかし、今ひときわ心浮き立つものは、春の風物の様子でこそあるだろう。鳥の声なども特に春めいて、のどかな日の光の中、垣根の草が萌え始める頃から、次第に春が深くなってきて霞が立ち込めて、花も次第に色づいてくる、そのような折に、雨風がうち続いて、心はせわしなく思ううちに散ってしまう。(花が散って)青葉になるまで、何かにつけて心を悩ませる。花橘は昔を思い出させるものとされているが、それでもやはり梅の花の香りにこそ、昔のことも今が昔に立ち返って思い出される。山吹が清らかに咲いているのも、藤の花房がおぼろにかすんでいる様も、すべて、思い捨てがたいことが多い。
要するに、一般には「もののあはれは秋がまさっている」と言われていますが、春のもののあわれもなかなかのものですよ、というのです。もちろん『徒然草』の説くところに私も異論はありません。その通りだと思います。しかし一般的には、「もののあはれは秋こそまされ」と人は言うとも言っているのです。
この感覚の相異は何に因っているのでしょうか。それは春は待たれる季節であるのに対して、秋は惜しまれる季節であることに因るのではないかと思います。春を待ち焦がれる歌は多いのですが、秋を待つ歌は意外に少ない。それは凌ぎやすい秋を期待しつつも、どこかもの寂しさを感じるからなのではないでしょうか。また「あき」という音が「飽き」と同音で、恋の終わりを予感させること。そう言えば「今はもう秋、誰もいない海、知らん顔して人は行き過ぎても・・・・」という歌謡曲がありましたね。秋に恋の終わりを感じることは、今も昔も変わらないのでしょう。また人生を四季に喩え、衰えゆく時期の象徴として理解されることなども手伝っていることでしょう。このような秋を、うたことばでは「心の秋」とか「人の秋」と言います。
⑫しぐれつつもみづるよりも言の葉の心のあきに逢ふぞわびしき (古今集 恋 820)
⑬色かはる萩の下葉を見てもまづ人の心の秋ぞ知らるる (新古今 恋 1353)
⑫の「もみづ」とは「紅葉する」という意味で、時雨に濡れて木の葉が色付くよりも、木の葉ならぬ人の「言の葉」(ことのは)が色変わりする、即ち人の心が変わり愛情が失せてしまったことを嘆いている歌です。⑬は、色付いた萩の葉を見ても、恋人の心変わりする秋であることがわかることだ、というのです。このような秋を、⑫⑬にあるように、うたことばでは「心の秋」とか「人の秋」と言います。
長々とお話ししてきましたが、要するに秋という季節は、美しい自然の移ろいを喜びながらも、それが長くは続かないことを知っていて、惜しまれる季節でありました。秋の寂寥を詠んだ歌に多くの秋の景物が詠まれていたことが、そのことをよく物語っています。また「飽き」に通じることから、春に芽生え、夏に燃えさかった恋も、飽きられて終わる季節でありました。また人生を四季に喩えて、冬に象徴される人生の幕引きが近付く哀しさを実感する季節でもありました。
今日は7月16日。一カ月もしないうちに立秋を迎えます。暑い最中ですが、しみじみと近寄ってくる秋を味わいたいものです。人生を四季に喩えると、私はもう中秋か晩秋(季秋)の頃でしょう。ひょっとして、もう冬かもしれません。
○幾年か残る齢(よはひ)になずらへてねぐらにかへる烏数ふる