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うたことば歳時記

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岸の山吹

2016-03-30 18:42:45 | うたことば歳時記

 桜が三分咲きくらいになってきました。少し遅れてそろそろ山吹も咲き始めます。我が家の周辺には野生の一重の山吹がたくさん咲いていて、狭い庭にはこれといった花の咲く木もないのに、十分に楽しんでいます。野生の山吹は少々日当たりが悪いくらいがちょうどよいのでしょうか。雑木の間を埋めるように繁茂しています。調べてみると、乾燥したところは苦手だそうで、湿気のある方が適しているそうです。成ほど、一つ合点がゆきました。
 それは山吹を詠んだ和歌をずらりと並べてみると、山吹が生育していた環境は水辺であることを推測させる歌がたくさんあるのです。まずはそれらを上げてみましょう。
①かはづ鳴く神奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花 (万葉集 1435)
②吉野川岸の山吹ふく風に底のかげさへ移ろひにけり     (古今集 春 124)
   ③花ざかりまだも過ぎぬに吉野河影にうつろふ岸の山吹    (後撰集 春 121)
④沼水にかはづ鳴くなりむべしこそ岸の山吹さかりなりけれ  (後拾遺 春 158)
⑤限りありて散るだに惜しき山吹をいたくな折りそ井出の川波 (金葉集 春 77)
   ⑥吉野川岸の山吹咲きぬれば底にぞ深き色は見えける     (千載集 春 114)
⑦岩根こす清滝河のはやければ浪折りかくる岸の山吹     (新古今 春 160)
まだまだたくさんあるのですが、各歌集一首ずつ上げてみました。歌の意味はいずれもわかりやすく、「岸の山吹」が慣用的に詠まれていることがわかります。また花の影が水面に映ると詠んだり、波が枝を折るというのですから、水際に咲いていると推測されます。「かはづ」とセットに詠まれていることも特徴ですが、これについて、はいずれ改めてお話しするつもりです。神南備川・吉野川・清滝川が詠まれていますが、いずれも山地の清流で、葦の茂るような下流ではありません。
 このように、山吹は清流の岸に咲くものであり、水に映る姿が特に喜ばれたのです。また川の流れに浮かぶ山吹の花を意匠化した「山吹水紋」という紋章がありますが、このような山吹理解に基づくものと言うことができるでしょう。そのような山吹の理解は近世まで伝えられていたことは、松尾芭蕉の「ほろほろと山吹散るか滝の音」という俳諧によっても明かです。もし野生の山吹が清流の波が洗うような所に咲いていることがあれば、それこそ千金の値ある見ものなのですから、十分に堪能して下さい。

桜を見ずに帰る雁

2016-03-29 16:00:50 | うたことば歳時記
桜の便りが南の方から聞こえてくる頃、冬の渡り鳥はつぎつぎに北国に帰って行きます。冬の渡り鳥として古歌によく読まれてのは雁や千鳥や鴨類ですが、北に帰る様子が詠まれるのは雁だけです。もっとも千鳥や鴨の中には渡りをしない留鳥もいますから、全て北に帰るわけではありません。

 雁が帰るのは桜の花が咲くより前なのですが、古人にとってはそれが不思議でならなかったようです。
①春霞たつを見すててゆく雁は花なき里に住みやならへる (古今集 春 30)
②見れど飽かぬ花の盛りに帰る雁猶ふるさとの春や恋しき (拾遺集 春 55)
③とどまらぬ心ぞ見えん帰る雁花の盛りを人に語るな  (後拾遺 春 70)
④折りしもあれいかに契りてかりがねの花の盛りに帰りそめけん(後拾遺 春 72)
⑤ふるさとの花のにほひやまさるらんしづ心なく帰る雁かな(詞花集 春 33)
⑥帰る雁いまはの心有明に月と花との名こそ惜しけれ  (新古今 春 62)

①は、春霞が立って春になったというのに、桜の花を見捨てて帰ってしまう雁は、花の咲かない里に住み慣れてしまったのだろうか、という意味です。②は、いくら見ても飽きることのない桜の花の盛りに帰ってしまう雁は、桜の花より、花のない故郷の春の方が恋しいのだろうか、という意味です。➂は少々難しいのですが、せっかくの花の季節にここに留まらない無風流な心が見えてしまうだろう。帰る雁よ、花の盛りの様子を人に語るものではないぞ、という意味です。雁には花を愛でる風流な心がないのかと、擬人的に理解しているわけです。④は、よりによって花の盛りのこんな時期に、いったいどのような約束をしたのだろうか、花の盛りに帰り始めたのであろうか、という意味です。桜の花が散ってから帰るという約束をしてくればよかったのに、というのでしょう。⑤は、故郷の花の美しさの方がここの花よりも優っているとでもいうのだろうか。落ち着かない心で帰ってゆく雁であることだ、という意味です。⑥も難しい歌です。雁が今はもう帰る時期と心に決めている有明月の頃、雁が帰るのを翻意させられないのは、月と花との名折れである、という意味です。雁を恨むのではなく、雁を留められない月や花を恨むと、逆説的に詠んでいるわけです。

 そんなことを言われても、雁には雁の都合があるでしょうに。まあ本気で雁を恨んでいるわけではないのでしょう。擬人的に少しユーモアを織り交ぜながら詠んでいるわけです。とにかく古人は、桜の花が咲く前に、雁は北国の故郷に帰ると理解していたわけです。

 かつては京の都でも見られた雁ですが、近年はすっかりその姿を見ることがなくなりました。東北地方にはまだ数えきれない程飛来するようですが、私はもう何十年も見たことがありません。しかし雁ではありませんが鴨ならたくさん見られます。やはり鴨も同じ時期に北へ帰ってゆきますから、私は近所の農業用貯水池で鴨のいなくなるのと桜が咲くのとどちらが早いか、毎年注意をしながら眺めています。

雉の鳴き声

2016-03-22 19:19:52 | うたことば歳時記
桜の花が咲き始める頃、我が家の周囲では雉がよく鳴くようになります。季節に関係なく、地震の直後にもよく鳴きます。地震の前に鳴いてくれるとよいのですが、まあそれは無理というものでしょう。ところで雉の鳴き声は、どのように聞き成されるのでしょうか。文字で表現すれば「ケン、ケン」というのが自然でしょう。しかし雉は古くは「きぎす」と呼ばれましたから、「き、ぎ」と聞かれていたのかもしれません。古には鶯は「うーぐいっ」「うーぐいっす」と、時鳥は「ほととぎっ」「ほととぎす」と、雁は「かりかり」と聞き取られていましたから。そんなばかなと言われそうですが、鶯も時鳥も雁も、みな自分の名前を名乗って鳴いているという歌がいくつかありますから、そのように聞き取られていたことは確かで、鳴き声がそのまま鳥の呼称になったと考えられます。(うぐいす、ほととぎす、きぎすの語尾の「す」は、鳥であることを表す接尾語であるという説があります。)

 ところで雉は必ず鋭く「ケン、ケン」と二声鳴いた後、翼を大きく広げて身体に打ち付け、「バサバサッ」と大きな音を出し、これを「母衣打ち」(ほろうち)と言います。思わず身体が宙に浮く程に力を入れて羽ばたきますので、かなり遠くまで聞こえます。ここから素っ気なく断られることを「けんもほろろ」というのですが、雉のどのようなところが素っ気ないのか、わかるようでわかりません。辞書を引くと、母衣打ちをしたあと飛んで行ってしまうという説明もありましたが、決してそんなことはありません。私はその時期には数日に一度くらいの割合で、雉の鳴く場面見てきていますが、いまだかつてその様な場面に出くわしたことがありません。その辞書の著者も編者も、雉が鳴く瞬間を近くで見たことがないのです。もしあればその様なことを書くはずはありません。辛口ですが、先行する間違った解説を吟味もせずに孫引きしているに違いありません。雉に限らず、愛想を振りまく野生の鳥などないのですから、雉の無愛想なところと説明されても腑に落ちません。それより「けん」も「ほろろ」も雉の鳴き声によると説明している辞書がかなりありました。「けん」は確かに鳴き声ですが、「ほろろ」は鳴き声ではありません。つくづく辞書とは信用できないこともあるものだと思います。辞書の執筆をするくらいの人なら、雉が鳴く姿を見て聞いておかなければならないと思うのですが。要するに雉の鳴き声と母衣打ちの音が、なぜ素っ気ないことを意味するのか、よくはわからないのでしょう。

 雉が鳴く場所は、草原の小高くなった所や見晴らしのよい所であることが多く、鳴き声の方角を探せば、すぐに見つかります。私は10m程まで近寄ったことがあり、警戒心があまりありません。いつも同じ場所で鳴くので、きっと縄張りの宣言なのでしょう。母衣打ちの「母衣」と「ほろほろと泣く」の「ほろ」が同音のため、母衣打ちは泣くことを連想させました。また鳴くのは雄ばかりですから、古人は雉が妻恋いに鳴く(泣く)と理解しました。
  ①春の野のしげき草葉の妻恋にとびたつ雉子のほろほろとなく    (古今集 雑 1033)
  ②春の野にあさる雉子の妻恋に己があたりを人に知れつつ      (万葉集 1446)
①では、雄の雉が妻恋しさに泣いて飛び立つと理解しています。母衣打ちをしたあと飛んで行ってしまうという辞書の解説がありましたが、①の歌を根拠にしているのかもしれません。しかし先程も書きましたように、実際には母衣打ちをしたあと飛んで行ってしまうことはありません。②は妻恋しさになくので、居場所がすぐにわかってしまう、という意味です。これは事実その通りで、雉は物陰に隠れて鳴くようなことはありません。無用な発言をしたために禍を招くことの喩えとして、「雉も鳴かずば撃たれまい」という諺がありますが、それは雉のこのような生態によるものです。

 
 

桜に鶯

2016-03-18 07:22:47 | うたことば歳時記
 梅に鶯ならわかりますが、桜に鶯という取り合わせは聞いたことがない、と言われそうなのですが、それが古歌の世界では梅に鶯に劣らない程沢山の歌が詠まれています。そもそも鶯が鳴いている期間は、我が家のあたりでは2月下旬から8月上旬までで、梅の花がこぼれた後も、毎日のように鳴いています。梅に鶯の先入観や、春告鳥のイメージからすると、真夏の鶯は興醒めするかもしれませんが、それは人間が勝手に決めたこと。鶯にとっては迷惑な話です。ですから桜に鶯や、卯の花に鶯の取り合わせがあってもおかしくはありません。
 そこで桜と鶯を詠んだ歌をあげてみましょう。
  ①花の散ることやわびしき春霞竜田の山の鶯の声        (古今集 春 108)
  ②しるしなき音をも鳴くかな鶯の今年のみ散る花ならなくに   (古今集 春 110)
①では、竜田山の鶯が花の散るのを惜しんで鳴いている、という意味。②は、効(かい)もないのに鶯が鳴いていることだ。今年だけ花でもないのに、という意味です。ともに鶯が花の散るのを惜しんで鳴いていると理解しているのですが、本当に花を惜しんでいるのは作者自身なのです。しかしどこにも「桜」とはなっていないではないかと、反論されそうですね。確かにこの歌だけ取り出してみるとそのように見えますが、この歌の「花」は桜なのです。
 それはこういうわけです。古の和歌集というものは、季節の移ろいに従って歌が並べられることになっています。春の歌なら、まずは春の立つ徴である霞の歌に始まり、春の雪、鶯、若菜摘、春雨、青柳、梅、そして桜、山吹、躑躅へと続きます。和歌集によって多少の入れ替えはありますが、これらの季節を表す景物は、編者の季節理解を反映しながら、時系列に従って並べられるのです。①②の歌は一連の桜の歌の群にまとめられていますから、少なくとも編者は桜の歌と理解しているのです。そもそも和歌で「花」と言えば黙っていても桜であることが多いもので、現在でも「花見」と言えば桜の花見に決まっているのと同じです。ただ『古今集』以降は、桜と鶯を取り合わせた歌があまり詠まれなくなります。人の心を動物に代弁させるような手の込んだことをせず、人の心を素直に詠むことが普通になるからでしょう。 
 それなら実際に鶯が桜に来て鳴くことがあるのでしょうか。鶯は薄暗い茂みが好きな鳥で、笹藪ではよく見かけます。卯の花の枝で見かけたこともあります。しかしないと断言することはできませんが、私は目撃したことはありません。まああってもそれは偶然でしょうし、生態的には普通のことではありません。桜の花によく来るのは、ヒヨドリでしょう。それこそ「ヒーヨ、ヒーヨ」と鳴きながら、花に戯れて蜜を吸っているように見えます。

霞か雲か

2016-03-17 13:01:10 | うたことば歳時記
 「霞か雲か」という題を付けましたが、若い方は、これでどのような内容の話になるのかピンと来ないかもしれませんね。唱歌『さくら』に「さくら さくら 弥生の空は 見わたす限り 霞か雲か・・・・」とあるように、また唱歌『霞か雲か』に「かすみか雲か ほのぼのと 野山をそめる その花ざかり 桜よ桜 春の花」とあるように、霞や雲は遠くに見える桜の喩えのことです。

 遠山桜を霞や雲に見立てた歌は、早くも『万葉集』に見られます。
  ①見わたせば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも  (万葉集 1872)
「春日野」は春霞の立つことを確認される定番の歌枕だったという背景もあるのでしょうが、桜を霞に見立てています。しかし『万葉集』に詠まれた多くの桜の歌の中では、これ一首ですから、まだ常套的な表現にまではなっていないようです。

 しかし『古今集』になると、霞や雲だけでなく、雪にも見紛うと詠んだ歌がたくさん見られます。
  ②桜花咲きにけらしもあしひきの山の峡(かひ)より見ゆる白雲    (古今集 春 59)
  ③み吉野の山辺に咲けるさくら花雪かとのみぞあやまたれける     (古今集 春 60)
  ④立ち渡る霞のみかは山高み見ゆる桜の色も一つを          (後撰集 春 63)
 またまたいくらでもあるのですが、霞・雲・雪をとりあえず一首ずつ上げておきました。吉野山の桜を眺めると、雲に見立てるのは、吉野山の桜を知っている人ならわからなくもないでしょう。しかし霞に見立てるのは実景としては無理があります。そもそも霞とはとらえようもなく朧気なもので、遠景が何となくぼやけていることですから、それを桜に見紛うというのは、あくまでも観念的な理解に過ぎません。雪に見立てることについては、雪の如くに花びらが散ることに誘われた理解と説明することもできるでしょう。また吉野山はどこよりも早く雪が降り、どこよりも遅くまで雪が残る所として、雪の歌枕になっていた山ですから、そういう意味からも吉野と聞けば雪を連想するという背景もあったでしょう。
 個性を尊重する現代人の美意識では理解できないのでしょうが、桜は霞や雲や雪に見立てて理解するという、暗黙の了解があったのです。もちろん古人も、「霞(雲・雪)だと見えたけれど、よくよく見たら桜だった」などと本当に錯覚したわけではありません。もし本当にそう思ったというならば、余程の近眼です。桜の咲く時期に雪が積もっていることなどないことくらい、先刻百も承知なのです。しかし暗黙の約束事に従ってそう詠むことになっていたのです。
 ただここで一つ確認しておきたいのは、桜はまずは遠くから眺めるものであり、そしてこちらから木の下まで出かけていって、また近くでも楽しむ花であったということなのです。梅は庭に植えて観賞します。ですから「軒端の梅」と呼ばれます。しかし桜は庭に植える木ではなく、野生の桜を眺めに出かけるものでした。ですから「軒端の桜」はないかわりに、「遠山桜」と言われます。そして「遠山梅」はあり得ないのです。