マキペディア(発行人・牧野紀之)

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ドイツの移民政策と日本

2018年06月22日 | ア行

 ① 2018年6月14日の朝日の天声人語

 日本でいえば、下町の趣である。ベルリン中心部から南、小さなビルのなかに目指す事務所はあった。寛容、連帯、愛などの言葉があしらわれた絵が飾られれている。移民2世、3世らが悩みを相談しにくる民間団体だ▼夫婦の不仲や教育、仕事探しなどが持ち込まれる。「とくに移民2世は、十分な教育を受けていないために望む仕事に就けない人が多い。ギャンブル依存症も目立ちます」。そう教えてくれたカウンセラーもトルコからの移民2世である▼高度成長期の1960~70年代、ドイツは多くのトルコ人を迎えた。ガストアルバイターすなわち客人労働者と呼ばれ、数年で帰国してもらう算段だった。しかし生活の基盤ができると、残ることを選ぶ人が相次いだ▼移民国家へと変わっていった事実を政府は長く認めなかった。言葉を学んでもらい社会に溶け込みやすくする政策が疎(おろそ)かになった。先の民間団体の会長カジン・エルドアンさん(65)は「労働力とだけ考え、人間として見ていなかつたからだ」と言う▼客人労働者に関心を持ったのは、日本の政策とだぶるからだ。政府は介護や農業、建設などを念頭に新たな外国人の受け入れを検討している。最長5年の新制度は移民政策の始まりにしか見えないが、政府は違うと言い張る▼来た人が社会にすんなり入るための策が十分に取られるか、心許ない限りだ。ちなみにドイツは2000年代に入り自らを移民国家だと位置づけた。教育の充実など新たな歩みを始めている。

 ②  2018年6月15日の朝日の天声人語

 きのうに続き、ドイツの話である。この国には外国から移り住んだ人のためのドイツ語教室が各地にある。最低600時間の学習が、移民に義務付けられているのだ。」ベルリンにある教室を訪ね、聞いてみた。なぜドイツに?▼クロアチア出身の女性は「いい暮らしができると思って」と言い、モルドバからの男性は「子どもにいい教育を受けさせたくて」と話した。難民もいる。アフガニスタンから来た男性は答えた。「イスラム過激派から戦士にさせられそうになり、逃げて来たんだ」▼ここ数年、多くの難民を受け入れたドイツの判断には驚かされた。そして現地を訪れて感じたのは、来た人を受容する構えが存在することだ。戦後、移民労働者を冷遇したことへの反省もあるのだろう。移民のルーツを持つ人は今、約2割にのぼる▼「移民の経験は、きっと難民にもいかせる」と連邦議員ゲーカイ・アクブルットさん(35)は言う。幼い頃トルコから来た彼女は移民への差別も、その後の支援の広がりも見てきた。語学教室のほか労組や福祉関係者など移民を支える人たちが難民の助けにもなるという▼難民の到来は逆風も生み、昨年の総選挙で反難民を掲げる政党が躍進した。それでも移民の試練を経たこの国なら、乗り越える力があるのではないか▼4年前のサッカーW杯で優勝したドイツ代表は、トルコ系や東欧系などの選手が活躍した。その様子は国の活力とも重なって見える。今回もドイツは優勝候補の筆頭だそうだ。

 感想

 我が浜松市は「多文化共生」を掲げています。或るきっかけで、ポルトガル語(その後、スペイン語のクラスもできたらしい)で教育する学校の前を通りました。中に入ってみましたが、生徒たちの元気な声は聞こえてきましたが、この学校の入っている建物の周囲には何の建物もなく、極めて辺鄙なところでした。

 この学校自体も、或る日本人女性が私費で独力で始めたもののはずです。その後、応援する人が少しは出たようですが。

 市の中心にあった元城小学校は生徒数の減少で廃校になり、近くの中学校に飲み込まれて、小中学校になりました。その跡地と校舎は、使われていないと思います。

 市の中心部に外国人のための学校を作るという案は、多分、受け入れられないでしょう。外国人の子供には、家では母語で話し、学校では日本語で話すようにして、みな、バイリンガルに育てるようにしたらどうでしょうか。こういうことが可能になるような仕組みはできないものでしょうか。

  
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