参考
1、辰野隆(ゆたか)が昭和21年09月から12月まで「週刊朝日」で十数人の各界名士を相手に対談してのちにそれらを「忘れえぬことども」(三笠文庫)と題して一巻にした。(略)
~西田哲学にふれているところは同感に耐えないからかいつまんで言わしてもらう。今井登志喜を相手に辰野は当時(昭和22年)としては大胆不敵な発言をしている。
- 西田(幾多郎)先生にしても田辺(元)先生にしてもただの哲学の教授だ、哲人の俤(おもかげ)も思想家の姿もみじんもない。もう1つご両人ともドイツ語で専門以外のものを読みこなせるか、ゲエテを読みハイネを読みそれらを味到し得るか。かつまた和漢のものを附焼刃でなく読めたら、決してあんな哲学的表現にはならなかったと思うな。ご両人は日本語にはどこまで思想を盛り得るか盛り得ないか、そういう国語の領域(ボルテ)をもっとも知らないね。その意味では二人とも日本語を所有していない云々。
(山本夏彦「完本文語文」文春文庫、277-9頁)
1、辰野隆(ゆたか)が昭和21年09月から12月まで「週刊朝日」で十数人の各界名士を相手に対談してのちにそれらを「忘れえぬことども」(三笠文庫)と題して一巻にした。(略)
~西田哲学にふれているところは同感に耐えないからかいつまんで言わしてもらう。今井登志喜を相手に辰野は当時(昭和22年)としては大胆不敵な発言をしている。
- 西田(幾多郎)先生にしても田辺(元)先生にしてもただの哲学の教授だ、哲人の俤(おもかげ)も思想家の姿もみじんもない。もう1つご両人ともドイツ語で専門以外のものを読みこなせるか、ゲエテを読みハイネを読みそれらを味到し得るか。かつまた和漢のものを附焼刃でなく読めたら、決してあんな哲学的表現にはならなかったと思うな。ご両人は日本語にはどこまで思想を盛り得るか盛り得ないか、そういう国語の領域(ボルテ)をもっとも知らないね。その意味では二人とも日本語を所有していない云々。
(山本夏彦「完本文語文」文春文庫、277-9頁)