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木田元氏の長谷川訳評

2010年01月25日 | カ行
 ヘーゲル著長谷川宏訳「精神現象学」

         評者・木田 元(哲学者)

 ここまでやるかと、訳者の思い切りのよさにまず感嘆した。私も哲学書の翻訳をいくつか手がけ、そのつど平明な訳文を心がけてはいるが、ここまではなかなか思いきれない。だが、たしかにここまで訳しくだかなければ、『精神現象学』を翻訳で読むことなど、できそうにない。眼からうろこの落ちる思いがした。

 たとえばこれまでの翻訳で「実在的でない意識の諸々の形式は、進行と関連そのものとの必然性によって、完成されるであろう」と訳され、なにがなんだか分からなったところを、長谷川さんは「ものをとらえそこなった意識の形態が、全体としてどういう意味をもつのかは、知の進行とつながりの必然性を通じてあきらかになる」とやってみせる。これならよく分かる。

 一般にこれまでの哲学書の翻訳は、正確であろうとするあまり、原文の構造をなぞり、1つの原語に一貫して1つの訳語を当て、それも既成の専門用語をそのまま使おうとするので、日本語の文章として読みづらく、一般の読者には近づけないものが多かった。正確であろうとしてというより、原書と並べて読む哲学専攻の仲間を意識しすぎてということだろう。こうして、哲学が限られた人たちの占有物になってきた。

 長谷川さんは、こういう約束ごとをいっさい無視する。専門用語は使わない。1つの原語を文意に応じてさまざまに訳し分ける。訳注さえつけない。その代わり、原文にない語や句を十分に補って、本文だけで理解できるようにしている。これは、よほど原典を読みこなし、自分の読み方に自信をもっていなければできることではない。それでさえも、ここまで訳しくだくのは大変な苦労であったろう。大きな収穫である。これからの哲学書の翻訳は、なんらかのかたちでこの長谷川訳を意識せずにはできないことになりそうである。

 のっけから翻訳のことばかり話題にしたが、言うまでもなく本書はヘーゲル37歳の第1作。哲学では37歳は十分に若い。その若々しい思索がありとあらゆる問題に荒々しく食いついてゆく。こうして、精神が真の精神に成長してゆく道程が描き出される。1つの哲学的青春のみごとな結晶である。うわさばかり高かったこの本が、やっと日本語で読めるようになったことを心から喜びたい。

 (朝日、書評欄から。年月日は記入忘れだが、出版直後だから、1998年05月頃でしょう)
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