マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

板倉聖宣と仮説実験授業(その2)

2006年12月05日 | ア行

 最後に、板倉さんの限界について触れます。断っておきますが、これは板倉さんの業績を否定するものでもなければ小さくするものでもありません。人間は誰でも有限ですから、限界があるということです。その限界を正しく自覚しておきたいものです。そして、限界は意義と結びついているのです。

 氏の成功の前提は自分の活動を「社会変革の基礎」に限定したことだと思います。『科学と仮説』(野火書房、1971、のち仮説社)には、「自然弁証法研究会以来のテーマである『科学的な考え方』とか科学的精神というものを子どもたちに知らせて、日本人の思想改革、社会変革の基礎にしたいと願って、これらの本を書いたのである」( 240頁)という言葉があります。

ここで注意するべきは、社会変革の「基礎」という言葉だと思います。つまり、氏は,社会変革そのものは(敢えて言うならば)避けて、社会変革の「基礎」に自分の活動を限定したのです。これが氏の活動の成功の根本前提だったと思います。反面教師として日教組が「教育活動そのものを通して政治そのものを変革しようとして失敗したこと」を考えればこれの意義は分かると思います。

原理的に、教育で政治を変えることは出来ないのです。政治を変えうるのは政治だけです(同類のものは同類のものとのみ関係する)。政治を変えるには政治家になるしかないのです。板倉さんは、本能的にこのような不可能な事を避けたようです。「〔国立教育〕研究所には文部省と日教組の対立にまきこまれることを極度におそれる風潮が支配的であるように思われた」(同書、 232頁)と書いています。そして、テーマの選択でも無駄な軋轢は生まないように振る舞ったようです。

しかし、このことは同時に氏の活動の限界ともなりました。結局、氏の活動は主として小中学校の教師たちの間ではかなりの運動となり成果を挙げたようですが、社会変革にはなりませんでした。

私はこの事を「悪い」と言うのではありません。人間には性格や才能があるのです。向かない事柄には関わらない方が賢明だと思います。もちろん玉砕する人生もその人の性格ならそれでいいと思います。人の生き方はその人が決めることです。但し、自分の活動を過大評価しないことです(大村はま氏の国語教育も、氏の心の中にはより良い社会になってほしいという気持ちはもちろんあったでしょうが、直接的には、国語教育の外の事柄には関係しないで美しい箱庭作りに専念した点に、成功の根本前提があり、又限界もあったのだと思います)。

 板倉さんは政治には向かなかったと思います。学生運動に関わったそうですが、どういう運動(テーマ)にどう関わったかは具体的に書いていません。早々と「運動そのもの」からは身を引いて、「ながいあいだの学生運動や政治運動を見守る中で」(『科学と仮説』野火書房、 224頁)、つまり政治運動そのものは「見守る」だけで、自分の活動は社会変革の「基礎」に限定したようです。そして、終生(今までの所)そこから出ていくことはなかったようです。

 私は、共産党という言葉を出して政治を論じるか否かを、その人の政治性を判断する1つの基準にしているのですが、板倉さんもその単語を口にしない人です。政治には不向きな人だったのだと思います。

 この事はいくつかの間違いないし不明確さと結びついたと思います。

 第1に、「体制」とか「反体制」とかの用語の使い方が不明確だと思います。

 ──いまの若い人々〔全共闘系の学生や青年のことでしょう〕は、「科学技術の全面的な体制化」ということと、自分たちが科学者や技術者として体制化せざるを得ないということとを混同しているように思われてなりません。反体制を標榜するにしても,そのとき最大の武器になるのは科学や技術であることを忘れてはならない筈です。それは体制下にある一面的な科学技術ではなく、もっと多くの人々の要求する現実の課題に適合した科学技術でなければなりません。すでに体制化されている科学や技術を疑い、批判し、呪うことはかまいませんが、そのかわりに自分たちの科学技術をもたなければならない筈です。そのとき、いかにして考えたらよいか、いかにして自由で創造的な研究を生みだしていくかという問題に対してヒントを見出すために、私はこれまで科学史の研究をしてきたのです。

 最近はさらに、科学というものは根元的にいって体制的・資本主義的なものだという主張も行なわれているようです。それが、分科し分断された科学に対する総合的な哲学的な視野の重要性を説くものであれば私も賛成です。けれども、複雑多岐な現実のなかから、解明しうる問題だけをとりだして解決してきた科学的探究の手法そのものを否定することには断じて賛成することはできません。直観的独断におちいらないためには、私たちは、科学的な研究を大切にしなければならないのです。科学そのものが呪われるとき、それこそおそるべき権威主義・ファシズムがさかえることになるでしょう。(『科学と社会』季節社、1971、 310頁)

ここにも出てきますが、新旧の左翼の人達の言う「体制」とは「資本主義体制」のことです。そういう人達は、事実上、社会主義体制(現実のそれ、あるいは自分たちの理想とするそれ)に対しては「体制的」とは言わず、批判もしません。もう少し身近な事を考えますと、現存する社会の在り方には批判的でも自分たちの運動や組織や幹部に対しては無批判的です。こういう考え方をきちんと批判するには、資本主義体制を体制と言ったり、自分たちの実践だけを実践と言ったりする用語法から反省しなければならないでしょうが、板倉さんにはそういう自覚がどれだけあったのでしょうか(小泉首相が自分の民営化を民営化一般と意図的に言いくるめ、自分の改革とやらだけを改革一般と混同して「郵政民営化に賛成か反対か」とか「改革を推進するか否か」などとごまかしているのも同じです)。

第2の不十分さは民主主義の理解や集団におけるリーダーの役割の理解の不十分性に出ていると思います。

 板倉さんの文章を読んでいると、個々の教師が仮説実験授業をすれば全て解決するかのように聞こえます。本当にそうでしょうか。板倉さんには、私の言うような、「学校教育は個々の教師が行うものではなくて、校長を中心とする教師集団が行うものである」という認識は無かったようです。

 これのとても好い証拠が中田好則氏です。氏は長年、板倉支持者であったそうですが、最後には校長になったようです。そして、『教育が生まれ変わるために』(仮説社、1999)の「あとがき」を板倉さんに代わって書いています。それが「板倉さんの考え『仮説実験授業』に助けられて」です。しかし、ここには、板倉理論を自分なりに発展的に受け継いでどういう校長理論を創り出したか、それを実践してどういう成果があったか、こういう事が全然書かれてないのです。しかも、こういう人に板倉さんは「あとがき」(に代えて)を書かせているのです。これは大きな間違いだと思います。

 板倉さんは「創造的模倣」を提唱していますが、そしてそれは正しいと思いますが(私の言う「創造的継承」と同じですから)、実際の板倉支持者は「単なる模倣者」で「創造的模倣者」ではなかったようです。ニセの後継者と言われても仕方ないでしょう。問題は板倉さんがこれに気づいていないらしいことです。それに、板倉さん自身、研究所の内部で後年は「室長」というポストに着いたようですが、室長としてそれまでの室長とどういう違った事をしてどういう成果が上がったのか、書いていないと思います。板倉さんのことですから、何かしたと思うのですが。

 哲学については観念論から出発して唯物弁証法にたどりついたようですが、日本共産党系の唯物論(タダモノ論)には飽き足らず三浦つとむ氏の「主体的唯物論」を先生に選んだようです。後には、その三浦さん自身にも不満を持つようになったそうですが、具体的な批判はほとんど発表していないと思います。板倉さんが編集した『三浦つとむ選集』の「補巻」(勁草書房)を見ても、主体的な検討はなく、ただまとめただけです。板倉さんの独創的な業績は三浦理論に触発されたことも一因ですから、板倉さんをニセの弟子と評するのは不適切だと思いますが、不十分な弟子ではあったと思います。

 板倉さんの支持者たちが創造的継承の出来なかった原因の1つに問題意識概念の不明確さがあると思います。板倉さんは「問題意識を明確に」というスローガンを掲げたようです(『板倉聖宣、その人と仕事』 185頁)が、これを私の「問題意識とは疑問文に定式化したものだけを言う」という定式と比較してみれば、板倉さんの定式の不明確さは明らかでしょう。

 そのため、例えば、その文集に「板倉哲学についての断章」を寄せた重弘忠晴氏は「認識や実践における主体性の問題が、最初は『自我の確立』の問題と結びついて提起された、というのである」などと書いています(17頁)が、これではどういう問題なのか、疑問文が浮かびません。ついでに、この人は「かつて新左翼だったが、板倉理論に触れてそこから脱却した」と思っているようですが、私から見ると、相変わらず新左翼です。

 そのほか、ほかでは名指しの批判をしない板倉さんが、広重徹氏からの批判に対して名を挙げて反論しているのなどは、あまり感心しません(原則としてすべて名を挙げて批判するべきだというのが私の考えです)が、大げさに言うほどの事でもないでしょう。

 又、「私たち『たのしい授業』学派だけは、『教育の主人公は子どもだ』という認識をもとに、教育にかかわる一切の束縛を排除して、未来の社会と子どもたちの求める教育の在り方を自由に研究してきたのですが、残念ながら、ほかにはそういう研究を進めてきた人びとはほとんどいないのです」(『教育が生まれ変わるために』60頁)と言っていますが、こういう自己過大評価は笑って生ませればいいことだと思います。

 しかし、認識論的に面白い事としては、或る分野で独創的な事をして成果を上げた人はとかく「自分のやり方だけが唯一絶対」と思い込む(少なくともそのように言う)傾向があるということです。なぜなのでしょうか。

 私はいろいろな健康法を学び試してみましたが、いずれも「自分の健康法が唯一絶対」ないし「万能」のような言い方をしています。しかし、私の見るところでは、どれでなければいけないとか、どれが最高とは言えないと思っています。私自身いい加減な性格ですから、種々の健康法から自分に出来るし自分に合っていると思うものをつまみ食いしています。

 しかし、このような誰にでもある欠点はともかくとして、板倉さんは本当に優れた研究者であり実践家だと思います。最後に、私が特に記憶しておきたい板倉語録を思いついたままに箇条書きにしておきます。

1、自分の年より低い人向けの科学書を読むと好い。ただし、著者が一流であること。

 感想・同じ曲でも編曲者や演奏者が一流でないと味気ないものになるのと同じではないでしょうか。同じ素材でも料理人が一流だと美味しいものになるのとも同じかな。

2、子供たちを自然のままほっぽりなげておかないというのが教育の本質。

 感想・学校も上に行けば行くほど「中学(高校、大学)は自分で勉強する所」などという、本来は自己を否定するような発言があります。学長の入学式の式辞などでも、大学の提供するサービスを話さない学長がほとんどです。学校はサービス業をしているのだという指摘を板倉さんがしてくれると良かったと思います。

 3、一割許容の原理・人間の活動において一割程度のミスは許されてしかるべきである。

 感想・私のような実証主義の精神の乏しい人間には「2割許容の原理」くらいにしてほしいです。

 4、わざと違う意見を出して議論すると新しい考え方の発見がある。

 感想・考えるということの本質がこれですから、そうなのですが、私が少しは実行してきた経験から言いますと、実際にはこれはなかなか理解されません。笑われるのを覚悟していないとできないでしょう。

 5、よく、「科学研究には先入観を排しなければいけない」などという人がいますが、これは不用意な言葉です。

 感想・これも私の「先入観をもって読む」という方法と同じです。「方法は一種の先入観なのだ」とまで言うと良かったでしょう。

 6、自分自身の頭で判断することを根底に置きながら、しかも信頼しうる専門家というものをたえず選択し、それに依拠しうるという態勢をもつこと。

 感想・素人の質問や意見をまともに受け取めない専門家は「信頼しうる専門家」ではない、と付け加えると更によかったでしょう。

 7、ある言葉(術語)がある意味をもつようになるのは一つの約束にすぎないにしても、欧米の術語を適当な日本語に移すには、その科学の深い理解を前提とするのである。

 感想・外来語を漢字で表現し直すためにその真意を考えた明治時代の人達は偉かったと思います。カタカナにして済ます昨今の風潮は困ったものです。

   (2005年08月24日)
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1 コメント

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大いに参考になりました。 (Yutaka Ogawa)
2014-04-04 23:59:21
板倉さんについては、最近知ったばかりですが、認識と思想の複雑な関係の一端が分かりました。日本の「科学、理科教育」に対して疑問を抱き続けてきたので、板倉さんの本を含めこれから勉強いたします。
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