マキペディア(発行人・牧野紀之)

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板倉聖宣と仮説実験授業(その1)

2006年12月05日 | ア行
この小論文は今年の9月頃、板倉さんたちの仮説実験授業の機関誌的な雑誌である「たのしい授業」に電話をした上で送ったのですが、返事もなく、掲載されないようです。とても意外でした。理由は聞く気もしません。よってここに掲載します。(2005,11,24)

 最近、遅ればせながら、板倉聖宣(きよのぶ)氏(1930~)の仮説実験授業について関心を持ち、少し読んでみました。膨大な著作群ですので、全部を読むことは出来ませんが、10冊くらいは読んだと思います。従って、以下の感想はこの少ない資料にあたった限りでのものです。事実誤認とか間違いを指摘されたらいつでも訂正します。

 板倉氏は「皆悉(かいしつ)主義」と言って、或るテーマに取り組むときにはそれに関する資料を古本屋巡りなどをして全て集め、それらを全て読んで考えるそうですが、私にはそういう事はできません。もっとも板倉氏のその皆悉主義も、私の専門とする哲学なり唯物論なり弁証法なりについての発言をみると、必ずしも実行されていないようです。まあ、最後に載せました板倉語録にありますように「1割許容の原理」ですから、少しくらいの欠陥は互いにうるさく言うのはよしたいと思います。

 それはともかく、私の特徴は、「少ない資料でも考える力」にあると思っていますので、問題提起にはなると思います。と言いますのも、板倉氏の定年退職にあたって支持者たちがまとめた『板倉聖宣、その人と仕事』(つばさ書房、1995)を見てみましても、板倉氏の仕事の意義と限界をきちんと指摘できた人は1人もいないと思われるからです。

 実際、関口存男(つぎお)さんが亡くなった時にも直弟子たちは『関口存男の生涯と業績』(三修社)という追悼文集を出しましたが、それは関口さんの業績の批判的・創造的継承をしないことの言い訳でしかありませんでした。偉い人の直弟子などというものはたいていこういうものです。例外はプラトンの弟子のアリストテレスとフロイドの弟子のユンクくらいでしょうか。本当の弟子ないし後継者はたいてい直接的な関係を持たない人です。カントの真の後継者はヘーゲルでした。ヘーゲルの真の後継者はマルクスでした。いずれも直弟子ではありません。

 全体として、氏の業績は素晴らしいもので、その実績に相応しい名声と評価を得ていないと思いました。職が研究所の所員だったこともあるし、理科教育の革新が中心だったので主として理科教師の間で知られ評価されていたということもあるのかもしれません。

 まず経歴を振り返ります。

 元々偏見のない人だったようですが、学生運動に関係するなかで、その非科学的性格に疑念を持ったようです。そこで、「科学的な考え方ないし態度はどうしたら育てられるか」という問題意識を持ち、それを終生(といってもまだご健在ですが)追求することになったようです。

 東大に在職している教授たちより三浦つとむ氏や武谷三男氏や小倉金之助氏の著書に触れて方向が固まったようです。科学史を研究して「科学的思考の成立過程」を研究することになったようです。

 国立教育研究所(当時)に就職してから或るきっかけで理科教育と関わるようになり、結果として「仮説実験授業」というものを生み出すことになりました。

 その「科学的思考」は自然科学においてだけではなくその他のあらゆる学問領域(教科)でも同じだということで、対象を社会科学などにも広げたようです。

 学校教師たちと一緒に仕事をすることになり、元々学生時代から会を作って活動してきた経歴もあり、氏の仕事は組織的なものとなり運動となりました。初めは「仮説実験授業研究会」とかいった名でやっていたようですが、いつからか、その根本の精神を捉えて「たのしい授業学派」と名乗るようになったようです。

 定年退職してからは、私立の研究室みたいなものを設立して今でも活動しているようです。HPを探したのですが、見つからなかったので、詳しいことは知りませんが、最低でも、氏の創刊した『たのしい授業』(仮説社)という雑誌は今でも出ているようです。

 次に氏の大きな業績について考えてみます。

 氏の仮説実験授業はなぜ大きな成果を挙げたのでしょうか。それは、理論的には、「個体発生は系統発生を繰り返す」という法則を具体化したものになっているからだと思います。私の読んだ範囲の著書にはこの言葉が出てこないのが不思議なのですが、板倉さんたちはこの法則を自覚していないのでしょうか。

 子どもが大人になっていく過程、つまり成長とか学習とか教育というのは、系統発生を純化した形で受け継ぐ過程ですから、この法則を具体化した授業が成果を上げたのは考えてみれば当たり前だと思います。

 ですから、偶然とはいえ、科学史の研究家である板倉さんが理科教育に取り組んだことはとても幸運な事だったと思います。

 しかも、教師にとっての当然の大前提でありながら、実際には必ずしも満たされていない「教育への熱意」というものが板倉さん(たち)にはありました。ですから、その個々の内容も本当に生徒が夢中になるようなものになったのだと思います。

 第2点として挙げたいことは、氏はこの授業を「誰でも出来るように」ということで、授業書というものにまとめたことです。これが、例えば大村はま氏の国語の授業のように、「本人ないしそれと同程度の実力のある人でなければできない授業」との大きな違いだと思います。授業形態としても、仮説実験授業の方は一斉授業で、大村氏のものは個別指導だという違いがあります。

 氏は科学的精神に満ちた人で自分の直面した問題から逃げることなく研究し自分なりの答えを出していったと思います。

 実験概念の革新もその成果の1つです。板倉さんの実験概念は、「自然であれ社会であれ、対象に対する正しい認識を得るために、対象に対して、予想・仮説をもって目的意識的に問い掛けること」(『新哲学入門』仮説社、1990、40頁)です。しかし、これも、氏自身は必ずしも自覚していないようですが、従来の概念(人間の行動ないし目的意識概念)を純化したものです。つまり、人間は何かの行動をするとき、必ず意識的・半意識的・無意識的に目的(こうしたらこうなるだろうという予想)を持っていますが、仮説実験授業では生徒に個々の場面でその予想を自覚的に立てさせて、しかも議論をさせてから実験をした、ということです。

 氏の確認した事柄(私はほとんど正しいと思いますので、敢えて言うならば、真理)は沢山ありますが、そのほかに「誤謬の意義を認めたこと」(『科学と方法』季節社、1969、70頁など)と「教師の指導性と生徒の自発性の矛盾を解決する道を発見したこと」の2点を挙げておきましょう。

 氏は「誤謬が一面合理性をもち、なおかつ真理ではないということの弁証法的認識」ということを主張し(『科学と方法』季節社、1969、67頁)と言い、それを実行して「私の力学史の特色は、アリストテレスやスコラ学派などの『まちがった』力学理論をも馬鹿にせず、その認識の根拠、失敗の理由を詳しく追求したことにある」(『科学の形成と論理』季節社、1973、 248頁)と述べています。

又、「授業科学の『生徒の自発性と教師の指導性の矛盾』に話をもどすと、つまりこういうことになる。『理想的な授業というのは、生徒の自由な活動にある種の束縛を与えて教師の指導性を発揮することがかえって生徒の自発性をよびおこし、その自由な発想をトコトンつきつめさせることによって教師の指導性を高めることができるような、そういう授業ではないか』というのである。最初の問題は生徒たちから出させずに教師の側からえりすぐった問題(予想の選択肢を含む)を与える。そして、その選択肢をえらばせたあとの討論は、全く生徒の自由にまかせ、そのあと、実験を行なって討論をしめくくる。そして一連の問題がすんだあとで、生徒たちに問題を作らせるようなこともする。・・こういう仮説実験授業の展開
の仕方は、まさに生徒の自発性と教師の指導性との矛盾(どちらか一方の側から見れば、自由と束縛の矛盾、おしつけと放任の矛盾)の構造を意識的にトコトン活用したものに他ならないのである。(同上書、 265~ 7頁)

 氏の活動が個人的なものではなく或る種の運動になったことは先に述べましたが、その中でも新しい事を実行して成果を挙げたと思います。

 私の興味を引いた事としては、「分からない事は分からないと言おう」というスローガンがあります。こんな当たり前の事でも、学者や教員の実情を知っている人なら、なかなか実行されておらず、大切な事だと認めると思います。

 次には、「質問には答える義務」です。これは、東京数学会社設立の主唱者の一人で初代の社長であった神田孝平氏(1830~1898)が「東京数学会社雑誌第1号題言」〔これは数学の大衆化の主張です〕に書いた6つの規範の第2項にあります。曰く、「各人が質問を受けた時は必ず答えること」。

 板倉さんによると、社則第9条には、次のような事も書かれているそうです。

 「本社は数理を研究するがために設けたるものなれば,数学を教授することを為さずと雖も,社員は勿論広く世間の質問に応じ之れが答弁を為すべし。質問の事項通常なるものは常務委員之を担当し60日を限り之を答弁なし、其事項高論なるものは広く社員に通知し其答を募り、90日間を限り質疑者に答うべし。其理深遠にして解し難きものは広く宇内の数理大家に解義を請うて質疑者に答うることあるべし。」

 質問に答えない、あるいは真面目に答えないNHKのドイツ語講師たちを見ていると、本当にこの精神は大切だと思います。

 因みに、関口存男(つぎお)さんは、敗戦後、疎開先で民主主義を教える芝居を作って指導した時、その芝居の題名を「争へ! 但し怒るべからず」としたようです。「感情的にならずに議論すること」、これが民主主義の根本精神であり、人間を成長させるのだということでしょう。議論のないどころか、議論から逃げて逃げて逃げ回っている日本の教師たちを見ていると、関口さんの言葉はますます新鮮だと思います。(つづく)

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