えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

「いい質問」が人を動かす

2016-10-13 09:39:16 | 歌う

            「いい質問」が人を動かす

  質問を変えれば、部下が突然働きだす。子供が急に勉強を始める 新聞の本の広告は薬の広告に似ている。でも気になる✿いい質問が人を動かす 著者は弁護士・谷原誠

     ♦ 「命令」を「質問」に変えると部下が突然働きだす

     ♦ 質問に「仮に」をつけると営業成績が伸びる

     ♦ 子供が急に勉強を始める「魔法の質問」

     ♦ 人生を思い通りに変えられる「自分への質問」

 「自分への質問」で「人生が思い通りに変えられる」なら試してみたい。残り少ない私の人生を。取りあえず短歌で試してみよう、すでに私は短歌で度々質問している。

              「問いかける短歌」五首    松井多絵子

    ♠ 物干しにゆれにぞゆれるワイシャーツ、男はそんなに迷うのですか

   迷っている男は魅力的だ。貴方はソクラテスの子孫ですかと訊きたくなる。

    ♠ なぜ癌になったのですかと妹の主治医に問えば「さあ、ねえ」と応える

   中年の医師は私の幼い質問に戸惑っていた。あの病院の長い廊下で。

    ♠ この辺りですか額田王がロングドレスで散策したのは

   山野辺の道を案内してくれたガイドさんは東京の若い人、私の質問に戸惑っていた。

    ♠ カセットのダミアよ「暗い日曜」を火曜に聴いてもかまいませんか

   応えるられない故人の歌手に話しかける、「日曜には貴女の歌は聴きたくないの」

    ♠ パンのみに生きているのか私は食べながら世を嘆いているのか

   やはり私は動物なのだ。いまも昼餉のことを考えている。「ラーメンにしょう」などと。
   私の歌には質問する歌がかなりある。でも「いい質問」はあるだろうか。

                   10月13日  松井多絵子

          
を。、


仙石原のポーラ美術館

2016-10-11 22:08:13 | 歌う

            仙石原のポーラ美術館

 ♥ 近づいてゆけば広がるススキの野そんな感じの青年だった  松井多絵子

 私は2時間前に箱根の仙石原から帰って来た。夕日のなかのススキはほの白く揺れていた。まだ若いススキの穂は。6年前は銀色の穂が夕風に揺れていた。箱根は私の奥座敷、幼い頃から度々訪れている。春はツツジ、初夏は紫陽花、秋はススキ、私は箱根を自分の庭のように思っている。

 ♥ 絵のなかの汀を歩く睡蓮の蕾の眠りを覚まさぬように

 仙石原のポーラ美術館に着いたのは10時半、辺りは紅葉していないが気温は11度、
ガラス張りの美術館は木々の緑に囲まれている。私の好きなブナ・ヒメシャラなどをエスカレーターで下りながらガラス越しに眺める。この館でモネの睡蓮に会う贅沢な半日。あれは20年以上も前の春だった。パリビジョンのツアーでモネの庭を見て回った。野草のひろがる広大な庭に池があり睡蓮が咲いていた。花と葉が雑然と広がっていた。日本の庭園のようにきちんと剪定されていない。ポーラ美術館の睡蓮の絵も、花の輪郭は、ぼあーん としている。淡い紅が池のあちこちに浮いている。

 ♥ この部屋にひねもす我を委ねたしマチスの描く彼のアトリエ

 ♥ ピカソなら或いはわれを美女として見たかもしれぬ、木々が色づく

             ※       ※       ※  

  ピカソの描いた油彩の「女」を見たのち私はポーラ美術館を去った、もしかしたら私は美女かもしれないとひそかに思いながら、 松井多絵子、 、

 


パパを語る佐佐木定綱

2016-10-10 09:46:33 | 歌う

          ~ パパを語る佐佐木定綱 ~

 ~最近、「父親に似てきた」と言われることが増えた。あゝ、なんてこった。将来こうなるのか。と頭を抱えるが、まあ、どうしようもない。遺伝子とやらはそいうものだ。~「うた新聞10月号」で連載第7回の♠「親子でシンクロ」はこんな文から始まっている。文というより「おしゃべり」。私に話しかけてくれのは佐佐木定綱。伝統ある短歌結社「心の花」主宰・佐佐木幸綱の次男である。

 定綱は♠第62回角川短歌賞に決定、(竹中優子(未来)とのダブル受賞である)。定綱は昨年度は「シャンデリアまだ使えますか」が次席。今年の受賞作は「魚は机を濡らす」 連作のタイトルが独特である。「平凡な作品なんか作りたくない」、ジャンプしたい青年か。4回転のジャンプを?

 「父親の若い頃に似ているらしい、血か環境か、なんて議論はどうでもよく、無意識に染みこんでしまっている。短歌については ♠父は力強い短歌だが、ぼくは力強くない。命令形の歌だったり、言い切り、小さいものから大きいものへのダイナミックな視点移動など、模倣した歌はいくつかあるが。歌を作り始めたときは、反抗期もとうに終わっていたので、似ていないものを目指すでもなく、素直にまねをした」。 定綱はまだ30歳、今後が楽しみだ。

 「現状では父と似ているところはあまりなさそうだ。自分では気が付かないが、他人から見たらそっくり、というところも。恐ろしい。 ♠ひとつだけ、短歌への接し方は似ているかもしれない。あまり奇をてらったりせずにうたう。妙な深読みをしたり、迎えて読まずに、歌そのものと向き合う。変に構えたり、豪華なレトリックを凝らしたりはしないで、等身大で対峙する。

 定綱は若いのに、すでに短歌を心得ているようだ。心得ないままに短歌の山道で幾度も遭難しそうになった私とは違うなあと思う。私はもうジャンプはしない。しかし ♠定綱は大けがをしない範囲で盛んにジャンプを。例えば 2月2日 朝日・あるきだす言葉たち

  ♦ 十二時に存在しなくって八時には存在している死骸

  ♦ ねこの血をわが腕より拭うとき流れていた歌口づさむかかな

       「死骸」 8首より 第1首と第8首 

 この定綱の歌をパパの幸綱氏は苦笑されるか。あるいは「やったじゃないか」 かもしれない。角川短歌賞の✿「魚は机を濡らす」 どんな魚か 早く見たい読みたい。       

                  10月10日  松井多絵子   


俳句か、短歌か

2016-10-09 09:48:03 | 歌う

               俳句か、短歌か

 ♠ よれよれの麦わら帽を手にとれば寺山修司の海がひろがる  松井多絵子

 寺山修司は10代半ばから俳句を始めた、19歳のときには短歌研究新人賞を受賞し、次々に歌集を刊行、自由詩、演劇、映画でも活躍し48歳で世を去った。彼は俳人であり歌人でもある。10月8日 ☀ bE 特集は 「俳句と短歌のどちらが好き?」の結果は      ▴ 俳句が好き 69%  ▴ 短歌が好き 31% である。その理由は?

▴ 俳句は5・7・5のリズムがいい。季節感がある。短いので想像力を刺激。つくりやすい。

▴ 短歌は喜びや悲しみを表現しやすい。5・7・5・7・7・のリズムがいい。俳句より制約が少ない。何でもテーマになる。百人一首が好き。

 どちらも日本文化を代表する定型詩である。文字数が決まっている。。喜びや悲しみなど自分が感じたことや、見た風景、自然などのありさまを言葉にして伝える。俳句と短歌の違
いは文字数の違いと季語の有無。短歌には恋の歌が多いようだ。

 俳句も短歌も作る二刀流も多い。私もどちらか決めかねた時期があった。短い言葉が大きな景になる俳句の素晴らしさ、でも作っても類句になりかねない。投稿したら類似作があり入選取り消しなどが怖い。その点、短歌はかなり安心だ。気軽に新聞や雑誌に投稿しいつのまにか私は歌人の端くれになっている。bE の調査では俳句も短歌も83%の人が投稿したことがない、とはモッタイナイ。私の場合、自信のない作品が、なぜか入選している。

 初めて歌会に参加したとき「言葉が多すぎる」「言葉を捨てよ」と先輩の歌人たちから注意された。中年太りに悩まされていた私は「短歌も減量」しなければならなかった。 

      ♠ 歌人なら言葉を捨てよと君言いし後はか細き風の音のみ

                  10月9日  松井多絵子


手帖のスゴ技

2016-10-08 09:33:30 | 歌う

              手帳のスゴ技

 ♠ この秋の旅の予定の記されぬ手帳の空白、白がふるえる  松井多絵子

 7年も前のわたしの歌である。そのころ妹は癌の末期だった。私は人と会う約束をせず、日帰りの旅もしなかった。手帖を開くと空白が震えていた。白が目にしみ、怖かった。

 11月号 WOMANの広告は ✿ 手帳のスゴ技~時間リッチになる、毎日が楽しくなる♪
          ♪ デキる人の「使い方、選び方」すべて公開します 

<部署別> ウソのように仕事上手になる

    ▴ 営業→先手を打つ ▴ 秘書→抜け漏れがなくなる
    ▴ 企画→予定が一目瞭然 ▴ PR→自分時間を確保する 

<目的別>お金、ダイエット 簡単に計画倒れグセが治る

    ▴ お金メンテ→無理なく貯められる ▴ ToDo管理→時間に振り回されなくなる
    ▴ ダイエット、英語記録→夢がかなう

この手帳は2017年完全保存版である。スゴ技が身につくのは来年。鬼が笑ってますね。

♠ メモ帳もカメラも持たずただ歩く縄文人も歩いたかこの丘

 私は時々メモ帳を持たずに散策する。小さなな旅を楽しみたい。短歌を忘れていたい。短歌を作るための旅などしたくない。だから旅をしているとき手帳には見たこと、気が付いたことを断片的に記すだけ。帰ってから、思い出しながら詠むことが多い。

♠ 出土品「縄文ポシェット」ひき寄せて私の手帳を入れたくなりぬ

 著名な歌人が駅の構内で、立ちながら手帳に何か書いているのを見たことがある。絶えずメモをしているらしいという噂を聞いていたが、気がついたこと、思いついたことはすぐに記さないと脳は保存してはくれないのだ。ただし手帳が雑然としていたら駄目か。デキる人の使い方をマネしてみたくなる。✿「なりたい私に近づく最高の手帳」、この広告につられて私は京の午後に駅前の本屋へ行くかもしれない。雨よ降らないでね。

              10月8日 松井多絵子