・・・・ 転職30回の水上勉 ・・・・
❤ この世より去りて10年いまもなお水上勉の吐息きこえる 松井多絵子
世田谷文学館では12月21日まで、職業遍歴などを紹介する ♠ 「水上勉のハローワーク 働くことと生きること」 を開催中である。作家の水上勉(1919~2004)は社会から虐げられ運命に翻弄される人たちを主人公に、多くの小説を書いた。それは彼の苦難の人生を反映している。彼は42歳で直木賞を受賞するまでに、30以上の転職をしたらしい。
1919年福井県に生まれ、10歳のとき京都の禅寺、瑞春院の小僧になる。13歳のとき等持院に移る。17歳のとき等持院を出て還俗、京都小型自動車組合の集金人となる。満州に渡り19歳で苦力監督見習として働く。21歳のときは日本農林新聞社勤務。22歳のときは報知新聞社、学芸社、三笠書房に勤務。すごい職歴ですね。成人になる20歳まで彼は自力で働いたんですから。先ず禅寺の小僧は厳しかった。寺では早朝から炊事や掃除。和尚と奥さんは朝からご馳走を食べているのに水上勉は粗食を強いられ、赤ん坊のおむつを毎日洗わされ、寺を脱出した。転職を繰り返しながら人間観察を深めた、彼の人生は ♠ 「苦労の百貨店」であるといわれる。
今でもスポーツ選手は幼少からキビシイ練習、ケガも克服。でも10代で認められ経済的に恵まれる人もいる。親たちの献身的な協力が成功させているのだ。しかし水上勉の場合は全く自力で独りで成人したのだ。29歳で作家をめざし直木賞を受賞するまでには転職を約10回。しかし受賞後は今までの苦難が良き素材となり数々の名作を生んだ。
水上の長女蕗子さんは ♠ 「父の文章からは人間が立ちあがってくる。それは様々な職業を体験し、心に苦労の襞を重ねることで、リアリティーゆたかな描写力を身につけたからでしょう」と。 85歳で亡くなったが総決算すると 「いい人生だった」のではないか。
晴れのち豪雨の人や 「サヨナラ勝ち」の人もいて ♠ 「人生いろいろ」ですね。
10月30日 松井多絵子