SATORI 「さとりの世代」 SATORI
❤二十五歳がさくら見ながら我に云う「人間はみな死刑囚だぜ」 松井多絵子
さくらが満開になり始めたいま、私はあと何度さくらを見られるかなあと思う。二十五歳はそんなことを思うはずがない。老人はこの世に滞在する時間が刻々と失われていく。あそこへ行きたい、あれを見たい、はやく見たい。旅行をする老人たちが多いのに比べて若い人たちは少ない。
昨日の朝刊で「さとりの世代」という言葉を知る。旅行へ行きたいとは思わない。車もいらない、ブランド品もほしくない、「欲しがらない若者たち」が多くなってきているらしい。バブルが崩壊し不況時代に育った若者たちは、先々のことをおもうとお金を使いにくいのではないか。友達が旅行へいかなければ、車を、ブランド品を買わなければ自分が持っていなくても気がひけることもない。若い人たちは特に友達に支配されやすい。モノがあふれている今、購買欲がさほどないのかもしれない。しかし若い時でなければできないことも色々あるのではないか。
「さとり世代」は恋愛に淡泊だなんて淋しすぎる。親しい彼女はいても恋人ではない。恋人や妻にしたらお金がかかる、まして子供ができたら、などと全てがお金に支配されているらしい、欲しいものを手に入れるために頑張って働くのはイヤ、だから欲しがらないのだと、新聞の記事は。、
老成した若者と気の若い老人、でも「さとりの世代」がわたしたちのような老人になったとき「さとりの老人」のまま世を去ることができるだろうか。
❤近づいて行けばひろがるススキの野そんな感じの青年だった 松井多絵子