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とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『この世界に残されて』を見ました。

2021-02-15 08:06:55 | 映画
 ハンガリー映画『この世界に残されて』を見ました。1948年のハンガリーを舞台に、ホロコーストを生き延びた16歳の少女クララと42歳の医師アルドの信頼関係を描いた映画です。淡々と進んでいく中で、心の裏側まで見えてきて、心の虚実が描かれるすばらしい映画です。

監督 バルナバーシュ・トート

キャスト カーロイ・ハイデュク、アビゲール・セーケ、マリ・ナジ、カタリン・シムコー、バルナバーシュ・ホルカイ

(あらすじ)
第二次世界大戦が終わった1948年のハンガリー。婦人科医をしている42歳のアルドは、16歳の少女クララを診察する。クララは、ホロコーストで両親と妹を亡くしていた。アルドはクララの保護者となるが、ふたりの間には微妙な恋愛感情も生まれている。しかしそれをお互いに隠すしかない。一方ではホロコーストの影が迫っている。

 最初はこの映画の意図が見えないままでした。少女と中年男性の恋を描いているのだろうか、それともホロコーストを描いているのかわかりません。淡々とアルドとクララの不安定で、それでも信頼を得ていく関係が描かれていきます。その中で二人には恋愛感情が生まれていくようにも見えます。しかしアルドはその感情を抑えているようにも思えます。

 この微妙な関係が、言葉によって語られることはありません。淡々と描写されていくだけです。ホロコーストによる社会的な無言の圧力の中で、二人は心を表に出すことができなかったのです。

 アルドは再婚を決心します。そして映画はいきなり3年後になります。その3年後を描く10分ほどの場面がとてもいい。すべてが昇華します。

 特にクララが「うそついている?」と尋ねたことに対して、アルドが「いつもさ。」と答える場面がすばらしい。この「うそ」は決して騙すための「うそ」ではありません。真実そのものなのです。

 「今ここにいない大切な人たちへ」と言って乾杯する場面で終わりになります。この終わり方がまたいい。

 80分ほどの短い映画でしたが、真実が凝縮されたすばらいい映画でした。

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『春風亭一之輔独演会』に行きました。

2021-02-14 07:40:28 | 落語
 2月13日、山形県米沢市で開催された『春風亭一之輔独演会』に行きました。一之輔さんは、最近の漫才のような笑いを落語に持ち込んでいます。人物の描写が派手でどぎつい。その結果古典落語が今風の笑いを生みだしています。大いに笑わせていただきました。

 演目はお弟子さんの与いちさんの「道具や」、そして一之輔師匠の「加賀の千代」と「らくだ」。

 「加賀の千代」は、ちょっとおつむが足りない甚兵衛さんが、大家さんにお金を借りにいくという噺。大家さんとそのおかみさんが甚兵衛さんが来るのを喜んで待っていたという描写が一之輔さん独特のものでおもしろいものでした。

 「らくだ」は前半のみ。私は後半の不条理な世界が好きなのですが、あまりやることがないようです。この噺は誰が考えたのだろうと思うほど奇想天外です。タイトルになっている「らくだ」が死んでいるところから話が始まるのですから最初から面喰います。やくざっぽい「半次」と気弱な「屑屋」が、酒を飲み始めるところからの立場が逆転するところがおもしろい場面です。一之輔さんは凄みもありますし、一方では気弱な描写もうまく人物描写が見事です。それによって自然な笑いが生まれます。楽しませていただきました。

 米沢市は雪の多い都市です。本来ならば「雪灯籠祭り」が行われているはずでしたが、新型コロナのせいで今年は中止となってしまいました。そんな中でも、みなさんの努力でなんとか開催された落語会でした。はやく状況が改善してくれればと思います。

 
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東ソーアリーナ『柳家小三治落語会』(2021年2月11日)に行きました

2021-02-12 06:25:45 | 落語
 東ソーアリーナで開催された『柳家小三治落語会』に行きました。

 東ソーアリーナというのは去年まで「シベールアリーナ」と呼ばれていた劇場で、井上ひさしさんが生前シベールという企業の社長と一緒に山形市に作ったものです。この場所に井上さんの蔵書による図書館「遅筆堂文庫」が併設されています。この劇場で落語をするならば小三治師匠をという井上さんの遺志に感銘した小三治師匠が、毎年この時期に来てくれています。今年は9回目だそうです。私は6回目です。毎年楽しませてもらっています。

 今年は三之助さん、〆治さんのベテランのお弟子さん二人を連れての落語会です。小三治師匠は今年は一席だけでした。例年だともっと多いのですが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のためなのか、それとも高齢のためなのか少し短い出番となってしまいました。しかし短いと言っても1時間ほどの高座です。もちろん十分楽しませてもらいました。

 今年の演目は「猫の皿」です。一番弟子の〆治さんが、山形の新庄市の出身で、山形市の大沼デパートに当時珍しかったエスカレーターを見る修学旅行に来たというマクラから始まりました。その後木製のエスカレーターの話になり、宮城の疎開の話になります。そして自分を騙すように宮城に置いていった母親との確執に話が発展します。ちょっとしんみりします。しかし今年はあまり寄り道しません。その後テレビの『鑑定団』に出た話をマクラにして、骨董屋の噺につなげていきます。猫の描写が見事です。自然に猫がそこにいるように感じられます。

 最後に、自分に向けられた拍手を止め、新型コロナウイルスと闘っている医療関係者に拍手を送るように言って幕となりました。さすがです。


2016年
https://blog.goo.ne.jp/masasamm/e/53880939c9e3591344e5b391e2273da5
2017年
https://blog.goo.ne.jp/masasamm/e/480373eb8fa9424ec1b76f5295837118
2018年
https://blog.goo.ne.jp/masasamm/e/6087604b13fe6b3100b35304bde50dc5
2019年
https://blog.goo.ne.jp/masasamm/e/e4f8f28d19cf3bd13494eccb89e1c72b
2020年
https://blog.goo.ne.jp/masasamm/e/a257b915970fe901abccec91f45bd10e
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コロナは人間性を引き出す

2021-02-10 20:14:10 | 社会
 新型コロナウイルスに対する対応は人によって大きく違っています。恐れるだけの人、恐れるあまりに他人に対しても厳しく感染予防を強いろうとする人もいます。一方ではほとんど気にしない人、マスクをつける意義を感じないながら、他人からいろいろ言われるのが嫌なのでしょうがないからマスクをつけている人もいます。これまでの日本人だと、なんとなくみんな周りに合わせているだけで、あまり主義主張はなかったのですが、今回のコロナウイルスは明確に主張をする人が多くいます。人間性を引き出しているのです。これはいいことです。しかしそのせいでストレスが生まれるのも事実です。

 私は新型コロナウイルスの対応はしっかりとすべきだと思いますが、対応が行き過ぎる必要はないと考えています。例えば不織布マスクでなければいけないという人がいます。そんな人にはついていけません。鼻までマスクで隠さなければならないという人がいます。近くで会話をする場合などはそうかもしれませんが、しゃべらないでいる場合までそこまで強要されるのは嫌です。私は眼鏡をかけているのでマスクによって息で曇ってしまい、きちんとつけ続けることが困難なのです。

 新型コロナウイルスが、致死率が高くもっと危険なウイルスであるならば厳しい要請に従いますし、私の住んでいる地域の感染者がたくさんいるならば従います。しかし私の住んでいる地域はそういう状況ではありません。飲食店での飲食をできるだけ避け、マスク着用の上、うがい手洗いをきちんとするという程度で十分だと思っています。私のような考えの人もたくさんいます。

 一方では新型コロナウイルスに神経質になっている人も近くもたくさんいます。外食なんか絶対にいやであり、何かするたびにアルコール消毒をする人もいます。

 それぞれの人が明確に主義主張を持っていて、そのために周りに合わせるということができません。「空気の読めない」状況になってしまっています。

 外国人はこういう自己主張のぶつかり合いに慣れているのかもしれません。しかし日本人にとってはめったにない状況です。「空気の読めない」状況に日本人は慣れていないのです。

 これはストレスがたまります。しかしこのストレスがたまる状況はこれから日本人が様々な場面で出くわす状況なのではないかと思います。国際化というのはそういうことだらかです。しっかりと考えながら対応していき、「空気の読めない」状況での対応を学ぶいい機会だと思い、この状況に対応していきたいと思って、なんとかストレスと闘いながら生活をしています。
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森氏続投は打算の産物? 

2021-02-08 18:14:07 | 社会
 森喜朗氏のここに来てのいくつかの失言が大きな話題となっている。辞任すべきだという多数の意見はもっともである。森氏は昔の日本人そのものであり、国際化社会にはふさわしくない。当然オリンピックをまかせるなど無理な人だったのだ。しかしもしここで森氏が辞任してしまったら、だれが組織院長を引き受けるのだろうという思いが関係者にはあるような気がする。そのあたりの事情が混乱させているのではなかろうか。

 おそらくこのままいけば東京オリンピックは中止、もしくは無観客の公算が高い。うまくいっても国内の観客だけの開催となるだろう。だとしたらば経済的な効果はとぼしくなり、なんのために日本で開催したのかという批判が出るのは必至である。儲かるのはアメリカのテレビ局だけ。アメリカのためのお祭りを日本が金を出してやってというような大会になってしまう。

 こうなると組織委員長は批判の矛先に立つ人物である。今、森氏を辞任させて新たに組織院長になる人がいるだろうか。悪役を引き受けるだけの人である。なんのメリットもない役職を引き受ける人などいるはずがないし、それを押し付ける人もいやしまい。

 森氏は守られているわけではない。森氏続投は打算の産物なのだ。
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