とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「創造性」よりも「創意」、「発明」よりも「発見」

2017-08-26 15:53:23 | 1年前シリーズ
 1年前のブログを振り返る。

次の文は朝日新聞の一面の鷲田清一さんのコラムで取り上げられた言葉である。大久保賢氏の「黄昏の調べ」からの引用。

 求められるのは「創造性」よりも、既存のものを活かす「創意」である。・・・「発明」することではなく、「発見」することである。

 人類は近代になって新しいものばかりを追い求めるようになった。しかしほとんど新しいものは生まれてきていない。斬新なものを追い求めた結果、陳腐なものしかうみだしていないのだ。

 そもそも全く新しいもの、奇抜で新鮮なものを生み出すことなど本質的に無理な話なのだ。人間にとっての新しいものというのは、何らかの土台があり、その土台の上にちょっとした新鮮味を加えたものでしかないはずだ。もし「全く新しいもの」であったならば、それはだれにも理解されるはずがない。奇妙な無用の長物でしかないはずなのだ。アバンギャルド芸術はそれが一般化したところでもはや芸術ではなくなるが、新しい芸術はそれが一般的にみとめられるようになっても芸術である。

 すべては模倣から始まる。模倣からの創意が大切なのだ。著作権や特許で模倣を許さなくなった近代は、本質的に間違っている。

 他のところで書いているが現代は著作権があまりに拡大しすぎている。これでは世の中が停滞してしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バールのようなもの

2017-08-25 17:08:59 | 国語
 普段当たり前に使っている自分の言葉を改めて考えてみると、実はそんなに当たり前ではなかったということがたまに遭遇する。当たり前が当たり前でないことが気づいたとき、当たり前ってなんだったのかを考え始める。それがメタ認知である。母語の教育にはそうした当たり前が当たり前でなくなることに気づかせることが時に重要になる。それをしないでいると、いつの間にか袋小路に入ってしまう。

 そんな中で先日聞いたネタ。

 「バールのようなもの」

 「バールのようなもの」というのはそのまま読めば「バール」ではないはずである。しかし、
「被害者はバールのようなもので殴られた。」
と言った時、バールである可能性がないわけではない。いやバールの可能性のほうが高いのではないか。だとすると「バールのようなもの」という表現はなんなのだ、という問題が残る表現である。

 清水義則がこのタイトルで小説を書いている。そして立川志の輔が落語にしている。私はまだ読んでないし、聞いてもいないが、早急に読んで、聞いてみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶴岡市クラゲドリーム水族館

2017-08-23 11:28:36 | 旅行
行って来ました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評『旅猫リポート』(有川浩作)

2017-08-22 07:23:28 | 読書
 有川浩さんの小説はおもしろいのでよく読んでいる。軽くて読みやすいのだが、小さな工夫がちりばめられ、感動させられるのだ。

 主人公は何らかの理由で飼っていた猫と一緒に暮らせなくなる。そこでその猫をもらってくれる古い友人を訪ね歩くことになる。主人公と友人たちの古いエピソードから主人上の人柄が浮かび上がってくる。

 主人公が猫を飼えなくなる理由は推測がついてしまう。しかし最後にもうひとつの秘密が明かされる。そしてその秘密がなぜ猫だったのかの理由になっていたのだ。

 あざとさはある。しかしそれを超える感動を与えてくれる本だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松本人志氏の発言を評価はするが、根本がおかしいのでは

2017-08-21 10:20:13 | TV
 松本人志氏が20日放送の「ワイドナショー」で、前週の放送で上原多香子のかつての不倫疑惑について、「しゃべっても。謎の事情でカットされ・・・」と自身の発言がカットされたことを打ち明け、「フジテレビには怒ったんですよ」と語った。私はこれまでこの番組における松本氏の発言、態度に批判を何度かしてきていた。もちろん私の批判を読んでいたとは思わないが、私と同じような批判を見たり聞いたりしてきたとは思われる。そのような批判に対する一応の回答と受け止め評価したい。

 しかし根本的な部分で納得しがたい。この松本氏の発言は「ワイドなショー」という番組内での内輪もめにすぎないのである。だとすると視聴者に向かってすべき発言ではないのである。番組の方針や編集について不満があるのならば、フジテレビと松本氏の間で解決すべきものであり、それをせずに視聴者に直接訴えるというのは松本氏の売名行為と取られてもしょうがないのである。

 フジテレビとしての正式な見解をしっかりと述べるべきである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする