とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

夏目さん問題と権力者の横暴

2016-11-25 08:25:13 | 社会
 夏目三久さんと有吉弘行さんの熱愛・妊娠に関する報道で、日刊スポーツは「事実と異なるところがあった」と謝罪記事を掲載したとのこと。

 私はふたりに特別な思い入れがあるわけでもないが、この報道に対する他のマスコミの無反応さに不信を抱いていた。従来ならば誤報ならば誤報で、真実ならば真実でTVのワイドショーはもっと大げさに取り上げていたはずである。それなのにこの話題だけは何も取り上げない。夏目さんの事務所からの圧力があったという憶測も流れた。もしそうだとしたら、ワイドショー側の日ごろの偉そうな態度はなんだというのだ。弱い者いじめはするが、権力にはひれ伏す。これが日本のマスコミの現実だったのだ。

 先日、イベントでジミーペイジが演奏しなかったという問題も起きた。二転三転して返金に応じることになったが、これも情けない。はったりをかまして話題になったほうが勝ち。困ったら謝ればいい、そんな風潮がはびこっている。

 東京都の豊洲やオリンピックの問題もそうだ。ゼネコンの思うように高騰した額で、いい加減なものを作って、何か言われたらその時ごまかせばいいというような、腐った根性が見えるようだ。

 沖縄の基地問題、原発の問題、すべてが一部の人たちの思惑によるはったりで事が進んでいるように思えてならない。

 アメリカでトランプ氏が勝ってしまったのも、こういう一部の人に牛耳られている政治を庶民のものに戻すには、トランプ氏のような庶民派の剛腕しかいないというアメリカ国民の判断だったのではないか。

 日本も権力者の横暴がこのまま行ったら、とんでもないことになってしまうのではないかという危機感を私は抱いている。
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和田アキ子 紅白出場ならず!

2016-11-24 14:40:48 | TV
 和田アキ子さんが今年の紅白に選ばれないということが話題になっている。和田さんは特に今年歌手として目立った活躍をしたわけではないので、当たり前といえば当たり前である。逆にこれまで「和田アキ子」だというだけで選ばれてきたように感じられるので、遅すぎる判断だったとも思える。

 このようなことが話題になるのも、「芸能界」という村社会の存在を感じる。それ以上に村の存在自体を、そして村の出来事を野次馬的に楽しんでいる我々の醜い姿が鏡に映し出されているように感じられる。自分を戒めなければいけないなという思いが沸き起こる。

 話をもどそう。和田さんは歌がうまい、と昔はみんなが言っていた。私もそうだと思っていた。しかし最近の和田さんの歌は、音は外すし、声量も以前ほどない。歌手としての存在意義が薄れてしまったというのが正解なのかもしれない。ただ、まだまだ老け込む年ではない。これからもう一度鍛えなおし、歌手としての輝きを取り戻してほしい。

 「芸能界のドン」なんて立場はいらない。すばらしい歌い手「和田アキ子」として再び輝いてほしい。

 それにしてもなぜ大竹しのぶなのか。
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ピーター・ハミル

2016-11-23 10:19:29 | 音楽
 11月9日~13日までピーター・ハミルが来日公演を行った。

 ピーター・ハミルというのは、イギリスのロック歌手で、「ヴァンダー・グラフ・ジェネレーター」というプログレバンドのヴォーカルとして1970年代から活動している人である。当時からソロ活動も並行しておこなっており、今もソロの活動をメインにしながらも、「ヴァンダー・グラフ・ジェネレーター」の活動も行っている。来日公演の際は、たった一人でピアノ、もしくはギターを弾きながらの公演になるのが、通常のパターンであ。ここしばらくは毎年のように来日している。

 私もほぼ毎年聞きに行っている。今年は11日から13日までの3日間行った。ライブハウスでの公演で、観客は100人に満たないが満員状態だ。毎日違う曲目が歌われ、しかもその歌い方は、毎日のように変化していく。一期一会という言葉を実践している生演奏である。観客は静かに聞き、歌い終わると熱狂的な拍手が起きる。「濃密な時間」という言葉がこれほど当てはまる空間はない。

 私がピーター・ハミルを最初に知ったのは、中学生のころであった。そして今までもう40年近くになる。中学、高校時代に出会ったものは、今でも自分にとっての骨と肉になっている。自分の土台になるものを大切にしながら、新しいものに積極的に挑戦する、そんな一期一会を大切にしていきたいと感じるライブ体験だった。

 ピーター・ハミルがこれからも来日公演を繰り返すことを期待しつつ、新しいことに挑戦し続けることを見守っていきたい。そして、自分もそれに刺激を受けて、日々の生活を挑戦し続けたい。
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ジミーペイジ演奏せず 返金に応じる 来年度の割引も発表?

2016-11-21 21:21:05 | 社会
 このブログで返金すべきだと言ったが、返金に応じるようにしたそうなのでまずはよかった。しかも来年度の割引も発表したとのこと。ここまでくると変わり身の早さに脱帽するが、情けなくもなる。

 主催者のKLabの真田哲弥CEOは「CRA2016の開催は、私たちにとって大変貴重な学びの機会となりました。(中略)私たちはCRA2016を主催して学んだ多くのことを、次年度以降開催するイベントへの糧にしてまいります」とコメントしたとのこと。まあ素人がいい気になってやったことだったということだったわけだ。

 この真田氏はショービジネスを単なるビジネスと思っているようである。チケットを買う人みんなにお金とは相いれない思いがあるということがわかっていない。おそらく、このイベントからは手を引いてもらったほうがいいのではないかと思われる。もし来年もやるならば、ぜひとももっと勉強してもらいたい。そしてビジネスとともに、イベントとしての成功をぜひともやり遂げてもらいたい。

 失敗からこそ学べないこともある。

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「遊び」

2016-11-20 08:59:45 | 折々のことば
 今日の朝日新聞の鷲田清一氏の「折々のことば」で紹介された、ロジェ・カイヨウ氏「遊びと人間」の中の言葉。

 いかなる富も、いかなる作品も生み出さないのが、遊びというものの特徴である。

 そういえば子供のころは普通に遊ぶことができた。できる、できないというより、ただ楽しむためだけに遊ぶのが当たり前だった。しかし今は遊べない。非生産的なものはできなくなってしまっている。下手すると「気分転換のために遊ばなければならない」とむりやり「遊ぶ」ため、全然「遊び」になっていないという事態に陥ってしまう。近代資本主義の中で私たちはもう遊べなくなってしまったのだ。
 
 鷲田氏は次のように語る。

 あそびがなければ歯車が回らないように、人生も社会も、気晴らしうや喜びでいっときはじける、そんな隙間や緩みがないと息をつけなくなる。

 おっしゃる通りであるが、それができなくなっているから苦しいのだ。
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