門井慶喜の長編小説を原作とした映画『銀河鉄道の父』を見ました。宮沢賢治の生涯をその家族に視点をあてて描かれた作品です。淡々と描かれることによって、宮沢賢治の家族の姿を映し出し、それを自分の家族の姿のように見てしまう映画でした。泣けました。
この作品は宮沢賢治の父、宮沢政次郎の目を通して、息子をはじめとする家族を描く小説です。この本を読んだときその感想を私は次のように書いています。
「宮沢賢治は不器用な人なのです。不器用であるからこそ逆に好かれるのです。不器用な家族の不器用な歴史が語られる本です。」
家族は不器用です。信頼があることはその通りではありますが、その信頼があるからこそ対立が絶えません。自分が自分を思い切り主張できる場なのです。普段外の世界では言えないようなことも家族の中では口に出ます。厳しい言葉が行き交いますが、しかし家族は家族です。基本的な信頼は揺るぎません。この映画はその家族の姿を淡々と描いています。だから自分の家族を描いているように伝わってくるのです。
映画では宮沢賢治に焦点が当たり過ぎているように思われました。父親よりも宮沢賢治が主人公に見えてしまったのも事実です。
この映画を見ながら、地方には名も知られず死んでいったたくさんの「芸術家」がいたのだろうなと感じました。その地方にはそれぞれの価値観があり、その中で評価すべき才能がたくさんあったのだろう。そういう地方の文化が浮き上がってくるような映画だったと感じます。
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