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『吾輩は猫である』の読書メモ⑫「第十一章の2」

2023-04-05 07:57:17 | 夏目漱石
 『吾輩は猫である』を読んで、メモしていく。今回はその12回目。第十一章で「探偵」をきっかけに近代の個人主義についての論争が巻き起こる。これは作者の思想の表明であり、こういう思想を取り入れることができるのが、「小説」というジャンルの自由さを示している。

【探偵】
 まずは苦沙弥が「探偵」という言葉にかみつく。

 「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間に雨戸をはずして人の所有品を盗むのが泥棒で、知らぬ間に口を滑らして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、脅し文句をいやに並べて人の意志を強うるのが探偵だ。だから探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族で到底人の風上に置けるものではない。」

 小説家というのは「探偵」のようなものだ。心を読むのが職業のようなものだ。それをひどく軽蔑している。夏目漱石にとっては自己否定である。自分が小説を書くというのは、自分が探偵になるということである。それは自分にとって嫌なことだ。つまり自己嫌悪になることを職業に選んでしまったのだ。

【近代は探偵の時代】
 独仙が質問する。
「探偵と云えば二十世紀の人間は大抵探偵のようになる傾向があるが、どう云う訳だろう」
 苦沙弥が答える。
「僕の解釈によると当世人の探偵的傾向は全く個人の自覚心の強すぎるのが原因になっている。」
 さらに続ける。
「今の人の自覚心というのは自己と他人の間に截然たる利害の鴻溝があると云うことを知り過ぎている云う事だ。そうしてこの自覚心なるものは文明が進むに従って一日一日と鋭敏になって行くから、仕舞には一挙手一投足も自然天然とは出来ないようになる。」
「今の人はどうしたら己の自覚心が強くなるか、損になるかと寝ても覚めても考え続けだから、勢い探偵泥棒と同じく自覚心が強く成らざるを得ない。」

 近代は個人主義の時代だ。つまり「自分」を一番に考えなければいけない時代なのだ。自分を尊重するから他人に勝たなければならない。そのために「探偵」になってしまうのだ。

【「自由」は「不自由」】
 独仙が呼応する。
「昔の人は己を忘れるなと教えるからまるで違う。二六時中己と云う意識を以て充満している。それだから二六時中太平の時はない。」
 苦沙弥が言う。
「とにかくこの勢で文明が進んで行った日にゃ僕は生きていくはいやだ。」
 さらに議論は進み、次のように言う。
「吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困っている。それだから西洋の文明などは一寸いいようでもつまり駄目なものさ。これに反して東洋じゃ昔から心の修行をした。その方が正しいのさ。」

 日本人は西洋の個人主義によって「自由」を得た。しかしそのおかげで他人との競争の中に投げ込まれてしまった。これでは生きているのがつらくてたまらない。自然、神経衰弱に陥る。
これは現代まで続く。今の時代の生きづらさはそこに由来している。
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