今日は2016年の3月11日です。東日本大震災から5年がたちました。テレビではこの震災が次第に忘れ去れているのではないかという危惧が語られています。確かに日々の生活のなかであの日のことを思いださない日が増えてきました。しかし、私の体の中にはあの日のことが明らかに残っています。
町中が停電になって信号のない道を通る恐怖感。暖房のついていない部屋で過ごした一夜。断水になったその日の夜。ニュースを聞くために車のラジオで聞いていた真夜中。そして、福島の原子力発電所の事故。テレビで見た津波。ガソリンのない世界。あの数日の恐怖は体に刻み込まれています。ちょっとした地震でも昔よりも強く恐怖を感じるようになりました。また目まいが以前より多く感じられ、目まいが起こる瞬間の感覚は恐怖感をともなっています。やはりこの大震災は私の人生の中での重大な出来事であることは間違いありません。
それを考えると人間ってよくできているなあと思います。大震災の恐怖をいつまでも考えていれば、いつまでも前を向くことはできません。だから少しずつ忘れていくことは大切なことなのなのです。しかし、一方では深層心理の中にはしっかりと刻み込まれていて、いつでもその記憶がよみがえるようにできているのです。
「3月11日」は「日本人の記憶」です。
町中が停電になって信号のない道を通る恐怖感。暖房のついていない部屋で過ごした一夜。断水になったその日の夜。ニュースを聞くために車のラジオで聞いていた真夜中。そして、福島の原子力発電所の事故。テレビで見た津波。ガソリンのない世界。あの数日の恐怖は体に刻み込まれています。ちょっとした地震でも昔よりも強く恐怖を感じるようになりました。また目まいが以前より多く感じられ、目まいが起こる瞬間の感覚は恐怖感をともなっています。やはりこの大震災は私の人生の中での重大な出来事であることは間違いありません。
それを考えると人間ってよくできているなあと思います。大震災の恐怖をいつまでも考えていれば、いつまでも前を向くことはできません。だから少しずつ忘れていくことは大切なことなのなのです。しかし、一方では深層心理の中にはしっかりと刻み込まれていて、いつでもその記憶がよみがえるようにできているのです。
「3月11日」は「日本人の記憶」です。