まずはじめにお断りしておきますと、タイトルの 「採点の祭典」 というオヤジギャグ (ダジャレ) は、
K済K営学類のK沢さんが著作権を有するものであり、私の発案ではありません。
さて、特別休暇という名の3連休を取って東京に来ていたのですが、
妻は仕事で出かけていたし、私はひたすら試験の採点をしておりました。
これは休暇でも何でもなくて、たんなる在宅の仕事にすぎないのではないでしょうか?
というグチはいいとして、まずは一番の難物である 「倫理学概説」 の採点から着手しました。
今年から開講セメスターが変わったために受講者数が例年の1.5倍~2倍近くに増えた科目です。
試験問題はこんな感じ。
「自由と幸福について自分なりに定義・分類した上で、そのどちらを優先すべきかを明らかにし、両者を保障する社会システムを構想せよ。自分とは反対の立場の者も含めてできるだけ多くの人を納得させられるように根拠、理由を詳述すること。」
我ながら難しい問題ですね。
試験問題はあらかじめ公表されておりますが、当日は持ち込み不可で、
悪名高いまさおさま特製解答用紙 (表30字×30行、裏30字×40行) に、
ひたすら書きまくってもらうという苛酷なテストです。
今年は初めて1年生がこのテストに挑戦するということで、
けっこう答案の質の低下を危惧していたんですが、
全体としてはそれほど心配したようなことはなくすみました。
ただ、やはり私の試験に慣れていないということもあるでしょうし、
まだ1年生だからいろいろな試験やレポートで鍛えられていないからかもしれませんが、
ちらほら論理の破綻を来しているような答案も見受けられました。
この授業に関してはテスト返却の正式な手続きを決めておかなかったので、
この場で感想めいたことを記すことによって試験後指導に代えたいと思います。
論理の破綻というのは、例えば次のようなことです。
自由と幸福だったら自由のほうを優先すべきであると明言し理由も詳述していたのに、
その直後に、自由と幸福を保障する社会システムを構築するために、
まず何よりも社会権の保障を優先するべきである、と書いている人がいて驚きました。
自由を優先するのであれば自由権または参政権、
幸福を優先するのであれば社会(福祉)権という大枠はちゃんと説明したつもりだったんですが…。
社会権の保障がなぜ大事かその理由を一生懸命書いてくれていましたが、
書けば書くほど、先ほどの自由を優先という議論と齟齬を来してしまっていました。
それからこんなふうに書いていた人もいました。
幸福とは人それぞれであり各個人が何を幸福と感じるかはまちまちである。
だからこそ (???) 自由よりも幸福を優先させるべきであり、
個人に合わせた幸福を保障できるような社会システムを作るべきである。
こう書いてくれた人は、これが何を意味するかわかっているんでしょうか?
例えば、私がステキな女性と一緒に食事やワインを楽しむことに幸せを感じるとして、
すると、私の幸福を保障するために社会 (もっとはっきり言うと、国家、あるいは、政府) は私に、
ステキな女性と料理とワインを提供しなければならない、ということになってしまいます。
そこまで気前よく私の幸福の面倒をみてくれちゃうんですか?
それと同じことを国民ひとりひとりについて全部保障してあげるんですか?
これは論理の破綻というよりも、抽象レベルで自分が展開した話が具体的に何を意味しているのか、
きちんと理解できていないということなのかもしれません。
それで言うとけっこう多くの人がこんなことを書いていました。
大きな政府も小さな政府もそれぞれ弊害があるので、中間形態の政府を目指すべきである。
自由主義でも社会主義でもダメなので、両者を折衷したいいとこ取りの体制を作るべきである。
いや、そりゃそうかもしれないけど、それって具体的にはどんな社会システムなんでしょう?
他にも、自由権と参政権と社会権をバランスよく保障できるシステムを、と書いてくれた人もいたけど、
問題は、どうすればバランスがよくなるのかその具体的な方策を示さないと、
何も言っていないに等しいですよね。
せめて、市場経済 (資本主義) は残すけれども、
○○と□□と△△については規制をかけ投機的な自由取引はできないようにする、だとか、
ロールズの正義の2原理で見たような優先順位を設定するだとか、
何かしら、折衷、中間、バランスに関して具体的な提案がないと言葉遊びに終わってしまうでしょう。
まあ 「倫理学概説」 ではそんな具体的な施策について勉強しませんでしたけどね。
ですから、抽象的に語るときにあまり折衷とか中間とかバランスなんていう便利な言葉は、
できるかぎり使わないようにしたほうがいいでしょう。
最後に、これは概念の創作だと思いますが、こんなことを書いてくれた人がいました。
幸福とは何かというのはひとりひとり違うものであるが、
人として生きてゆける最低限のレベルのものは共通しているだろうと述べてくれて、
その考えは私も納得できるものでしたが、
そうした幸福のことをその人は 「最小公約数」 と呼んでいました。
最小公約数、なるほど言いたいことは何となくわからないではありません。
シセラ・ボクの 「共通価値」、「ミニマリズム的価値」 みたいなことを言いたいのではないでしょうか。
でも実際のところ数学用語で最小公約数なんてありませんよね。
最小公倍数か最大公約数のどちらかでなくてはなりません。
最小公約数って1だよね。
惜しいね!
まあ、これはよく頑張ったということで特に減点はしませんでしたが…。
でも全体にみんなよく書けていたんじゃないかなあ。
これだけ難しい問題によく食らいついてくれました。
答案、楽しく読ませていただきました。
何とか一通り採点を済ませることができました。
あとはワークシートの点数と集計だあ。
ふぅ~
そのうち試験の返却について告知を出すかもしれないので、
引き続きこのブログまたは掲示板を注意して見ておいてください。
K済K営学類のK沢さんが著作権を有するものであり、私の発案ではありません。
さて、特別休暇という名の3連休を取って東京に来ていたのですが、
妻は仕事で出かけていたし、私はひたすら試験の採点をしておりました。
これは休暇でも何でもなくて、たんなる在宅の仕事にすぎないのではないでしょうか?
というグチはいいとして、まずは一番の難物である 「倫理学概説」 の採点から着手しました。
今年から開講セメスターが変わったために受講者数が例年の1.5倍~2倍近くに増えた科目です。
試験問題はこんな感じ。
「自由と幸福について自分なりに定義・分類した上で、そのどちらを優先すべきかを明らかにし、両者を保障する社会システムを構想せよ。自分とは反対の立場の者も含めてできるだけ多くの人を納得させられるように根拠、理由を詳述すること。」
我ながら難しい問題ですね。
試験問題はあらかじめ公表されておりますが、当日は持ち込み不可で、
悪名高いまさおさま特製解答用紙 (表30字×30行、裏30字×40行) に、
ひたすら書きまくってもらうという苛酷なテストです。
今年は初めて1年生がこのテストに挑戦するということで、
けっこう答案の質の低下を危惧していたんですが、
全体としてはそれほど心配したようなことはなくすみました。
ただ、やはり私の試験に慣れていないということもあるでしょうし、
まだ1年生だからいろいろな試験やレポートで鍛えられていないからかもしれませんが、
ちらほら論理の破綻を来しているような答案も見受けられました。
この授業に関してはテスト返却の正式な手続きを決めておかなかったので、
この場で感想めいたことを記すことによって試験後指導に代えたいと思います。
論理の破綻というのは、例えば次のようなことです。
自由と幸福だったら自由のほうを優先すべきであると明言し理由も詳述していたのに、
その直後に、自由と幸福を保障する社会システムを構築するために、
まず何よりも社会権の保障を優先するべきである、と書いている人がいて驚きました。
自由を優先するのであれば自由権または参政権、
幸福を優先するのであれば社会(福祉)権という大枠はちゃんと説明したつもりだったんですが…。
社会権の保障がなぜ大事かその理由を一生懸命書いてくれていましたが、
書けば書くほど、先ほどの自由を優先という議論と齟齬を来してしまっていました。
それからこんなふうに書いていた人もいました。
幸福とは人それぞれであり各個人が何を幸福と感じるかはまちまちである。
だからこそ (???) 自由よりも幸福を優先させるべきであり、
個人に合わせた幸福を保障できるような社会システムを作るべきである。
こう書いてくれた人は、これが何を意味するかわかっているんでしょうか?
例えば、私がステキな女性と一緒に食事やワインを楽しむことに幸せを感じるとして、
すると、私の幸福を保障するために社会 (もっとはっきり言うと、国家、あるいは、政府) は私に、
ステキな女性と料理とワインを提供しなければならない、ということになってしまいます。
そこまで気前よく私の幸福の面倒をみてくれちゃうんですか?
それと同じことを国民ひとりひとりについて全部保障してあげるんですか?
これは論理の破綻というよりも、抽象レベルで自分が展開した話が具体的に何を意味しているのか、
きちんと理解できていないということなのかもしれません。
それで言うとけっこう多くの人がこんなことを書いていました。
大きな政府も小さな政府もそれぞれ弊害があるので、中間形態の政府を目指すべきである。
自由主義でも社会主義でもダメなので、両者を折衷したいいとこ取りの体制を作るべきである。
いや、そりゃそうかもしれないけど、それって具体的にはどんな社会システムなんでしょう?
他にも、自由権と参政権と社会権をバランスよく保障できるシステムを、と書いてくれた人もいたけど、
問題は、どうすればバランスがよくなるのかその具体的な方策を示さないと、
何も言っていないに等しいですよね。
せめて、市場経済 (資本主義) は残すけれども、
○○と□□と△△については規制をかけ投機的な自由取引はできないようにする、だとか、
ロールズの正義の2原理で見たような優先順位を設定するだとか、
何かしら、折衷、中間、バランスに関して具体的な提案がないと言葉遊びに終わってしまうでしょう。
まあ 「倫理学概説」 ではそんな具体的な施策について勉強しませんでしたけどね。
ですから、抽象的に語るときにあまり折衷とか中間とかバランスなんていう便利な言葉は、
できるかぎり使わないようにしたほうがいいでしょう。
最後に、これは概念の創作だと思いますが、こんなことを書いてくれた人がいました。
幸福とは何かというのはひとりひとり違うものであるが、
人として生きてゆける最低限のレベルのものは共通しているだろうと述べてくれて、
その考えは私も納得できるものでしたが、
そうした幸福のことをその人は 「最小公約数」 と呼んでいました。
最小公約数、なるほど言いたいことは何となくわからないではありません。
シセラ・ボクの 「共通価値」、「ミニマリズム的価値」 みたいなことを言いたいのではないでしょうか。
でも実際のところ数学用語で最小公約数なんてありませんよね。
最小公倍数か最大公約数のどちらかでなくてはなりません。
最小公約数って1だよね。
惜しいね!
まあ、これはよく頑張ったということで特に減点はしませんでしたが…。
でも全体にみんなよく書けていたんじゃないかなあ。
これだけ難しい問題によく食らいついてくれました。
答案、楽しく読ませていただきました。
何とか一通り採点を済ませることができました。
あとはワークシートの点数と集計だあ。
ふぅ~
そのうち試験の返却について告知を出すかもしれないので、
引き続きこのブログまたは掲示板を注意して見ておいてください。
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