まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.回文が好きな理由は何ですか?

2017-09-18 23:45:09 | 人間文化論
自分の名前を紹介がてら、ずっと長いあいだ自分の名前を好きではなかったけれど、
いい大人になってから、「さま」 を付けたら回文になるということに気がつき、
もともと回文は好きだったので、それ以来自分の名前を好きになることができました、
ということをいつも話しているわけですが、
そこからさらに一歩掘り下げた質問をいただいてしまいました。

なぜ回文が好きなのか、その理由を問われたのは初めてです。
質問者の方、なかなかいいセンスをしていますね。
思考を深めるためにはなぜそうなのか、その理由を問い質していくのは大事なのですが、
ひとつの理由にたどりついてそこで満足してしまうのではなく、
さらにその理由へと問いを深めていくことができると、思考はどんどん深まっていきます。
実は子どもの頃というのはこの理由から理由への無限遡行というのはよくやっていたのですが、
大人の側がそれに付いていくことができずにそのうち怒り出してしまうから、
人は次第に理由の理由へと遡っていかないように自主規制をかけるようになってしまいます。
しかし哲学や倫理学にとっては、理由の理由へと遡ることはとても大事ですので、
今後は今回の質問者の真似をして、なぜのなぜを問うようにしてみてください。

さて、私はなぜ回文が好きなのでしょうか?
そう聞かれると答えに詰まってしまうのですが、
すでに書いたことのあるブログ記事のなかにそのヒントは隠されていました。
以下のブログを読んでみてください。

「Q.今までで一番ウケた回文は何ですか?」

そこに紹介してある 「宇津井健氏は神経痛」 が私が回文にハマるきっかけとなった原点です。
子ども心にとにかく衝撃を受けました。
その衝撃が出発点となったことは間違いないでしょう。
哲学の世界においても 「驚き (タウマゼイン)」 が哲学の起源だと言われています。
私の回文好きもあのときの驚きによって始まったのだと思います。

あれに出会う以前にも 「トマト」 や 「しんぶんし」 や 「山本山」 などが、
上から読んでも下から読んでも同じになるということは知っていましたが、
(厳密に言うと 「山本山」 は回文ではありませんが…)
それらを知っても特に驚きはありませんでした。
そういう単語レベルでの逆さ読みではなく、「宇津井健」 という人名と、
本来それとはまったく関係のないはずの 「神経痛」 という病名とが、
「氏は」 という別の語をはさむことによって回文になるということに、
日本語の神秘を感じたのだろうと思います。
ということで今回のお答えは次のようにまとめておきます。

A.まったく思いもかけない言葉を合わせると逆さ読みが可能となる、
  という日本語の神秘に触れたことによって大いに驚き、
  回文の魅力に取りつかれてしまったからです。

回文の中でも人名回文が未だに一番好きというのも、
この最初のタウマゼインによるところが大きいのでしょう。
自分の名前を使った回文というのは 「まさおさま」 なんていう、
「トマト」 や 「しんぶんし」 程度の素朴なもので長らく満足していましたが、
数年前に自信作を開発したので、せっかくの機会ですのでここで発表しておきます。
読みようによってはちょっとお下劣なので、長らく封印してきたものですが、
まあ、もう今さらなので解禁してしまいましょう。
とりあえず読みだけから行くとこういうやつです。

「タツマサオオサマッタ」

これにどういう漢字を当てるか、いろいろありえますが、
私の一番のお気に入りはこれです。

「勃つマサオ、収まった」

収まるべきところに収まったんでしょうね。
他にこういう漢字も考えられます。

「勃つマサオ、治まった」

電車内でうたた寝してしまって目覚めたときとか、収まりのつかないことがありますので、
無事治まってくれてよかったねという情景を描いた回文です。
いずれにしてもお下劣ですね。
「そういうの大好きだっ
ちなみに 「勃つ」 と書いて 「たつ」 と読むのは正しい日本語ではありません。
たぶんエロ本文化のなかで培われてきた読み方だと思いますが、
正しい日本語にうるさい私にしてはけっこう気に入っています。
最後はお下劣な人名回文の披露で終わってしまいましたが、
私が小学生のときに出会った回文の衝撃を少しでも今の皆さんにお伝えしたかったということで、
ご理解いただければと思います。


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