まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

NHK文化センター 「哲学って何だろう?」 最終回

2010-07-26 16:11:11 | 哲学・倫理学ファック
4ヶ月間にわたって開講してきたNHK文化センターの哲学講座ですが、
一昨日の土曜日が最終回でした。
古代ギリシアから始まって、猛スピードで哲学の歴史を追ってきたこの講座でしたが、
前回は、すべての学問を意味していた哲学から、
実証科学が分離・独立していってしまった過程をお話ししました。
今回はそれを承けて、実証科学が分離・独立化してしまったあとに残された現代の哲学は、
いったいどんな学問なのかということをお話しするつもりだったのですが、
要するに、実証的に証明したりすることのできないことをひたすら考え続けていく、
わけのわからない学問が今の哲学なんです、ということを言いたいだけだったわけです。
そういう話であれば、2時間も話す必要がまったくなくて、
ほんの10分もあれば語り尽くせてしまいます。
というか前回の最後にそういう話はすでにしていますので、
今回はもう特に話す内容がないということに、
資料の準備を始めた前日になってからやっと気づきました。

話すことはないので本来なら休講にしてしまいたいくらいですが、
さすがにそういうわけにもいきません。
何を話そうかなあと悩んだ挙げ句、最終回は 「現代の哲学」 というサブタイトルでしたので、
20世紀の哲学の動向について全般的に話すしかないかなという結論に至りました。
しかし、現代哲学というのは私のテリトリーではありませんし、
大学の授業などでも取り上げたことはありませんから、
ゼロから話を作り上げなければなりません。
大慌てで概説書などを読みながら、なんとか準備をしていきました。
金曜日は終電までねばってやっても間に合わず、
家に帰ってからも半分徹夜みたいな感じで資料作りに追われていました。
そうやって出来上がった資料は、これまでのものとは毛色が異なり、
人名がやたらとたくさん並んでいて、字がちっちゃい、とても見にくいものとなってしまいました。
やはり、自分の中できちんと消化しきれていない話というのは、
すっきりとまとまらないんだなあということを痛感させられました。
取り上げたのは以下のようなラインナップです。

1.20世紀の哲学

1900年 フロイト『夢判断』(精神分析)
    ディルタイ『解釈学の成立』(解釈学)
1906年 ソシュール「一般言語学講義」開始(1911年まで、1957年出版、構造主義)
1907年 ジェームズ『プラグマティズム』(プラグマティズム)
1913年 フッサール『純粋現象学および現象学的哲学のためのイデーン』(現象学)
1914年 ラッセル『外界についての我々の認識』(分析哲学)
1921年 ヴィトゲンシュタイン『論理・哲学論考』(分析哲学)
1925年 デューイ『経験と自然』(プラグマティズム)
1927年 ハイデガー『存在と時間』(現象学、解釈学、実存主義、存在論)
1943年 サルトル『存在と無』(実存主義)
1947年 ホルクハイマー&アドルノ『啓蒙の弁証法』(フランクフルト学派)
1949年 ボーヴォワール『第二の性』(フェミニズム)
1950年 ポパー『開かれた社会とその敵』(現代リベラリズム)
1958年 アーレント『人間の条件』(現代リベラリズム)
1960年 ガダマー『真理と方法』(解釈学)
1962年 レヴィ=ストロース『野生の思考』(構造主義)
1963年 フリーダン『新しい女性の創造』(フェミニズム)
1966年 アドルノ『否定弁証法』(フランクフルト学派)
1967年 デリダ『エクリチュールと差異』(ポスト構造主義)
1970年 ミレット『性の政治学』(フェミニズム)
1971年 ロールズ『正義論』(現代リベラリズム)
1972年 フーコー『狂気の歴史』(構造主義)
    ドゥールーズ&ガダリ『アンチ・オイディプス』(ポスト構造主義)
1974年 ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』(現代リベラリズム)
1978年 サイード『オリエンタリズム』(カルチュラル・スタディーズ)
1979年 リオタール『ポスト・モダンの条件』(ポスト構造主義)
1981年 ハーバマス『コミュニケーション的行為の理論』(フランクフルト学派第2世代)
1982年 サンデル『自由主義と正義の限界』(現代リベラリズム批判=コミュニタリアニズム)
    ギリガン『もうひとつの声』(フェミニズム)
1995年 ボク『共通価値』(グローバル・エシックス)
1999年 スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』(カルチュラル・スタディーズ)
2000年 ネグリ&ハート『〈帝国〉』(フランクフルト学派、カルチュラル・スタディーズ)

もちろん個々の思想家や個々の著作をひとつひとつちゃんと取り上げるわけではありませんが、
これだけのものをたった2時間で全部カバーしようというのですから、
もうむちゃくちゃな企てです。
皆さんほとんど話についてこられなくて、呆気にとられている御様子でした。
しかしながら私的には、20世紀の哲学をちゃんと俯瞰して位置づける、
なんていう作業を今までしたことはなかったので、
たいへん勉強になりましたし、勉強していてけっこう楽しかったです。
しかしながら講師が自分的に面白いと思っていることを、
そのまま聴衆にぶつけてしまったのでは面白い講義にならないということは、
学生たちにも常々言っていることですから、
今回もまた 「遂行的矛盾」 を犯してしまったということになります。
お金を払って講座を聞きに来てくださった方々には本当に申しわけないの一言です。
しかも、講義内容を作って資料を準備するので精一杯で、
最後に書いてもらう感想用紙のことをすっかり忘れていたというのも、
1週間前に懲りたばかりだったというのに情けないかぎりです。

さて、実証的に証明できないわけのわからない問題ばかりが現代の哲学に残されたわけですが、
(それらは大きく言って、認識論、倫理学、形而上学の3つだと思います)
最近ではそういった問題にも実証科学のメスが入れられるようになりつつあります。
大脳生理学や認知心理学といった科学が発達してきたことによって、
人間の脳の中で起こっていることに関しても、実証的に研究できるようになりつつあるのです。
そうした研究が進んでいけば、いよいよ哲学には何も残らなくなってしまうかもしれません。
それを 「哲学・倫理学に対する脳科学の脅威」 ということで、最後にお話ししました。
その実例として2つの文章をご紹介しました。


2.哲学・倫理学に対する脳科学の脅威

①利根川進・立花隆『精神と物質 分子生物学はどこまで生物の謎を解けるか』(文春文庫、1993年)より
―遺伝子によって生命現象の大枠が決められているとすると、基本的には、生命の神秘なんてものはないといことになりますか。
「神秘というのは、要するに理解できないということでしょう。生物というのは、もともと地球上にあったものではなくて、無生物からできたものですよね。無生物からできたものであれば、物理学及び化学の方法論で解明できるものである。要するに、生物は非常に複雑な機械にすぎないと思いますね」
―そうすると、人間の精神現象なんかも含めて、生命現象はすべて物質レベルで説明がつけられるということになりますか。
「そうだと思いますね。もちろんいまはできないけど、いずれできるようになると思いますよ。脳の中でどういう物質とどういう物質がインタラクト(相互作用)して、どういう現象が起きるのかということが微細にわかるようになり、DNAレベル、細胞レベル、細胞の小集団レベルというふうに展開していく現象のヒエラルキーの総体がわかってきたら、たとえば、人間が考えるということとか、エモーションなんかにしても、物質的に説明できるようになると思いますね。いまはわからないことが多いからそういう精神現象は神秘な生命現象だと思われているけれど、わかれば神秘でも何でもなくなるわけです。早い話、免疫現象だって昔は生命の神秘だと思われていた。しかし、その原理、メカニズムがここまで解明されてしまうと、もうそれが神秘だという人はいないでしょう。それと同じだと思いますね。精神現象だって、何も特別なことはない」(中略)
―21世紀には、人文科学が解体して、ブレイン・サイエンスの下に統合されてしまうということになりますか。
「統合されるかどうかは別にして、大きな影響があると思います」
―文学とか、哲学といったものはどうなると思いますか。
「哲学に関していえば、すでに現代の生物学の成果がこの学問分野に与えた影響は、かなりのものではないでしょうか。ブレイン・サイエンスの成果は哲学が扱う世界観・人間観にさらに大きな影響を与えると思います。文学についていえば、すぐれた詩が人間を感動させるとき、人間の脳の中で、それに対応する物質現象が起きている。それが解明されれば、どうすれば人間を感動させられるかがもっとよくわかる。どういう詩、どういうストーリーがなぜより人を感動させるのかといったこともわかってくる」(p.322-327)


②内藤淳『進化倫理学入門 「利己的」なのが結局、正しい』(光文社新書、2009年)より
「「嘘をついてはいけない」「人の物を盗ってはいけない」といった善悪、正不正には、はっきりとした理由がある。しかもそれは、倫理学や道徳哲学を専門に勉強しないと分からないような複雑で難解なものではなく、単純で明快なものである。そして、人々はそれを分かっていないのではなく、はっきり意識していないだけで実はどこかでそれに気づいている。だからこそみんな「嘘をついてはいけない」「人の物を盗ってはいけない」と本気で思うのであり、道徳や善悪・正不正の区別が人間社会にあまねく存在するのはそのためである。
 ではその理由とは一体何か。
 それはずばり、利害損得である。(中略)
 対象をその「外」から客観的に観察・分析するというのは、科学的態度の基本である。まさにそのことから、従来より科学の中心は、物理や天文といった自然現象を人間が観察・分析する自然科学であったわけだが、最近ではわれわれの外にあるそうした現象にとどまらず、人間自身の行動や心理を対象にした人間科学が大きく発展している。(中略)
 その中で、近年とりわけユニークな成果が見られるのが、人間行動進化学という分野である。ここでは、生物進化の観点から、その過程で人間がいかなる心のはたらきや行動パターンを発達させてきたか、生物として人間が共通に持つ基本的性質はどういうものかが研究されている。人間の道徳性はその中でも重要な研究テーマであり、それを扱う研究は「進化倫理学」と呼ばれて、特に1980年代以降、活発な議論が展開されている。「道徳や善悪の根拠」はそこでの中心的な論点のひとつで、進化倫理学に基づいて独自の発想でこの問題を考えたとき、その答えが人間ひとりひとりの「利益」の中に見えてくる。これは、言い換えれば、道徳に「利益」という客観的根拠を見出すということで、これまでの倫理学ではなかなか答えが見つからなかったこうした問題に、新しい角度から光を当て、独自の見方を提示するところが、新しい学問分野としての進化倫理学の大きな特徴である。」(p.12-16)


はたして今後、哲学はどうなっていってしまうのでしょうか。
私はどれだけ実証科学が進歩していったとしても、
人間が意味の世界の住人である以上、哲学という営みがなくなることはないと思っていますが、
たぶん科学者から言わせると、そんなのは哲学をやっている人間の思い込みにすぎない、
ということになるのでしょう。
利根川先生のおっしゃるように、
人間が感動する仕組みを物理学的に説明できるようになる日が来るとは私には思えませんが、
しかし、もしもそうしたことが解明できたとするならば、
授業や講演の準備はものすごく楽ちんになることでしょう。
全員満足度100%の、感動まちがいなしの講演を、
いとも簡単に作り上げることができるようになるというのはちょっと魅力的ではありますが、
そうなったときには、私は失業してしまっているから、
もう授業や講演をする機会はなくなってしまっているかもしれません。
それとも哲学はけっして滅びることなく、私も失業せずにすみ、
その代わりにあいかわらず授業や講演の準備に日々汲々としていたりするのでしょうか。
うーん、どちらも困った展開ですね。
とにかく、まだ哲学が消滅してしまう前に、
NHK文化センターでまたなにか講座を開講してみたいと思います。
4回おつきあいいただいた受講生の皆さん、本当にありがとうございました。


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3 コメント

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こちらこそありがとうございました。 (S)
2010-07-27 23:11:05
こんばんわ、はじめてコメントをさせていただきます。
講座中、前を陣取りお話を聞かせていただきましたSです。
全4回の講座、そして打ち上げ、大変楽しく、また大切な時間をいただきました。
ありがとうございました。

初回の講座では、受講理由として「新しい知識を増やしたい、学びたい」と述べましたが、最後にぶっちゃけてしまったように漫画のネタ集めでした。
先生の講座の内容と、その中のわかりやすい比喩、また雑談の中には私の頭を活性化させる要素がたくさんありました。
講座中だというのに、あるキーワードによりストーリー制作スイッチが入りそうになっては、「いけない今は集中せねば」と自分を叱咤していました。一言聞き漏らすだけで私の未来の創作活動の成長を鈍らせるかもしれないと思わせるほど、先生の一言一言がとても興味深いものでした。

4回目の講座の後の打ち上げで何度も申し上げましたが、是非新たな講座を開講していただきたいです。
今回の講座・打ち上げを経て、私の知識不足をさらに知ることができました。
「私は知恵が無いことを知っている」
その状態に甘んじることなく、今後も学びを深めていきたいと思います。

このたびは、先生の講座を受講できるチャンスを与えてくださり、本当にありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。

PSこれからもブログの更新楽しみにしています。
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お疲れ様でした (Ree)
2010-07-28 23:24:14
NHK文化講座、お疲れ様でした。

哲学の発祥から現代までという膨大な流れを、俯瞰し、語り尽くしてくださった講座でした。

受講した感想を兼ねて印象的だったものを挙げてみます。

○ソクラテスが罪を問われ、死んでいくまでのエピソード、
○イエスの「信じなさい」とソクラテスの「疑いなさい」の対比、
○「哲学」という言葉の弊害・「哲学」は知を愛するという「動き」であるということ、
○すべての学問であった哲学から、実証科学が分離・独立していったさま、
○現代の脳科学の脅威の実例として示された利根川進氏の言葉

です。

そして、小野原先生の資料はたいへんコンパクトながら、後々私のような初心者が「あの人はどの時代に何をした人だったっけ?」などと記憶を引き出す時にとても役立ちそうです。

「私は知恵が無いことを知っている」
これを痛感しましたが、上のコメントのSさんも言うとおり、私も、知を求める営みをなんらかの形で続けていきたいと思います。

たいへんおつかれさまでした。
そして、ありがとうございました。

追伸 次の日もパーティーだったのですね。
いつも素敵なお料理をサーヴしてくださるまさおさまですが、裏方でのその準備はやはり楽しくも大変ですね
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フゥ、終わった… (まさおさま)
2010-07-31 22:19:47
Sさん、Reeさん、コメントありがとうございました。
そして最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。
Sさん、マンガのストーリーを考えたくなってしまったというのは、
私の講座に対する最大の褒め言葉だと思います。どうもありがとうございます。
ぜひ次回作を期待しております。
できたら当然読ませてくださいね。
(あの講座に関係があろうとなかろうと)
Reeさん、いろいろとグダグダお話しした中で、どこが印象に残ったかという情報は、
今後の私の講演活動にとってとても貴重なデータでした。
教えてくれてどうもありがとうございます。
そして、私を含め皆さんのために打ち上げの場までセッティングしてくれて、本当に感謝しています。
今度はうちでやりましょう
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