まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

悪法も法なのか?

2009-08-12 17:47:03 | 教育のエチカ
本日は教員免許更新講習をやってまいりました。
私は今日1日だけの担当ですが、初めてのことなのでたいへん疲れました。
教員免許更新制度というのはひどい制度で、
やらされる先生方も、担当する大学も困り切っているわけですが、
私自身も聞きに来られる方々も「やりたくないなあ」と思っているものをやるというのは、
本当に難しくて、何をやろうかギリギリまで悩んでいました。

そこで考えたのが表題のテーマです。
ソクラテスの言葉(?)として有名な「悪法も法なり」をめぐって、
悪い法にも黙って従わなければならないのか、、
それとも私たちには抵抗権があるのか、といったことを、
免許更新制という制度を具体例として挙げながら考えてもらうことにしました。
これは大成功で、皆さんまさに「我が事」として真剣に考えてくださいました。

私のプロットとしては、
ソクラテスが死刑判決を受け、逃げようと思えば逃げられたにもかかわらず、
死刑を甘んじて受けた話を導入としつつ、
しかし「悪法も法なり」はそれでも、ある法を悪い法である、
と判断していることに注目してもらい、
ある法を悪い法である、と判断できるのは誰なのか、
何を基準に法の善し悪しを判断できるのか、
といったことに考えを進めてもらいました。
その上で、悪い法にも従わなければならないのか、
というクローズド・クエスチョン(Yes・Noでしか答えられない問い)ではなく、
悪い法に対してはどのような対処法があるだろうか、
というオープン・クエスチョンに問いを転換することによって、
革命を起こしたりテロリズムに訴えるという究極の違法行為から、
熱烈な支持者となって法を遵守する究極の遵法行為までの幅広いレンジの中で、
私たちには様々な選択肢(オプション)があることを、
グループ・ディスカッションでアイディアを出し合ってもらいました。

最終的に免許更新制という悪法に
私たちはどう立ち向かったらいいかを考えてもらうわけですが、
免許更新制そのものをネタにすることによって免許更新講習を行う、
という私の試みはなかなか好評のうちに受け容れてもらえたようでした。
来年度以降もこの調子で免許更新講習を乗り切れそうだなと若干の自信がつきましたが、
選挙の行方次第では、この免許更新制度そのものがなくなるかもしれません。
悪法が正されるというのはそれ自体喜ばしいことですが、
一所懸命授業案をつくった私と、
それを高いお金を払って受けさせられた一期生は「やり損」というか、
何だか割り切れない思いが残ります。
時の政権が人気取りのために思いつきであれやこれや新制度をつくり、
それに現場が振り回された挙げ句、政権交代に伴ってそれが廃止されるなんていう、
そんな二大政党制はそれこそが悪法だなあと感じた今日一日でした。

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