まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.ギリシア哲学者のフルネームを教えてください

2009-02-18 08:47:32 | 哲学・倫理学ファック
ソクラテスとかプラトンって姓(ファミリーネーム)なんですか
名前(ファーストネーム)なんですか?
なんであの人たちだけフルネームで呼んであげないんですか?
フルネームを教えてください。
という質問をいただきました。

意表をつかれました。
未だかつてそんなこと考えたこともありませんでした。
哲学やってる人たちは皆さんご存知なんでしょうか。

私はギリシア哲学を専門にやっていないもので、まったくわかりません。
そういうことはちゃんと専門家に聞かなきゃいけないですね。
大学院のときの先輩でギリシア哲学の専門家にお聞きしてみました。
丁寧なお答えをいただきましたので、以下引用しておきます。

(引用開始)
古代ギリシア人は一般に、姓は用いないで、名前しか名乗りません。
しかも、長男には父方の祖父の名をつける、という習慣があります。
ですから、カルミデスが、1代目と、3代目と、5代目…というふうに、
何人もいたりして大変です。

また、「誰それの息子」を意味する「~プーロス」「~ポロス」という名前も多いです。
例えば、「ステファノプーロス」(ステファノポロス)=「ステファノスの息子」など。

地名付きのケースも多いです。
「ハリカルナッソスのヘロドトス」とか、名前に地名をつけて呼ばれることが多いです。
民主制下のアテナイでは、普通、出身の区(デーモス)を冠して、
「何々区の誰それ」と名乗りました。
ソクラテスは「アロペケ区のソクラテス」
これが古代ギリシアの名乗り方の基本です。

ちなみに、トマス・アクィナスも、南イタリアのアクィノという町のそばの
ロッカセッサで生まれた「アクィナスのトマスさん」ですし、
他にも意外な人の名前が、実は地名というのが大勢います。

ディオゲネス・ラエルティオスも、たしか地名で、
「ラエルティオス(ラエルテ)出身のディオゲネスさん」だという説もあります。
それと、あざ名がラエルティオスだという説もあります。
いずれにせよ、「ファーストネーム+ファミリーネーム」ではありません。

というわけで、古代ギリシアではファミリーネームという観念や習慣はありません。
姓名が生じたのは共和制のローマ以降だと思います。
(引用終わり)

ということだそうです。
なるほど、そうだったんですか。
高校の倫理の先生にはまずこういうことを教えてもらいたいもんです。
それにしてもこんなシステムで個人を特定できるのでしょうか?
ソクラテスのおじいさんもアロペケ区に住んでいたのだとしたら、
ソクラテスもソクラテスのおじいさんも「アロペケ区のソクラテス」になってしまいます。
ひょっとするとプラトン全集の中には、
あのプラトンではない別のプラトン(孫とかお祖父さん)が書いた著作も
含まれていたりはしないのでしょうか?
いろいろな文化があるものですね。

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2 コメント

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プラトン (ぴつまる)
2009-02-20 09:37:30
ちなみに、プラトンはあだ名だそうです! 「まさおさま」みたいなもんです。
ありがとうございました (まさおさま)
2009-02-23 17:56:23
ぴつまるさま、初めまして。お知り合いの方でしょうか、それとも通りすがりのプラトンさんでしょうか。コメントありがとうございました。
たしかに調べてみるとプラトンというのはあだ名のようですね。ウィキペディアには次のように書いてありました。「祖父の名前にちなみ「アリストクレス」と名付けられたが、体格が立派で肩幅が広かった(希: πλα̃τύς。アルファベット表記:platys)ためレスリングの師匠であるアルゴスのアリストンにプラトンと呼ばれ、以降そのあだ名が定着した。」
しかし同じウィキペディアの最初のほうにはこうも書いてありました。「ディオゲネス・ラエルティオスによると、プラトンの本名はアリストクレスであるが信憑性は少ない。」これはプラトンがあだ名であることの信憑性が少ないというよりも、本名がアリストクレスであるかどうかが怪しいという意味なのでしょうね。
ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』を見てみると、あだ名の出所について諸説が掲げられていました。「体育は、アルゴスのレスリング選手アリストンのところで学んだ。そして立派な体格をしていたために、「プラトン」という綽名もその人からつけられることになったのであるが、それ以前は、祖父の名をとって、彼はアリストクレスと呼ばれていたのである。これはアレクサンドロスが『哲学者たちの系譜』のなかで述べていることである。しかしある人たちは、彼の文章表現の豊かさ(プラテュテース)のゆえに「プラトン」と名づけられたのだとしている。あるいはネアンテスのように、彼の額が広かった(プラテュス)からだとしている人もある。」
調べてみると名前ひとつでもいろいろな裏があるのですね。前言撤回いたします。名前にこだわり始めたら1年間名前の話ばっかりで、思想の中身まで話せなくなってしまうかもしれません。高校の先生方、倫理の授業でそんなこと教えなくてもいいので、どんどん先に進むようにしてください。

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