まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

第2の自然を求めて

2009-08-03 17:39:40 | ダンス・ダンス・ダンス
文化とは、自然本能が壊れてしまった人間が、
環境の中で生き残っていくために自ら作り上げた本能の代替物です。
文化は人間にとって、生得的に生まれもっているものではなく、
ひとつひとつ学び取っていくべきものです。
その学習の過程ではひじょうに不自然な感じがするものですが、
習得して慣れてくると、あたかも生まれつき持っていたかのように、
自分にとって自然なものになってきます。
ルソーはそれを「第2の自然」と呼びました。

先日、兼島ダンシングの話をしましたが、
(その後調べてみたらやはり兼島さんはプロの現役ダンサーだったようです)
社交ダンスというのも人間の特異な文化のひとつですね。
以前に、全東北学生競技ダンス連盟会長として、
ダンスの難しさを新入部員のために説明した文章がありましたので、
転載しておきます。
ここに書いたことは社交ダンスばかりでなく、
人間の文化のほとんどに当てはまることだろうと思います。


         不自然な美を求めて  
                          全東北学生競技ダンス連盟会長
                           小野原雅夫(福島大学准教授)

 新入生の皆さん、社交ダンス部に入部していただきありがとうございました。そして早くも公式戦デビューですね。おめでとうございます。おそらく皆さんは社交ダンス初心者だろうと思います。高校までにこのスポーツをやったことのある人はほとんどいないと思いますので、社交ダンスの難しさを少しだけ説明しておきましょう。
 何と言ってもこのスポーツの難しさは、自然に反した姿勢や動きをしなければならないというところにあります。普通、人間は両腕を横に上げようとすると、それに伴って肩も上がってしまうようにできています。しかしそれでは美しいホールドラインは作れません。外から美しく見えるためには、首の根元からヒジまでが一直線になるように肩をグッと落とし込んで、首が長くみえるようにしなければなりません。このラインは人間にとって決して自然なものではありません。
 また人間は動くときには前屈みになり、前進するときは頭が前になり、後退するときはお尻から下がろうとしてしまうものです。人間と言ったって元はと言えば動物ですから、四足だった頃の名残があるのでしょう。たいていのスポーツはこの自然な姿勢を活かしながら運動するようにできています。しかし社交ダンスはまったく異なります。真っ直ぐ立った美しい姿勢のまま前進後退しなければなりません。感覚的には前進のときは頭を残して胸から、逆に後退のときは後頭部から下がるという感じです。これは口で言うほど簡単なことではありません。しかし、これができるようにならないといつまでたってもダンスにはならず、腰の引けた柔道の組み手のようになってしまうのです。
 先輩たちはいとも簡単に、美しい姿勢やスムーズな動きを自然に作り出しているように見えるかもしれませんが、それはものすごい時間をかけて訓練してやっと手に入れたものなのです。しかし、初めて自転車に乗る練習をしたとき、バランスを取りながら右左とペダルをこぐ運動がとても不自然に感じて何度も転んだことと思いますが、一度できるようになってしまうと、特に意識しなくとも自然と自転車を運転できてしまうのと同じように、社交ダンスのポイズやムーブメントも一度手に入れてしまえば、あとは生まれたときからやれていたかのように、自分にとって自然なものとなり、それにさらに磨きをかけていけるようになるのです。そうなった頃にはもうあなたはどっぷり社交ダンスにハマっていることでしょう。そのためには練習あるのみです。人一倍練習して、いちはやく不自然な姿勢や動きをマスターしてください。皆さんのダンサーとしてのご活躍を心から期待しています。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿