のっけから結論を言ってしまいましょう。
A.人によりけりです。
それにしてもこの質問って反語表現なんでしょうね。
哲学の話で盛り上がれるのだろうか (いや、けっして盛り上がることはあるまい)。
哲学ってそんなふうに見られているのでしょうね。
でも、哲学研究者どうしであればもちろん哲学の話で盛り上がれるんですよ。
以前にその手の質問を頂戴してお答えしたことがあるので、そちらをご参照ください。
まあこれはすべての専門について言えることですので、哲学に限った話ではありません。
専門家どうしはその専門の話で盛り上がれるに決まっているのです。
問題は専門家どうしではない場合です。
哲学に限らず、なんらかの学問をやっている方々となら、
けっこう哲学の話で盛り上がることができます。
これは、もとはといえば哲学はすべての学問を含んでいたからだと言えるでしょう。
哲学はすべての学問とどこかでつながっているものなのです。
したがって、いろいろな学問をやっている方々は多かれ少なかれ哲学に関心をもっていますし、
哲学をやっている人間も、すべての学問と何かしらのつながりを感じています。
そこらへんが共鳴しあってわりと哲学の話で盛り上がることができるのです。
学問とは無縁の方の場合は本当に難しくなります。
ふだんからものを考えている人となら少しは盛り上がれるかもしれません。
それはこちら側の力量にもよりますね。
難しい専門用語を使わずとも、わかりやすい実例とかを持ち出しながら話せるかどうか。
そういうことができるならば、ふだんからいろいろ考えている人を、
さらに深い思索に誘うような会話ができるかもしれません。
あまり物事を深く考えたりしない人、
知り合いからの情報や、マスコミ上に流れる情報をただキャッチするのに精一杯で、
それらを取捨選択しようとか、真偽を確かめようと思わないごくフツーの人とだと、
哲学の話で盛り上がるのは相当難しいんじゃないかと思います。
そういう人たちに対しては、哲学者の話とかしても見向きもされないのは明らかです。
そのような場合、ソクラテスのように、いろいろと質問を投げかけていく問答法によって、
哲学の問いへと誘っていくのが正攻法なんでしょうけれども、
自分が当たり前と思っている前提や常識をどんどん問い質されていくと、
しだいに頭に来てケンカになったりするのが落ちだろうと思います。
じっさいソクラテスもそうやって敵を作っていったあげくに告訴され、
最後は死刑に処せられてしまったわけですし。
と考えると、フツーの人との会話の中で、哲学の話で盛り上がるのは至難の業だという気がします。
ちなみに私は自分の家族と哲学の話をしたことはほとんどありません。
うちの母親は 「あんたいつ教授になるの」 とか 「いつ博士号取るの」 とかは聞いてきましたが、
「あんた何研究してんの」 と聞いてきたことは一度もありません。
私としても母を相手にカントの話を面白おかしく語ってみせる自信はありませんし。
というわけで、哲学の話で盛り上がれるかどうかは相手によりけりなんだと思います。
A.人によりけりです。
それにしてもこの質問って反語表現なんでしょうね。
哲学の話で盛り上がれるのだろうか (いや、けっして盛り上がることはあるまい)。
哲学ってそんなふうに見られているのでしょうね。
でも、哲学研究者どうしであればもちろん哲学の話で盛り上がれるんですよ。
以前にその手の質問を頂戴してお答えしたことがあるので、そちらをご参照ください。
まあこれはすべての専門について言えることですので、哲学に限った話ではありません。
専門家どうしはその専門の話で盛り上がれるに決まっているのです。
問題は専門家どうしではない場合です。
哲学に限らず、なんらかの学問をやっている方々となら、
けっこう哲学の話で盛り上がることができます。
これは、もとはといえば哲学はすべての学問を含んでいたからだと言えるでしょう。
哲学はすべての学問とどこかでつながっているものなのです。
したがって、いろいろな学問をやっている方々は多かれ少なかれ哲学に関心をもっていますし、
哲学をやっている人間も、すべての学問と何かしらのつながりを感じています。
そこらへんが共鳴しあってわりと哲学の話で盛り上がることができるのです。
学問とは無縁の方の場合は本当に難しくなります。
ふだんからものを考えている人となら少しは盛り上がれるかもしれません。
それはこちら側の力量にもよりますね。
難しい専門用語を使わずとも、わかりやすい実例とかを持ち出しながら話せるかどうか。
そういうことができるならば、ふだんからいろいろ考えている人を、
さらに深い思索に誘うような会話ができるかもしれません。
あまり物事を深く考えたりしない人、
知り合いからの情報や、マスコミ上に流れる情報をただキャッチするのに精一杯で、
それらを取捨選択しようとか、真偽を確かめようと思わないごくフツーの人とだと、
哲学の話で盛り上がるのは相当難しいんじゃないかと思います。
そういう人たちに対しては、哲学者の話とかしても見向きもされないのは明らかです。
そのような場合、ソクラテスのように、いろいろと質問を投げかけていく問答法によって、
哲学の問いへと誘っていくのが正攻法なんでしょうけれども、
自分が当たり前と思っている前提や常識をどんどん問い質されていくと、
しだいに頭に来てケンカになったりするのが落ちだろうと思います。
じっさいソクラテスもそうやって敵を作っていったあげくに告訴され、
最後は死刑に処せられてしまったわけですし。
と考えると、フツーの人との会話の中で、哲学の話で盛り上がるのは至難の業だという気がします。
ちなみに私は自分の家族と哲学の話をしたことはほとんどありません。
うちの母親は 「あんたいつ教授になるの」 とか 「いつ博士号取るの」 とかは聞いてきましたが、
「あんた何研究してんの」 と聞いてきたことは一度もありません。
私としても母を相手にカントの話を面白おかしく語ってみせる自信はありませんし。
というわけで、哲学の話で盛り上がれるかどうかは相手によりけりなんだと思います。