まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.基本的人権を保障していない国は?

2016-05-10 14:19:28 | グローバル・エシックス
今年度の 「倫理学概説」 の授業もやっと軌道に乗り、

GW前にまずは権利と人権はどう違うのかというところから話を始めました。

そういうことをちゃんと中学校や高校で教わっている人は少ないようで、

社会科や公民科の教員を目指している人も相当受講しているはずですが、

権利と人権の違いをきちんと答えられた人は、受講者80名中7名だけでした。

その回のワークシートでは、権利や人権についていろいろな質問をいただきましたので、

答えられるものについてはこのブログのなかで答えていきます。

この講義は隔年開講なので、以前にお答えした回答がブログの奥深くに隠れてしまっています。

まずはそれをご紹介しておきましょう。

  「権利と人権に関するQ&A」

  「Q.権利の資格を得る=義務を果たすということなのですか?」

この2つは大事なのでぜひ受講者の皆さんは読んでおいてください。

さて、今日取り上げるのはこんな質問です。

「Q.基本的人権を保障していない国を具体的に教えてください。」

この質問をくれた方はこんなふうに続けて質問してくれていました。

「Q.また、その国では基本的人権がない代わりに、
   日本には見られない制度や権利は存在するのかも知りたい。」

こういう質問にはどうお答えしましょうか?

これも以前に書いたブログ記事ですが、まずはこれを読んでみてください。

  「生きながら火に焼かれて」

基本的には本の紹介なんですが、だいたいどんなことが書いてあるか引用もしていますので、

この記事を読んだだけでもある程度のことがわかってもらえるでしょう。

基本的人権がない代わりにどんな制度が存在するかというご質問でしたが、

この本 (記事) では 「名誉の殺人」 という制度・風習のことが描かれています。

ウィキペディアの説明によれば、名誉の殺人とは以下のようなものです。

「女性の婚前・婚外交渉 (強姦の被害による処女の喪失も含む) を
 女性本人のみならず 『家族全員の名誉を汚す』 ものと見なし、
 この行為を行った女性の父親や男兄弟が
 家族の名誉を守るために女性を殺害する風習のことである。」

これは昔々の風習ではなく、現在も脈々と続く風習で、

2010年の1年間で約5,000名の女性がこれによって殺されているそうです。

この場合、殺されるのは女性だけであって、

この女性と婚前・婚外交渉 (場合によっては強姦) した男性はまったくお咎めなしです。

このように、女性の基本的人権が認められず、

男性にのみ特権が与えられているような社会、国家が現に今も存在しているわけです。

本を読むと、こういう国では女性は命の保障がされていないのと同様、

教育も受けることができないので、こうした風習をおかしいと思うこともできないようです。

あまりにも衝撃的な話なので、私もこの問題を 『高校倫理からの哲学3 正義とは』 に書いた、

「すべての人にあてはまる倫理はあるのか ―倫理とその普遍性―」 のなかで紹介しておきました。

興味のある方はぜひ読んでみてください。

そういえば質問ではありませんでしたが、こんな意見をワークシートに書いてくれた人もいました。

「私は男女平等の考え方には反対です。
 男と女はまったくちがう生き物なのになぜ同じ義務を負い、
 同じ権利を有する必要があるのか疑問を感じています。」

こう書いてくれたのは女性でした。

この人が男女をどういうふうに別扱いすべきだと考えているのか、これだけではよくわかりませんが、

「名誉の殺人」 のような別扱いも許容するのか、

いやさすがにそれは許容できないとするならば、

どういう思考枠組みを用いて許容できる別扱いと、許容できない別扱いを分けたらいいのか、

ぜひ考えていただきたいと思います。

私だったら、まずは基本的人権を男性にも女性にも平等に認めた上で、

さらなる追加的な別扱い (女性のリプロダクティブ・ヘルス/ライツの保護等) を施すべき、

と考えるのですが、この人はそもそも男女平等なんてナンセンスと考えているのでしょうか?

この問題についても先ほどの論文でわかりやすく書いたつもりですので、

ぜひ授業時間外学習の一環として読んでみてください。

『福島10の教訓』

2016-04-24 16:53:09 | グローバル・エシックス
昨年度末、研究室の片付けをしたときに、テーブルの上の堆積物の山のなかから、

ブログネタにしようと思っていたいろいろなものが発掘されました。

そのうちのひとつがこちらです。



『福島10の教訓』 というタイトルのブックレットです。

副題は 「原発災害から人びとを守るために」。

福島ブックレット刊行委員会というところが刊行した、72ページの薄い小冊子です。

てつカフェのときに参加者のどなたかから頂戴して、

これは素晴らしいと思ってブログでご紹介するつもりでいたのですが、

研究室のなかで行方不明になってしまい、ずっと捜索願いが出されていた物件です。

それが何ヶ月ぶりかで発掘されて、ようやく日の目をみることになりました。

とても薄い読みやすいブックレットですが、中身は濃厚です。

とりあえずこの本の骨子、福島の10の教訓を書き出しておきましょう。

教訓1 「安全神話」 にだまされてはいけません

教訓2 緊急時には、まず避難することが基本です

教訓3 緊急時には、情報へのアクセスと行動の記録が重要です

教訓4 包括的な健康調査と情報開示を受けることは被災者の権利です

教訓5 生産者・消費者が参加する検査体制を作ることが必要です

教訓6 放射線による汚染を完全に除去することはできません

教訓7 原発労働者に対する健康管理を確立させなければなりません

教訓8 生活とコミュニティの再建という視点が欠かせません

教訓9 被災者の権利と救済のための法律は、被災者自身の参加によって作るものです

教訓10 事故被害を 「原発のコスト」 に算入しなければなりません

これらはまさに福島の教訓と言えるでしょう。

こんな基本的なことがこうした冊子にまとめられなければならなかったのはなぜかというと、

これらの大切な大切な福島の教訓が、日本では何ひとつきちんと受け止められていないからです。

あれだけの大惨事があったにもかかわらず、

そこから何ひとつ学ぼうとしない日本って何なんでしょうか?

現政権には1ミクロンも期待していませんが、ゆとり世代が選んでくれるであろう次回以降の政権に、

これらの大切な教訓を託したいと思います。

東日本大震災および福島第一原子力発電所事故五周年

2016-03-11 14:46:00 | グローバル・エシックス
先月末に事務方から次のようなメールが来ました。

タイトルは 「東日本大震災五周年追悼式の当日における弔意表明について」。

内容はいたってシンプルでたったの3行。

「人間発達文化学類教員の皆様へ

 標記の件について、文科省から当日14:46に黙とうを捧げることに協力依頼がありました。

 つきましては、ご協力くださるようお願いいたします。」

フツー、文科省からの依頼という場合、

文科省からの通達のメールとか文書ファイルとかが添付されていることが多いのですが、

そうしたものも何も付されていませんでした。

協力依頼の内容に異議はありませんのでその時間には黙祷を捧げたいと思います。

ただ、今までこういう依頼が来たことあったかなあと思って遡ってメーラーソフトを調べてみましたが、

どうやら今回が初めてのようです (見落としの可能性は捨てきれませんが…)。

調べてみると、「東日本大震災○周年追悼式」 はこれまでも毎年行われていたようです。

そして、そのつど追悼式に向けて内閣総理大臣の談話が出され、その最後に、

「国民の皆様におかれましても、これに合わせて、

 それぞれの場所において黙とうを捧げられますよう、お願いいたします。」

という文が付記されていたようです。

これを承けて文科省も毎回、先ほどのメールのタイトルと同じ名前の通知を出していたようです。

この通知がいよいよ末端の私たちのところまで直接届いたということだったんですね。

なるほど。

まあいずれにせよ黙祷を捧げるつもりでしたのでご心配には及びません。

福島県民として一言申し上げさせていただくならば、

追悼式の名称が不十分であるように思いました。

震災と原発事故はまったく別物ですので、両方を併記して、

「東日本大震災および福島第一原子力発電所事故五周年追悼式」 という名前にしていただけると、

より素直に追悼の意を表すことができたように思います。

おっと、そろそろ時間が来たようです。

黙祷。

国際シンポジウム 「東アジアのカント哲学」

2016-02-24 15:43:28 | グローバル・エシックス
来週末には福島に来て 「てつがくカフェ@ふくしま特別編6」 に参加してくださる牧野英二教授が、

今週末は東京でバカでかいイベントを開催されます。



もうずいぶん前から東アジア全域を行き来して、

日韓中台のカント研究者のネットワークを築き上げていた牧野教授が、

国際シンポジウム 「東アジアのカント哲学」 を日本で開催することになったのです。

「YAHOO!ロコ」 のイベント告知には次のような説明文が付されていました。

「戦後70周年を迎えた今日、東アジアの近隣諸国との関係はかってないほど悪化し、

 その国々に対するヘイト・スピーチは社会問題となっている。

 それに呼応して、安全保障と憲法のあり方をめぐるさまざまな議論やデモも各地で起きている。

 こうした状況の中、韓国と中国から研究者を招き、

 カント哲学を介して東アジアの国際交流・文化間対話の可能性を考えていく。」

さすがは師匠、みごとなグローバル・エシックスであり、世界市民哲学の実践です。

冷え切った東アジアの国際関係を改善するのに、少しでもカント哲学が役立ってくれたらと願います。

私は準備のための何のお手伝いもできませんでしたが、

一参加者としてこの画期的なイベントの一部始終を見届けてきたいと思います。

お正月ディスプレイと岸井さんの一輪挿し

2015-12-28 10:21:44 | グローバル・エシックス
とうとうクリスマスも終わってしまいました。

来年までクリスマスソングを聞けないと思うと残念でしかたありません。

と思っているあいだに誕生日も来てしまいました。

54歳です。

四捨五入して50歳でいられるのもあと1年だけ。

来年誕生日を迎えると四捨五入して60代の仲間入りです。

いや別に四捨五入しなくていいんですけど。

(10の位で四捨五入すればとっくの昔に100歳でしょ、とか言わないの。)

さて、先日1年ぶりにディスプレイ変更したばかりでしたが、

クリスマスも終わったことでお正月ディスプレイに変更しました。



今回はまだお正月を迎えていませんので、なんちゃってお正月ディスプレイではなく、

本格的なものを目指しました。

とはいえ一昨年とは趣向を変えたいので、お重は用いず焼き物をいくつか配してみました。

その中で今年一番フィーチャーしたかったのはこれ。



招き猫でもなく、ペアの起き上がり小法師でもありません。

こちらの一輪挿し。



焼き物としての価値がいかばかりか私にはわかりかねるのですが、

これは伯母からの戴き物です。

そして伯母はこれをあの岸井成格 (きしいしげただ) さんから戴いたそうなのです。

そうです。

『ニュース23』 のコメンテーターを務めていて、

「安保法案は憲法違反であり、‟メディアとしても”廃案に向けて声をずっと上げ続けるべき」 という

きわめて常識的なコメントを発したことに対し、産経新聞の一面にそれを糾弾する意見広告を出され、

同番組を降板させられることになった、あの岸井成格さんです。

(リンクを張っておいたウィキペディアの記述は政治的公平性を欠いていますのでご注意ください。)

以前にまさおさまの黒歴史について書いたことがありますが、

あの伯母は石井事務所を辞めたあと、銀座でクラブを開業し、

そこに石井事務所時代の知り合いがたくさん来てくださっていたのですが、

その頃からの知り合いだったのか、その後、誰かの紹介で来てくださったのか、

当時毎日新聞社に勤めていた岸井さんは伯母の店のお得意様だったそうです。

一時期その店でバイトしていた私の母は、その後やはり銀座で小料理屋を開店しましたが、

そこにも岸井さんは来てくださっていたのではないでしょうか。

ぼくもどちらだったか両方だったか、何度か岸井さんにお会いしたことがあります。

その後、伯母の店も母の店もつぶれてしまい、

岸井さんとお会いすることもなくなってだいぶ経ってから、

ある日急に岸井さんがテレビに出ていてびっくりしたものでした。

そんな付き合いのなかで伯母がいつこの一輪挿しを岸井さんにもらったのか知りませんが、

岸井さんからの戴き物であることは裏側を見るとはっきりわかります。



「岸井寿郎」 と彫ってありますね。

岸井寿郎というのは岸井さんのお父様で、国会議員を務めたこともある方なのです。

とはいえ戦前のことのようですので、さすがに伯母も直接の面識はなかったのではないでしょうか。

この文字の反対側にはさらに何か彫ってありますが、



これが何と彫ってあるのか、それが誰の名前なのかはわかりません。

とにかく、これはそういう縁のある品なのでした。

民主主義の危機、報道の危機の年の年始を飾るにふさわしい品ではないでしょうか。

新しい1年がこれ以上ひどいことにならないよう祈るばかりです。

島田雅彦 『虚人の星』

2015-12-21 17:28:17 | グローバル・エシックス
一昨日は 「〈憲法9条〉 を哲学する」 でてつカフェでした。

世相を反映してか珍しく生真面目な対話が交わされました。

それに向けての予習というわけではなかったのですが、

島田雅彦の最新作 『虚人の星』 を読んできました。



実は私、島田雅彦氏とは東京外国語大学ロシヤ語学科で同級生でした。

私たちが在学中に氏は 『優しいサヨクのための嬉遊曲』 で作家デビューしました。

その初期の頃の作品はよく読んでいましたが、

大学院に進学してから哲学書を読みまくらなければならなくなって、

いつの間にか島田作品からは離れてしまっていました。

ところが最近、ネットを通じてミョーにたくさん島田雅彦の名前を見かけるようになりました。

「作家・小説家の島田雅彦氏、安倍晋三総理大臣を 「歴史上最悪の首相」 と発言」

「なぜ日本の政治はこれほど 「劣化」 したのか? 幼稚な権力欲を隠さぬ与党とセコい野党 特別対談 島田雅彦×白井聡」

なんといっても 「優しいサヨク」 なわけですから、

私と政治的立場は近いだろうなあとは思っていましたが、

ここまで私の考えていることをそのまま代弁してくれているとは知りませんでした。

そして、この2つ目の記事の冒頭で氏の最新作のことが簡潔に紹介されていました。

「島田雅彦氏の話題の新作 『虚人の星』 は、
 「血筋だけが取り柄」 の首相と七つの人格をもつスパイの物語だ。
 この首相はかぎりなく 「あの人」 を思わせる。」

ね? たったこれだけ読んだだけでもなんだか面白そうじゃないですか。

これは今この時期にこそ読むべき小説ではないでしょうか。

小説は文庫本で読むのが好きでできれば文庫化されるまで待ちたい私でしたが、

こればかりは時機を逸してはいけないのでさっそく単行本で手に入れました。

タイトルの 『虚人の星』 がすでにパロディ的ですが、

登場人物の氏名や各節のタイトルなどもパロディ満載です。

登場人物のほうでいくとまず主人公は星新一ですし、その恩師は宗猛でもうそのままです。

日本側の政治家は松平、上杉、北条、織田などなど。

アメリカの政治家はハンチントンメニエルアルツハイマーで、これはもう遊びすぎ?

節のタイトルはこんな感じです。

「レインボーマン」、「心の内のドラえもん」、「みなしごハッチ」、「のび太の無意識」 等々。

これらはいずれも私たちの世代にはたまらないアナロジーですが、

それぞれひじょうに深い意味が込められているのです。

本のタイトルにある 「虚人」 という言葉は多重人格者を表しています。

スパイと首相、2人の主人公が多重人格者であることを意味すると同時に、

日本という国そのものが多重人格的であることを意味しています。

日本国憲法第9条を持ちながら、同時に世界有数の軍隊である自衛隊をも擁する国、日本。

この小説は、上記のような笑えるわかりやすいアナロジーを多用しながらも、

現代日本を取り巻く表と裏の複雑な政治情勢を意外なほどリアリスティックに描きつつ、

改憲すべきか、せざるべきか、というギリギリの選択に向けて突っ走っていきます。

先ほどの紹介文のなかで 「この首相はかぎりなく 「あの人」 を思わせる」 と書かれていましたが、

それは父も祖父も首相経験者であるという設定部分だけの話であって、

二面性をもったどちらの人格にしても、

「あの人」 よりもはるかに理知的で現実主義的な人物として描かれていました。

そう設定しないことにはまともな小説に仕上がらなかったのでしょう。

最後の結末は 「優しいサヨク」 向きのほんわかした方向性にまとめられていたので、

私の Facebook 友達の皆さんにも受け入れてもらえると思いますが、

この小説の真骨頂はそのラストの演説よりは、

多重人格を生きざるをえない日本という国のリアルを描ききったところにあると思いました。

「あの人」 もアメリカに対してヘラヘラ諂ってばかりいないで、

日本の首相として言うべきことはガツンと言うためのお手本として、

この小説を一度は読んでおいていただきたいものだと思いました。

てつカフェだから湯呑み画像にしたのか?

2015-12-15 17:17:22 | グローバル・エシックス
第33回てつがくカフェ@ふくしまのポスターを作成しました。



作成したといってもお気づきの人はお気づきでしょうが、

第30回てつカフェのときのポスターの画像をちょこちょこっと入れ替えて、

データを更新しただけですから、手抜きといえば手抜きです。

ちょっと諸々あって大慌てで作ったので許してください。

このポスターで何が気に入らないって、中央の湯呑みの画像です。

日本国憲法第9条の条文が入っている画像を使おうというのは最初から決めていて、

ヤホーで画像検索し、いくつか候補を選んでありました。

その様々な選択肢のなかからわざわざこの湯呑みの画像を選んだのは、

てつがくカフェだからカフェっぽさを前面に押し出すために、

本来ならコーヒーカップやティーカップの画像があったらいいのだけれど、

さすがに日本国憲法なのでカップの類いに書かれた画像は見つからず、

次善の策として湯呑みに条文が書かれたものがあったからそれをセレクトしたんだろう、

なんていうふうに勝手に思われるのが本当にイヤなのです。

そんな強引にカフェっぽさを演出したかったわけではまったくありません。

もっと素朴に、これが一番カッコいいだろうなと心に決めていたものはあったのです。

それを使って作ってみた第1案がこちらです。



ね、ごくフツーでしょ。

こちらは 「第二章 戦争の放棄」 という小見出しもきちんと書き込まれていますから、

「政治的中立性」 を担保するために一緒に使用した自民党改憲草案の

「第二章 安全保障」 という小見出しとも対比ができてひじょうにいいのではないかと思っていました。

ところがプリントアウトしてみると、条文の文字がボヤけてしまってよく読めないのです。

ヤホー画像検索で見てみたときはとてもクリアに写っているいい写真だと思っていたのですが、

JPEGファイルとして改めて開いてみると意外と小さな写真で、拡大に耐えられなかったようです。

このままではクッキリと読み取れる改憲草案に比べて、

風前の灯の日本国憲法をまるでそのまま象徴しているようで、

これでは 「政治的中立性」 が保障できないと判断して画像差し替えを決断しました。

そういう観点からいくつか持って行っていた選択肢を見直してみると、

あの湯呑みの画像が一番条文がクッキリはっきり写し出されていたのでそれを選択しました。

さらに 「政治的中立性 (笑)」 に配慮して、純ちゃんが告知ブログに書いた文章も載せておきました。

かくして完成したポスターは学内各所と、てつカフェ会場の 「南国ダイニングバーTUKTUK」 と、

いつもてつカフェを開かせていただいている 「イヴのもり」 に張り出させていただきました。

まあ、これを見て来てくださる方がどれくらいいるかは不明ですが、

現在開講中の 「戦争と平和の倫理学」 を取ってくれている学生さんたちは、

授業の内容に (テストの答案にも) 直結するテーマですから、

きっと大挙して押しかけてきてくれるはずです。

今年最後のてつカフェ、大いに楽しみたいと思います。

大いに楽しむといえば、年の瀬ですからてつカフェ後は忘年会になります。

忘年会についての大切なお知らせもありますので、

そちらも忘れずにご覧になってからご参加ください。

この週末は 〈憲法9条〉 で哲学するぞぉっ、おおーっ

ビミョーな人権啓発セミナー

2015-12-07 18:42:09 | グローバル・エシックス
金曜日の人権啓発セミナーですが、昨年、一昨年も十分ひどい状況でしたが、
今年に入って人権はもう風前の灯という感じになってきていますので、
昨年までの内容そのままでは不十分だと感じ、若干中身の見直しをしました。
昨年のセミナーでは最初のワークとして、
夏とか宿題とか意見の違いというものに関して自分の思いを書いてもらい、
それらをみんなに発表してもらって、みんなひとりひとり考えてることは違うよね、
ということを実感してもらったりしていました。
これはこれでなかなかいいワークと思っていましたが、
中学生くらいだと意外とみんなが書いてくる思いがほとんど一緒だったりして、
(宿題だと 「少ないほうがいい」 か 「早めにすませる」 かの2種類のみとか)
あまりダイバーシティ (多様性) を実感してもらうことができませんでした。

そのワークの代わりとして、スアドの 『生きながら火に焼かれて』 の話を読んでもらって、
特権と権利と人権のちがいについて考えてもらうというワークを考えたのですが、
さすがに中学校1年生とかにあの話は早すぎるかなあとためらいました。
そこでちょっと前にネット上でたまたまこんな記事↓を見かけたので、
「格差を生み出す 「特権」 とは何か? が誰にでもよくわかる授業が秀逸」
これをマネしてワークを行い、特権と権利と人権のちがいを理解してもらおうと考えました。
そのために今回はこんな小道具を用意していきました。



この他にゴミ箱が必要なのですが、我が家にあるゴミ箱はこのボールに対してあまり大きくないので、
大学の研究室にある大きめのゴミ箱を持っていこうと画策していたのですが、
昨日ご報告したとおり、突然の雪のため大学に寄ることができなかったので、
稲田中学校に着いてから校長先生にお願いして大きめのゴミ箱をお借りすることにしました。
講演が始まってすぐにそのワークです。
みんなの中からヤクルトファンと巨人ファンを1人ずつ募ってワークをしてもらおうと思っていましたが、
もう出だしからつまずいてしまいました。
「この中にヤクルトファンはいますか?」 と聞いたところ1人もいなかったのです
今年のセ・リーグ優勝チームなのに、いくら福島、須賀川とはいえ1人もファンはいないんですか?
このあたりからすでに私の歯車は狂い始めていました。
しかたないので楽天ファンに切り替えて、一番前に座っていた体格のよさげな、
楽天ファンと巨人ファンを指名して壇上に上ってきてもらいました。

ゴミ箱を壇の中央に置き、ボールを1個ずつ渡して、楽天ファンにはゴミ箱から数歩離れたところに、
巨人ファンには壇の一番隅っこのほうに立ってもらいます。
「そこからボールを投げてみごとこのバスケットに入ったら福島大学に入学できます!」
とハッパをかけて2人に順番にボールを投じてもらいました。
もちろん先に投じた楽天ファンは軽々とゴールさせました。
トランペット型のラッパでお祝いのファンファーレを奏でてあげます。
続いて巨人ファン。
フツーそこから投げても入らないよなと十分思えるほどの距離を取っていたのですが、
なんと彼はみごとにゴールインさせてしまいました。
これでは特権の話にもっていけません。
ものすごく動揺しながらも 「おめでとう、2人とも素晴らしいっ!」 と褒め称えながら、
「じゃあ今度はゴールをここにしよう」 とさらにゴミ箱を遠ざけ、
巨人ファンには絶対ムリででも楽天ファンなら必ず入れられるであろうぐらいのところに移しました。
もう一度2人に挑戦してもらうと今度こそ思い通りの結果が得られました。
巨人ファンにはアヒルのラッパのガーガー音で失敗を強調します。
やってみてどうだったと巨人ファンに聞いてみたところ、
「ズルイと思った」 というこちらの意図通りの感想を言ってもらえたので助かりました。
で、このように説明を加えました。
「これが特権です。
 特権とは、ある特定の人々にのみ認められた特別の利益です。
 楽天ファンは楽天ファンであるということのみによってあんなに有利な条件を付けてもらえました。
 逆に巨人ファンは巨人ファンであるというだけであんな差別待遇を受けなければなりませんでした。
 昔はこのように身分や人種や性別などによって特権をもつ人ともたない人に分かれていたのです。」

その後、2人に同じ短い距離からボールをゴールインさせてもらいました。
で、こう説明を続けます。
「これが権利です。
 権利とは、ある資格を満たした人全員が主張できる正しい要求です。
 今回は条件を同じにしてボールを入れることができたら福島大学に入学できることにしました。
 実際には、大学入試に合格し、入学金と授業料を納めた人全員に、
 福島大学に入学する権利が与えられます。
 身分や人種や性別など生まれつきのちがいは関係ありません。」

2人には協力に感謝して席に戻ってもらいました。
ここからが人権の説明です。
「人権は特権とは全然ちがいますし、権利ともちがいます。
 人権の場合はもうボールを投げる必要がないのです。
 人権とは、すべての人が生まれつき平等にもっている権利です。
 人間として生まれてきた以上それだけですべての人がその資格をもっています。
 高校や大学で高度な教育を受けようと思ったら、入試に合格するなどある資格が必要ですが、
 読み書きそろばんなど最低限の義務教育を受ける権利は資格など不要で、
 すべての人が人権として生まれつきもっているのです。」

はたしてこの説明で3つのちがいを理解してもらえたのでしょうか?
以上の話を聞いた上で、文章完成のワークをやってもらいました。
「特権が残っている社会は                              」。
「権利は特権と比べて                                 」。
「人権は権利と比べて                                 」。
自分なりに考えたこと感じたことを自由に書いてくださいというお題ですが、
ここまでですでに講演時間の半分の30分が過ぎてしまっていましたので、
みんなに発表してもらう時間を取ることができませんでした。
こんなに時間を食うとは思っていませんでした。
なんといっても巨人ファンの一投目が誤算でした。
あとで聞いてみたら私が選んだ2人は2人とも野球部の子だったそうで、
言われてみればたしかにそういう体格でした。
この手のワークをやってもらうのに野球ファンを募ったこと自体がまちがいでした。
だけど自分の中でこういう時にあからさまに差別していいのは巨人ファンかきゅうりファンだけで、
残念ながら須賀川ではきゅうりが嫌いな人なんてヤクルトファンよりも少ない気がしたんだよなあ。

というわけで、最初のワークだけで半分時間を使ってしまいましたので、
あとはもうものすごい駆け足になりグダグダの講演会となってしまいました。
しかも、せっかくこのワークを取り入れたというのに、
なんだかあまり伝わっている気がしなかったので、
けっきょく口頭で 『生きながら火に焼かれて』 の話を付け加えることになり、
さらに時間を食うと同時に、全体的にものすごくお説教臭い講演になってしまいました。
去年までの軽やかな感じで、みんなひとりひとりちがうんだから、
そのちがいを尊重、尊敬し合って楽しく生きていこうね、という話にまとめられませんでした。
人権は17世紀に発明された思想で、日本ではほんの70年前にやっと認められたにすぎず、
しかも今まさに人権の尊重を謳っている日本国憲法は変えられようとしていて、
国民に人権なんて必要なく国民は義務さえ守っていればいいという憲法になるかもしれない、
ほんの数年後、君たちが18歳になったときにきちんと意思表示ができなければいけないので、
それまでに社会科の授業でしっかりと人権について学んでおいてください、
なんてそんなこと大学教授に上から目線で言われても誰も覚えちゃいないだろうなあ。
ていうか、この60分間自体が苦痛だったろうなあ。
うーん、今回は世相が世相だけにパッションが勝ってしまいイマイチの出来でした。
こういう時代だからこそ、若者に耳を傾けてもらえるような冷静な組み立てが必要でした。

市役所の担当の方からは、ありがとうございました、来年もお願いしますと言われましたが、
はたして来年度もこの 「人権啓発セミナー」 は開催できるのでしょうか?
来年の今ごろは、こういうごくごく当たり前のお話が、
政治的に中立ではないと判断される世の中になってしまっているかもしれません。
来年度も須賀川市の中学校で 「人権啓発セミナー」 を開くことができるような、
そういう自由で民主的な日本であってくれることを心より願うとともに、
その暁にはぜひとも今年のリベンジを果たさせていただきたいと思います。

知事と若者の“ふくしま・まちづくり”意見交換フォーラム

2015-12-04 23:57:29 | グローバル・エシックス
一昨年の川内村の若者ワークショップでお世話になった、
福島県保健福祉部のこども・青少年政策課の方から以下のような情報をいただきました。
哲学カフェの皆様にもお知らせいただければ幸いですとのことでしたので、
ほとんど当日のギリギリ告知になってしまいましたが、こちらでシェアさせていただきます。


若者の社会参画促進に関する、
本年度の県事業「チャレンジふくしま若者リーダーまちづくり事業」の一環として、
標記フォーラムを下記及び別添チラシのとおり開催します。
ご都合がよろしければ、ぜひ御観覧くださいますよう、御案内いたします。

                 記

知事と若者の“ふくしま・まちづくり”意見交換フォーラム

日 時  平成27年12月5日(土)13:45~16:00

場 所  福島県文化センター 小ホール(福島市春日町5-54)

内 容  第1部 講演 講 師 (株)いろどり 代表取締役 横石 知二 氏
           テーマ 「まちを変えるヒント」

      第2部 知事と若者による意見交換フォーラム
           テーマ ~“ふくしま・まちづくり”今から→未来へ~

≪若者の「まちづくり企画」≫
   ◆ 中通りグループ
    「農産物直売所や体験型農場を備えた道の駅テーマパークの整備」
   ◆ 浜通りグループ
    「大型店と提携した浜通りの今と魅力を伝える情報発信コーナーの開設」
   ◆ 会津グループ
    「ITを活用した会津のまちなか情報・観光情報」

  ※参加無料、申し込みなしの当日参加で結構です。



私もちょっと顔を出してみようと思っております。
関心のある方はぜひご参加ください。

ガンディーの日本人へのメッセージ

2015-12-03 17:23:14 | グローバル・エシックス
本日は 「戦争と平和の倫理学」 でガンディーの非暴力抵抗思想/運動について講義してきました。
授業ではA4×4枚分のプリントを配付して、ガンディーの生涯や彼の言葉を紹介しています。
ガンディーは自分で創刊した 『ハリジャン』 という雑誌に、
わりと短めの文章をものすごくたくさん投稿しているのですが、
その大量の文書からどれをセレクトしてくるのか、自分のセンスが試されるところです。
このプリントを初めて作成したのは2003年ともう12年も前のことで、
それ以来、誤植の訂正をしただけでずっと同じセレクトで今日に至っているようです。
教師の怠慢という評価も可能かもしれませんが、私としては相当気に入っているんでしょうね。
今日も自分で音読しながら、何度か泣きそうになるのをグッとこらえなければいけませんでした。
プリントに載せているのはたった4つだけですが、そのうちの一番長い記事を転載しておきます。
1942年、太平洋戦争のまっただ中、日本がインドに侵攻してくるかもしれないという時期に、
ガンディーがすべての日本人に向けて書いたメッセージです。
当時のインドはイギリスの植民地支配下にあり、
ガンディーは対英独立運動を非暴力の形で繰り広げていました。
日本はあの時も、そして現在においても、
あの戦争はアジア諸国を植民地支配から解放するための戦争だったのだと、
正当化し美化しようとしていますが、
アジアの側から見て日本がどう見えていたのかをとても端的に表現した文章だと思います。
そして、この文章そのものが非暴力コミュニケーションのお手本ともなっています。
ぜひすべての日本人にとくと味わっていただきたいと思います。


「すべての日本人に」(『ハリジャン』1942.7.18.)

「まずはじめに言わせてもらえば、わたしはあなたがたにいささかの悪意も持っていません。けれどもわたしは、あなたがたが中国に加えている攻撃を非常にきらっています。あなたがたは崇高な高みから帝国主義的野心にまで降りてきてしまいました。あなたがたは、野心の達成には失敗してアジア解体の張本人となり、知らず知らずのうちに世界連邦と、同胞関係をさまたげることになりましょう。同胞関係なしの人間は、いっさいの希望をもてなくなってしまうのです。
 今から五十年前、わたしは十八歳の青年で、ロンドンに行って勉強していました。そのときからのことですが、わたしは、今は故人になったサー・エドウィン・アーノルドの著作を通じ、あなたがたの民族のたくさんのすぐれた資質を知って、尊敬を払うようになりました。わたしは南アフリカで、あなたがたがロシアの武器に対して輝かしい勝利をおさめたことを知って感動しました。
 1915年に、南アフリカからインドに帰ってきたわたしは、日本人の仏教僧侶と非常に親しくなりました。彼らはときおり、わたしたちの道場の一員として生活をともにしました。彼らの一人は、セワグラムにある道場の貴重な一員になりました。彼の、義務に対する勉励ぶり、堂々とした振る舞い、欠かしたことのない日ごとの礼拝、ていねいな物腰、状況の変化に少しも動じないりっぱな態度、そして内心の平和の証である自然の笑顔、これらのことでわたしたちみんなが彼を愛しました。そして今日、あなたがたがイギリスに宣戦をしたおかげで、彼はわたしたちのところから連れ去られました。わたしたちは一人の親愛な協働者をなくしてしまったのです。彼は記念として、自分が毎日唱えていた経文と小さい太鼓を残してくれました。この太鼓の音とともにわたしたちの毎朝毎晩の祈りが始まったものでした。
 こうした楽しい回想を背景にもっていたので、あなたがたが、わたしには理由のないものに思われる攻撃を中国に加えたこと、そして報道が正確だとすれば、あの偉大な、そして古くからの国を無慈悲に荒らしてしまったことを思い出すたびに、わたしは非常に悲しく思います。
 あなたがたが、世界の強国と肩を伍したいということは、あなたがたのりっぱな野心でした。けれども、あなたがたの中国に対する侵略と、枢軸国との同盟は、正当とはいえない、度を越した野心でした。
 あの古い国の人々は、あなたがたが、自分のものとしている古典の文芸の所有者であり、あなたがたの隣人です。この事実にあなたがたは誇りを感じているのではないか、とわたしは思っていました。お互いの歴史、伝統、文芸の理解は、あなたがたを友人として結びつけこそすれ、今日のように敵方に回すことはないはずでした。
 もしわたしが自由の身であったならば、そしてわたしは弱ってはいるけれども、もしあなたがたの国に行くことが許されるならば、あなたがたの国へ行って、中国に対し、世界に対し、したがってまたあなたがた自身に対して行っている暴行をやめるように懇願しましょう。そのためにわたしの健康が、いや生命がそこなわれても意に介しません。だが、わたしはそのような自由をもっていません。
 さらにわたしたちは、あなたがたやナチズムに劣らずわたしたちがきらっている帝国主義国に反抗しなくてはならないという、特殊な立場にあります。帝国主義に対するわたしたちの反抗は、イギリスの人々に危害を加えるという意味ではないのです。わたしたちは彼らを改心させようとしています。イギリスの支配に対する非武装の反乱です。今、この国の有力な政党が、外国人の支配者と決定的な、しかし友好的な闘いを交えています。しかし、このことで、外国からの援助を必要としてはいません。あなたがたのインド攻撃がさし迫っているという特定の瞬間をねらってわたしたちが連合国を困らせているのだというように、あなたがたは聞かされているということですが、それはたいへんまちがった情報です。もしもわたしたちが、イギリスの苦境を乗ずべき好機にしようと欲しているのならば、三年前、この大戦が始まったときに、すでにわたしたちは行動していたはずです。イギリス勢力の撤退を要求する運動を、けっして誤解してはいけません。事実、報道されるように、あなたがたがインドの独立を熱望しているならば、イギリスによってインドの独立が承認されることは、あなたがたにインドを攻撃させるいかなる口実もいっさいなくしてしまうはずです。さらに、あなたがたの言うことは、中国に対する無慈悲な侵略と一致していません。
 わたしは要請したい。もしも、インドから積極的な歓迎を受けるだろうと信じようものなら、あなたがたはひどい幻滅を感ずるという事実について、けっしてまちがえないようにしてください。イギリス勢力の撤退を要求する運動の目標とねらいは、インドを自由にして、イギリス帝国主義であろうと、ドイツのナチズムであろうと、あるいはあなたがたの型のものであろうと、すべての軍国主義的、帝国主義的野心に反抗する準備をインドに整えさせるためです。
 もしわたしたちがそういう行為に出なければ、わたしたちは世界の帝国主義化をただ傍観している見下げた奴に堕落してしまうでしょうし、また、非暴力こそ軍国主義的精神と野心とに対するただ一つの解毒剤であるとする、わたしたちの信念を無視することになってしまうでしょう。
 イギリスやアメリカに対しては、わたしたちは正義の名において、彼らの公言したことの証拠として、また彼ら自身の利益のために訴えを行いました。あなたがたに対しては、わたしは人間性の名において訴えます。情け容赦をしない戦争というものがだれの独占物でもないことを、あなたがたが知らないとは思われません。たとえ連合国でなくとも、どこかほかの強国があなたがたの使った方法を改善し、そしてあなたがた自身の武器であなたがたに打ってかかってくることは確かなことです。かりにあなたがたが勝利するにしても、あなたがたの民衆には、誇りとするような遺産は残されはしないでしょう。手際よく達成されはしても、残虐な行為の演奏に誇りを感じることはできないでしょう。
 かりにあなたがたが勝つにしても、それは、あなたがたが正しかったということの証明にはならないでしょう。それは、あなたがたの破壊力が強かったことを証明するばかりです。このことはまた、連合国がインドを自由にし、このインドの解放を、アジアおよびアフリカにおけるすべての従属民族を同じように解放する前ぶれや約束にする、というような、公正で正当な行為をしないかぎり、連合国にもあてはまることです。
 イギリスに対するわたしたちの訴えといっしょに、連合国に対して、彼らの軍隊をインドに駐屯させてよい、とする自由インドの意向が表明されています。この表明が行われたのは、わたしたちに連合国の大義を傷つける意志の毛頭ないことを明らかにするためと、イギリスが撤退したあとの国土に入り込みたくなる誘惑を、誤ってあなたがたが持たないようにするためでした。もしもあなたがたが、なにかそのような考えをいだいて実行に出るならば、わたしたちは、全力をあげて、必ずあなたがたに抵抗するでしょう。
 わたしがあなたがたに対して訴えを行ったのは、わたしたちの運動が、あなたがたやあなたがたの仲間に正しい方向に進むように影響を及ぼすかもしれない、また、あなたがたの道徳的崩壊と人間のロボット化に終わるにちがいない進路から、あなたがたや仲間をはずさせてやりたいという一念からでした。わたしの訴えに対して、あなたがたに答えてもらえる期待は、イギリスから答えをもらうよりもずっとかすかです。イギリスは正義の感覚に欠けていないし、また彼らはわたしを知っていると思われます。わたしは、あなたがたを判断できるほど十分に知ってはいません。わたしがこれまでに読んだすべてのものは、あなたがたが訴えに傾ける耳をいっさいもっていない、そして剣にしか耳を傾けないと教えています。そのようにあなたがたを思うことがひどい見当違いであること、そしてわたしの言ったことが、あなたがたの心にある正常な琴線にふれるだろうことを、どんなに望んでいることでしょう。
 いずれにせよ、わたしは人間の共感性に不滅の信念をもっています。その信念の強さにたよって、わたしは、インドで今やりかけている運動を始めたのでした。そして、あなたがたにこの訴えをするようにうながしたのも、その信念なのです。
                   あなたがたの友であり、その幸いを祈る者である M.K.ガンディー」
               (マハトマ・ガンディー 『わたしの非暴力2』 みすず書房、1997年、pp.33-39)

福島県議選2015選挙結果

2015-11-18 10:08:40 | グローバル・エシックス
パリの同時多発テロという大ニュースが飛び交ったこの週末でしたが、

福島県では3.11後2度目となる県議会議員選挙が行われました。

これはこれで大事な問題ですのでいちおう結果を記録しておくことにしましょう。


「<福島県議選>自民過半数届かず 安倍政権批判重く」(毎日新聞 11月16日(月)8時30分配信)

「震災後2回目となる福島県議選と浪江町長選、6市町村議選が15日、投開票された。県議選(定数58)は無投票当選が既に決まっている8選挙区(定数14)を除く11選挙区で新議員が続々と決まった。県議会最大会派の自民は無投票当選を含め26議席と現有より2議席減らし、8年ぶりの過半数獲得はかなわなかった。第2党の民主は15議席と現有より3議席増やし、安倍政権への批判票の取り込みに成功した形となった。県議選の投票率は46・67%(前回47・51%)で過去最低となった。当日有権者数は123万9897人(男60万1350人、女63万8547人)。
 県議選11選挙区には65人が立候補し、44議席を争った。立候補者の党派別は自民26人▽民主13人▽共産6人▽公明3人▽維新1人▽社民2人▽無所属14人。
 前回選は震災の影響で春の統一地方選から外れ、他の市町村議選とともに日程がずれた。震災と原発事故から約4年8カ月たった今回の選挙戦では、これまでの復興に対する実績や、今後の避難者支援や復興策のあり方などが問われた。
 自民は政権与党との連携により復興をさらに進めていくとの主張を展開したが、民主との復興政策の違いが分かりにくく、支持を広げることができなかった。11選挙区で現職17人、新人2人の当選にとどまった。
 民主は9月に強行採決で成立した安全保障関連法に対する批判票を取り込もうと自民への批判を強めたことが奏功。11選挙区で現職7人、新人4人、元職1人が当選した。
 共産も安倍政権を強く批判し、現職4人、新人1人が当選。公明は現職2人、新人1人が当選を果たした。維新は党本部の分裂騒ぎもあって公認候補は新人1人となったが、落選した。社民は現職1人が当選した。【小林洋子】」


「自民、2減の26議席 福島県議選、民主は3増15議席」(福島民友 2015年11月16日)

「東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から2回目の第18回県議選(定数58)は15日、無投票8選挙区を除く11選挙区で投票が行われ、即日開票の結果、現職33、元職1、新人10の計44人が決まった。無投票当選を加えた県議会勢力は、自民党26、民主党15、共産党5、公明党3、社民党1、無所属8。各党が参院選の前哨戦と位置付けた中、自民は県議会第1党を維持したものの2議席減らした。一方、民主は現有12議席から3議席増やした。
 岩手、宮城の両県議選で議席を増やした共産は、本県では5議席を維持し、引き続き交渉会派となる。無所属は改選前の7人から1人増え、維新の党は議席を失った。
 県議会の勢力図は、最大会派の自民が引き続き主導権を握り、民主、社民と無所属議員で構成する「民主・県民連合」が第2会派をそれぞれ維持、改選前と変わらない見通し。
 当選した県議の任期は20日から。
 投票率は過去最低46.67%
 県選管のまとめによると、県議選の投票率は46.67%で、過去最低だった前回2011(平成23)年の47.51%を0.84ポイント下回り、過去最低を更新した。
 選挙区別では、東白川郡が69.66%で最高となり、相馬市・新地町選挙区が66.14%と続いた。
 市町村別では、市の最高は相馬市63.89%、町村の最高は新地町76.22%。市の最低は、現職が全て再選された郡山市で38.14%。町村の最低は西郷村34.81%。市平均は44.94%で、町村平均は58.12%だった。」


「福島県議会議員選挙2015選挙区別・候補者別得票数(確報)[福島県内の選挙結果]」

「任期満了に伴う福島県の福島県議会議員一般選挙が11月5日告示。
定数58人に対して、79名が立候補しました。
11月15日に投票が行われ、即日開票された結果、
選挙区別・候補者別の得票数は下記のようになりました。
得票数は、福島県選挙管理委員会発表の確定票です。

■福島県議会議員選挙2015選挙区別・候補者別得票数(確報)
★福島市選挙区
※定数8
当15,141 桜田 葉子58自由民主党 現(4)
当13,180 西山 尚利50自由民主党 現(3)
当13,129 宮本しづえ63日本共産党 現(2)
当12,018 伊藤 達也45公明党 新(1)
当10,780 大場 秀樹46民主党 新(1)
当10,693 紺野 長人60社民党 現(2)
当 8,759 佐藤 雅裕49自由民主党 現(2)
当 8,716 高橋 秀樹50民主党 元(3)
  8,628 丹治 智幸44自由民主党現(1)
  3,260 大内 雄太32維新

★郡山市選挙区
※定数9
当12,796 今井 久敏62公明党 現(3)
当12,741 神山 悦子60日本共産党 現(5)
当12,506 勅使河原正之63自由民主党 現(3)
当11,670 椎根 健雄38民主党 現(2)
当10,902 佐藤 憲保61自由民主党 現(6)
当 9,956 佐久間俊男60民主党 現(2)
当 9,527 柳沼 純子68自由民主党 現(4)
当 7,569 長尾トモ子67自由民主党 現(4)
当 7,444 山田平四郎62自由民主党 現(2)
  2,543 根本  潤43無所属 新
  1,385 有川りえ子57無所属 新

★いわき市選挙区
※定数10
当13,460 安部 泰男58公明党 現(2)
当12,793 矢吹 貢一60自由民主党 現(2)
当10,215 吉田 英策56日本共産党 新(1)
当 9,192 鈴木  智42自由民主党 現(2)
当 8,911 青木  稔69自由民主党 現(8)
当 8,789 宮川絵美子69日本共産党 現(3)
当 8,477 古市 三久67民主党 現(3)
当 7,577 鳥居 作弥41民主党 新(1)
当 7,459 西丸 武進71無所属 現(6)
当 6,881 坂本竜太郎35無所属 新(1)
  6,496 佐藤 和良61無所属 新
  6,319 阿部  広68自由民主党 現(2)
  4,761 鈴木 利之65社民党 新
  4,229 佐藤 健一66無所属 元(2)
  3,785 木田 孝司54自由民主党 現(1)
  2,713 山崎 和子38無所属 新 

★伊達市・伊達郡 選挙区
※定数3
当13,245 佐藤 金正66自由民主党 現(4)
当12,766 亀岡 義尚52民主党 現(4)
当11,420 阿部裕美子69日本共産党 現(4)
  6,305 佐藤 直毅54自由民主党 新

★会津若松市選挙区
※定数4
当9,051 佐藤 義憲40自由民主党 新(1)
当7,751 渡部 優生54民主党 新(1)
当7,735 宮下 雅志60民主党 現(3)
当6,698 水野さち子53無所属 現(2)
 5,801 大竹 俊哉46自由民主党 新
 4,787 古川 芳憲64日本共産党 新

★二本松市選挙区
※定数2
当10,743 遊佐 久男56自由民主党 現(2)
当 6,699 高宮 光敏44無所属 新(1)
  5,644 中田 凉介59無所属 新
  3,614 鈴木 雅之37無所属 新

★田村市・田村郡選挙区
※定数2
当12,111 本田 仁一53自由民主党 現(2)
当11,534 三瓶 正栄54民主党 新(1)
 10,010 先崎 温容41自由民主党 現(1)

★石川郡選挙区 
※定数1
当9,684  円谷 健市61民主党 現(2)
 8,876  永山 美穂35自由民主党 新
 2,436  野崎 正夫65無所属 新

★白河市・西白河郡選挙区 
※定数3
当12,453 渡辺 義信52自由民主党 現(4)
当11,048 満山 喜一64自由民主党 現(4)
当10,454 三村 博昭73民主党 現(4)
  1,783 金山  屯75無所属 新

★東白川郡選挙区
※定数1
当10,297 宮川 政夫56自由民主党 新(1)
  8,716 立原 龍一63民主党 現(2)

★相馬市・新地町選挙区
※定数1
当13,407 斎藤 勝利71自由民主党 現(5)
  9,700 新妻 香織55無所属 新」


我が福島市選挙区は接戦でした。

私はいろいろと考えて戦略的な投票行動を採ろうとしたわけですが、

結果的にはクソの役にも立ちませんでした。

たまたま私が入れた方は当選されましたが、今回の接戦を左右するような一票にはなりませんでした。

ホント選挙は難しいです。

議員の方々に言いたいのは、1回1回の選挙結果にあまり浮かれすぎないでほしいということです。

私たちが投じた一票はけっして無際限の信任を与えたものではありません。

私のように、特に積極的に支持する政党や候補者がいるわけではなく、

ただ現状の政治に対する不満ゆえに渋々入れたという人も少なからずいたことでしょう。

しかも、過半数の有権者は政治に対する幻滅と絶望ゆえか投票にすら行かなかったわけで、

今回たまたま当選した皆さんも、

県民から白紙委任を受けたわけではないということを肝に銘じていただきたいと思います。

一時の勝利に浮かれて傲慢になっている政治家や、

選挙時に言っていたことと当選後にやってることが全然違っている議員は、

次の選挙で容赦なく叩き落とします。

民主主義の原理をしっかり弁えて、自分を熱烈に支持してくれている人々だけでなく、

少数派や自分に反対する市民のことも視野に入れて政治を行っていただきたいと思います。

9条タグ

2015-11-17 09:44:52 | グローバル・エシックス
先日のシネマ de てつがくカフェのときにゲストの方からこんなものをいただきました。

せっかくの頂き物ですのでさっそくバッグに付けてみました。



シンプルなデザインですね。

なかなかいい感じではないでしょうか。

もうちょっとアップにしてみるとこうです。



「NO WAR」 で 「LOVE & PEACE」 だそうです。

裏側は白で、こうなっています。



なるほど。

「NO WAR」 は 「MADE IN JAPAN」 なんですね。

この恐怖 (テロル) と構造的暴力が支配している現代において、

日本が世界に誇れるものは 「N°9」 しかないと思うのですが、

この至宝を率先して手放そうとしている人たちは、

70年続いた 「LOVE & PEACE」 を棄てて、

「HATE & WAR」 の泥沼に自ら身を投じていきたいのでしょうか?

毎度言ってることですが、日本には戦争のできる (=テロの対象となる)「普通の国」 ではなく、

世界をリードして世界に平和をもたらすことのできる 「特別な国」 になってもらいたいものです。

世界への祈り ―パリ同時多発テロに―

2015-11-16 16:39:59 | グローバル・エシックス
日本カント協会の学会が開催されていた2015年11月14日 (現地時間では13日)、

パリで同時多発テロが起きていたようです。

その日は寝坊したために慌てて学会会場である清泉女子大学に向かいましたし、

そこからはずっと外界の情報からは遮断されて学会三昧で、

その後は懇親会から2次会、3次会へと日が替わるまで飲んでいました。

したがって、私がこの事件のことを知ったのは15日になってからです。

学会会場では、9.11のときにテロは断じて許すまじきことであるとして、

テロへの報復戦争を全面的に支持していたある会員が、

カントは正戦論者であるという研究発表をされ、私はその司会を務めていました。

もしもその場で今回の事件の報に接していたならば、どんな議論が交わされていたでしょうか?

私もテロは断じて許すまじきことだと考えています。

しかし、いくら報復戦争をしてもテロは増える一方でけっして根絶することはできないでしょう。

その後インターネットでいくつか情報に触れましたが、

最も共感できたのは以下の英文の詩でした。

Facebook 上で翻訳も付した投稿がシェアされていたのでここに引用しておきます。



Ryuichi Sakamotoさんが投稿をシェアしました。
kubota nozimiさんのポストをシェア
カルナ・エザラ・パリクという人がInstagramに書いた詩を、何人もの人が訳している。
以下は幾島幸子さんの訳だ。シェアします。

*********************

「私たちが捧げるべきなのは、パリへの祈りではない。

 世界への祈りだ。

 パリの2日前に連続自爆攻撃にさらされたベイルートのことは

 ニュースで伝えられない、そういう世界に祈りを捧げよう。

 バグダッドの葬儀場が爆撃されても、死者に白人がいなかったから、

 誰も 「バグダッド」 について投稿しない、そういう世界に。

 祈りを捧げよう、

 テロ攻撃を難民危機のせいにする世界に。

 攻撃者と、あなたと全く同じものから逃げようとしている人とを

 区別しようとしない世界に。

 祈りを捧げよう、

 背中に背負ったもの以外何ひとつ持たず、

 何ヵ月もかけて国境を越えてきた人びとが

 おまえたちに行くところはないと言われる世界に。

 パリのために、ぜひとも祈りを捧げよう、

 でもそれだけではいけない。

 祈ろう、

 祈りを持たない世界のために。

 もはや守るべき家を持たない人びとのために。

 身近な高層ビルやカフェだけでなく

 いたるところで崩壊しつつある世界のために。」

福島県議選2015

2015-11-10 14:30:58 | グローバル・エシックス
今週末11月15日 (日) は福島県議会議員選挙です。

わが福島市選挙区では、定数8のところ、10名の方が立候補されています。

私としては小選挙区制の選挙制度はロクなもんではなかった、

民主主義を破壊することにしか役立たなかったと総括しておりますが、

かといって前回の市議選や今回の県議選のような中選挙区制の選挙も、

どう投票したらいいのか困ってしまいます。

たった2名しか落選しないので、

私がゼッタイに県会議員になってほしくないと思っている人たちもきっと大量に当選してしまうでしょう。

それはもうどうしようもないので、

どっちみち私の政治指向にぴったり合致する政党も候補者もいないことですし、

私の政治指向と真反対の方向へと突き進みつつある現政権に対して歯止めをかけるような、

現実の政治に具体的に影響を及ぼす可能性の少しでも高そうな投票行動をしたいと思います。

つまり、完全に一致しないまでもある程度私が容認できる政策を掲げていて、

かつ、当落線上に位置していて私が投票してあげないとヤバイという人に票を投じたいと思うのです。

とはいえ、そういう人を見抜くのが難しいですね。

何はともあれ候補者10名のことをきちんと知っておかないといけません。

選挙公報はこちらです。

立候補しているのは以下の10名です (五十音順)。

いとう 達也氏 (公明党)  

大内ゆうだい氏 (維新の党)  

おおば 秀樹氏 (民主党)  

こんの 長人氏 (社民党、現職)  

さくらだ葉子氏 (自民党、現職)  

佐藤まさひろ氏 (自民党、現職)  

高橋 ひでき氏 (民主党)  

丹治ともゆき氏 (自民党、現職)  

にしやま尚利氏 (自民党、現職)  

宮本 しづえ氏 (共産党、現職)

名前をクリックするとひとりひとりのウェブサイトや Facebook に飛ぶことができます。

政党名を見ただけではじくことのできるのが半数。

もう1名もちょっとその政党には賛同しがたいという人がいます。

残るは4名。 

うち現職の2名は前回の選挙である程度余裕をもって当選しています。

というわけで残る2人のいずれかに投票することになるのではないでしょうか。

いずれの方の党も特に支持しているわけではないので、

あとはどちらが当落線上なのかを読み切れるかどうかが課題です。

とはいえ、現職の人で出馬していない人もいて、その票がどう流れるかがよくわからず、

政治の素人にはたいへん難しい問題です。

こんなことを考えずに、ただ入れたい人に入れることのできていたほんの数十年前が懐かしいなあ。

いやな世の中になってしまったもんだ。

でもとてつもなく耐えられないほどいやな世の中だからこそ、

投票というこの希少な政治参加の機会を有効に使いたいと思います。

選挙権を持っている学生諸君は必ず投票に行きましょう。

投票にも行かないやつに民主主義を語る資格はないし、

ましてや社会科や公民科の教員になって社会の仕組みを人に教える資格はないと思います。

目からウロコが落ちる印刷機でのA4印刷

2015-11-06 09:55:49 | グローバル・エシックス
大学で印刷しようと思って印刷室に行き印刷機の前に立つと、こんな光景によく出くわします。



ここは印刷用紙を置く台で、用紙の大きさに合わせてストッパーの位置を変えられます。

ストッパーがこの位置にあるということは、私の前にこの印刷機を使った人は、

A4サイズの印刷をしたということなのでしょう。

こういう感じです。



このようにA4用紙を横に置いてストッパーで止めて印刷をしたものと思われます。

A4の印刷をするときはフツーこうしますよね。

私もこのようにして印刷していました、以前は。

ところがある日、共生システム理工学類のN先生と印刷室で隣り合わせたときに、

(うちの印刷室は、人間発達文化学類と共生システム理工学類の共用)

私がA4の印刷をしている様子を見て彼はこう言ってきたのです。

「なんで人間発達の人たちはA4の印刷するとき紙をそうやって置くかなあ?

 そんなことしたらマスターがもったいないじゃないか。」

私は何を咎められているのか意味がわかりませんでした。

A4の場合は先のように紙を横に置くのが当たり前と思っていましたし、

写真ではたぶん見えないと思いますが、ストッパーの横に白で線と文字が書かれていて、

A4の場合のストッパー位置が記されており、それにきちんと従ってもいたからです。

いぶかる私に対してN先生は 「こう置けばいいんだよ」 と実地に示して教えてくれました。



ストッパーをA3の位置にずらし、A4用紙を縦に置いたのです。

もちろんこれに合わせて原稿のほうも縦に置かなくてはなりません。

こうやって印刷すると印刷機のマスターの消費量が少なくてすむというのです。

マスターというのは印刷をするときの元となる 「版」 のことです。

現在のように印刷がデジタル化される前は、半透明のフィルムに手で直接書き、

ガリ版で1枚1枚刷ったりしていたものです (『コクリコ坂から』 参照)。

その半透明のフィルムがマスターです。

時々印刷機が 「マスターを捨ててください」 と言ってくることがあるので、

先ほどの台の上方にある使用済みマスター入れを取り出してゴミを捨てたことがあるでしょう。

あのゴミが印刷工程の中核部分であり消耗品でもあるわけですが、けっこう高価なのです。

現在のデジタル印刷機は外見上はコピー機とほとんど大差なく、

若干時間がかかることを除けば、コピー機と同じように使用することも可能ですが、

コピー機とはまったく仕組みが違います。

コピー機の場合は1枚いくらというふうに1枚単位でプリントしていますが、

印刷機はマスター (版) を作成しているので、それを使って大量に印刷しないと元がとれないのです。

印刷室に 「20部未満の印刷の場合は印刷機を使用しないでください」

という掲示が出されているのはそのためです。

たまに学生がほんの数枚の印刷に印刷機を使っていることがあり、

それを見つけたら私は必ずやめさせるようにしていますが、それぐらいマスターは貴重なのです。

と、そこまでわかっている私が長い間ずっとA4用紙を横に置いて印刷していたのです。

教えられて目からウロコが落ちました。

A4サイズというのは210mm×297mmです。

これを横に置くか縦に置くかで毎回87mm分もマスターの消費量が変わってきます。

A4を4回印刷するだけで、もう1回よけいに印刷できてオツリが来るほどの節約が可能です。

これをみんなで実践したらけっこうな量の節約になるじゃないですか。

以前にもこんなビックリを味わったことがありますが、自分の常識が覆される経験っていいですね。

私もこういうオルターナティブ (別の選択肢) を人に示すことのできる、

カッコいい大人になりたいものです。