本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

小説042 : reProfesional#113

2008-11-01 02:39:41 | reProfesional
chapter#42 発泡性飲料

ボクを創作活動へと走らせる大きな理由の背景として不安という概念が潜むということは、前章でみてみた。
どういう不安があるのかということをまた前章で大して述べないままに、自分なりに、ひとつの論段の完成をみてしまった。
どういう不安があるのかというと、まず、人生を肯定的に生きようとすると、ある意味で、それが健全なものであるという範疇において、ある程度の自己否定、自己破壊を伴うものとなる。

今のままの自分でいいと決めるなら、それは絶え間ない自己肯定という忘我を味わうだけで成就されるだけだろうが、それは、一種の生産活動ともみなせるが、一時的快楽以外の何も生み出さないのではないだろうか?
意外なところからの引用になるが、もとFRB議長のグリーンスパン氏の彼の新婚旅行のベネチアへでの彼の妻との会話を見てほしい。

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「ベネチアが生み出している付加価値は何なのだろう」
「的外れな質問じゃない」と妻はいって、笑いだした。
「でもこの街全体が美術館なのだから、これを維持する資金をどうやって稼いでいるのか、考えるべきだと思うよ」
アンドレアは笑いを止め、私に顔を向けていった。「この街がどんなに美しいかを見ていればいいの」
もちろん、妻のいうとおりだ。だが、この会話で私は何ヶ月も前から頭に引っかかっていた点をはっきりさせることができた。
ベネチアは創造的破壊の極なのだ。過去を維持し、楽しむための場所であって、未来を創造する場所ではない。だが、まさにその点が重要なのだ。ベネチアは安定と永遠、美とロマンスに対する深い欲求を満たしている。ベネチアに人気があるのは、人間性の矛盾のうち、一方の極を代表するものだからだ。人間は物質的に豊かになりたいと望む一方で、変化とそれに伴うストレスを避けたいと望んでいるのである。

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ボクは今何とか、自分をよりよい方向へと導けないか?社会的側面に持っていけないものかと躍起になっている。そして、その自己成就の方向性というのが、ひとつの衝撃により、もろくも崩れ去るのではないかという恐怖と不安とも戦っている。
おそらく、多かれ、少なかれ、完全に、老心に取り付かれてしまっているような、グロテスクな人間でもない限り、生きるという対極として、性もしくは、死というものが立ち現れるのであろう。
ここは、少し丁寧な言い回しをしたことによって、より混乱を招いてしまったであろうが、バタイユは、性への接近は小さな死であるというふうにいっていたとおもうが、まさにそのとおりだと思う。

女性サイドが何ゆえ、セックスをしたいと思うのか、もしくは、男性一般がなぜ、性的誘惑に対して隷属的態度をとりがちになってしまうのかということの回答が、マエストロ、グリーンスパンの先ほどの文章の中に凝縮されているのではないだろうか?

女性といういわば、母の象徴としての安心感、母にはない性的魅力に実をうずめることで、精進の中での小休止を味わう。それが、さまざまな形で屈折して表れるにしても、セックスというものの源泉といえるのではないだろうか?

社会的成功ということを考えるにあたっての第一弾としてもやはり、もう少し、ボクはこのセックスということについて考えるべきなのではないかと思う。あまりに、この社会の中で、商業化され、ともに隠蔽されているものであるからこそ。

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