
やはり、新聞は読者に育てられていることを、私「わけあり記者」こと三浦耕喜(53)は実感している。
前回の当欄に対し、複数の読者からこう指摘された。脳に刺激を与える電流の大きさを表す単位を「アンペア」としているのは、「ミリアンペア」の間違いではないか、と。
アンペアとミリアンペアでは千倍の開きがある。「アンペアの電流を流せば、刺激どころか脳を焼いてしまう」との指摘は重大だ。
手分けして各方面に確認。読者の指摘が正しいことが分かり、訂正記事を出した。
間違いの原因は私の思い込みと確認不足にあった。
私は主治医と話す時は、いつも「アンペア」と言っていた。
特に修正も否定もされなかったので、アンペアだと思い込んだのだ。
しかし、医学の世界では、人体に流す電流は「ミリアンペア」の単位で調整するのが常識だった。
記者にとって「訂正」を出すのは恥ずべきことだ。だが、「過去(の過ち)に目を閉ざす者は、現代においても盲目となる」と、ドイツの元大統領ワイツゼッカー氏は言った。
人が人間として成長する原理でもあろう。
間違いを指摘した読者も、「闘病しながら記事を書くことに敬意を表します」と書き添えてあった。
本紙に期待するからこそ、間違いは捨て置けないのだ。
有り難い読者である。今後も気付いたことは、意見をお寄せいただきたい。私が目を閉ざさないように。
私も目を閉ざさないよう日々努力している。
比喩的な意味ではない。というのは最近、目が見えなくなる時があるのだ。目そのものは機能していて光も感知している。
問題はまぶただ。まぶたが開かないので見えない。
医師によると、パーキンソン病の患者によく見られる症状で、「ジストニア」という不随意運動の一種なのだそうだ。
脳が筋肉への指令を発する際、その伝令役として脳内で「神経伝達物質」である「ドーパミン」が働く。
パーキンソン病ではこれが枯渇し、筋肉への指令が乱れ、体が動かしにくい症状が出る。
まぶたも例外ではない。まぶたの開閉も、筋肉の仕事だ。正常な目は、自分の意思通りにまぶたを開閉できる。「ウインク」ができるのも、目を動かす筋肉が随意筋であるからだ。
その目が自分の意思に反して開いてくれない。昼の明るいうちは、まぶたが閉じることも少ないが、朝が大変だ。眼球を左右・上下に動かすなどの努力も通用しない場合は、いよいよ強制介入。
指でまぶたを開く。目の方は、強制的に開いたままだと、たちまち眼球の表面が乾燥するため、本能的にまぶたを閉じようと必死になる。
この攻防を何とかクリアできても、危険はまだある。最悪なのはトイレだ。トイレでこれが起きると悲劇だ。トイレットペーパーや洗浄水の操作ボタンの位置も分からなくなる。
強制介入しようにも、すでに便座の開け閉めなどにより、手は雑菌などで汚染されているであろう。指で触るのは恐る恐るという感じで、難しい。
やんぬるかな。内側からノックし、妻を呼ぶ。原因をなした者は私だが、妻への同情を禁じ得ない。
爽やかであるべき朝のあいさつを、便座に座ったままの夫とドア越しに交わさざるを得ないとは。
足音が近づき、やがて空気の動きでドアが開くのが分かった。しばしの沈黙…。
なので、その時に言えなかったことを今、伝えよう。いろいろ手間をかけさせてごめんなさい。そして、本当に、ありがとう。
<パーキンソン病> 脳内の神経伝達物質ドーパミンを作る細胞が壊れ、手足の震えや体のこわばりが起きる。多くが50代以上で発症し、国内の患者数は約16万人。厚生労働省の指定難病で、根治療法はなく、ドーパミンを補う服薬が治療の中心。服薬は長期にわたり、経済的負担も大きい。
<みうら・こうき> 1970年、岐阜県生まれ。92年、中日新聞社入社。政治部、ベルリン特派員などを経て現在、編集委員。42歳のとき過労で休職し、その後、両親が要介護に。自らもパーキンソン病を発病した。事情を抱えながら働く「わけあり人材」を自称。
以上です。
パーキソン病は、まぶたも開かなくなるんだ。
大変なんだ。
奥様がいて、よかったですね。
あゝ青春の胸の血は 舟木一夫 Funaki Kazuo