中日新聞を読んで 堀田あけみ(椙山女学園大教授)さんが「伝えるべきこと」というタイトルで投稿されていました。
それは9月24日付朝刊社会面の小さな記事である。
往年のプロ野球の名投手が逮捕されたと知らせている。
空港の保安検査場で検査員に暴行を加えたとのことだ。
限られた字数で、ニュースを伝えるのは難しい。
「暴行を加えた」は別のネット記事から持ってきた表現で、紙面そのものには「女性検査員の左肩を右手で押すなどした」とある。
それだけで逮捕までされるとは思えないが、これが最も真実に近い書き方なのだろう。
「暴行」だと、接触との境界が主観になる。
新聞記事は客観的な事実を書くものだから。
ネットでは多くの記事で使われていた「女性」という言葉が話題になっていた。
殊更に被害者を女性であると強調するのは差別的ではないのか。
私は必要だと感じている。
それは男性だったらことが起こっていない可能性が十分にあると思われるからだ。
体力面で弱いだろうから、そして「女のくせに」と思ったから手が出てしまったのではと推測する。
昭和のころの学校は、教師が子どもに暴力を振るったり暴言を吐いたりするのに肯定的だった。
愛のむちとか子どもの為だとか教師だから当然だとか。
私は中学を卒業するまでに三人の教員から今だったら完全にアウトになる扱いを受けたことを、よくネタにする。
その際にいずれも女性だったと必ず書くから批判される。
「同性をおとしめるようなことをなぜ書くのか」。
だが「両腕をつかんで鼻血が出るほど壁にたたきつけた」という表現だけなら男性と判断されそうだ。
それが「だから昭和の男は」という論調につながる。
私は夫の主治医と仲良しで何度か一緒に食事しているが「夫を亡くしたばかりで男性と食事に行くなんて」と言われたことがある。
今時ですら医者と言ったら男性と思われるのだから性別を知らせる必要は常にある。
同性であることを理由に忖度することこそ差別的だ。
女性だと書いたことを責めた人は男性だと書いても同じようにしたのだろうか。
「なぜ書いたのか」という問いの答えは必要だと判断したから、それに尽きる。
以上です。
>私は中学を卒業するまでに三人の教員から今だったら完全にアウトになる扱いを受けたことを、よくネタにする。
その際にいずれも女性だったと必ず書くから批判される。
「同性をおとしめるようなことをなぜ書くのか」。
だが「両腕をつかんで鼻血が出るほど壁にたたきつけた」という表現だけなら男性と判断されそうだ。
私も女性教師だと書かれていなかったら、男性教師がやったと思うでしょうね。
真実の報道を伝えるためには男性、女性を書く必要があると思います。
福山雅治 - 桜坂 (Full ver.)