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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

今更なんですが、ほんとうに自分は最低な人間だと思いました。

2022-01-27 01:55:19 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「手書きの温かみ 大切に」というタイトルで22歳の男性が投稿されていました。


 机の引き出しから中学校卒業文集が出てきた。

 友人による寄せ書きもあり懐かしさを覚えると同時に手書きの温かみを再認識できた。

 もちろん文字は一人一人異なり、読み直すメッセージ内容や筆跡から書き手の性格や個性まで伝わってくる。

 スマートフォンで会員制交流サイト(SNS)を使えば簡単にやりとりができる昨今、手書きの機会は随分減った。

 今年届いた年賀状でも大半がパソコン作成だった。

 しかしながら手書きでしか味わえない面白さは確かにある。

 字に自分ならではのこだわりを持て、ちょっとした感情が筆圧や字の流れに反映する。

 書き間違いを直した跡にも味わいはある。

 そんな自分らしさのにじみ出る手書きをこの先も大切にしていきたい。

 以上です。

 年賀状を頂いても、何もコメントが入っていない年賀状は感慨を覚えません。

 一言手書きのコメントが書かれていると、うれしくなります。

 ご自分の近況など書かれていると、よりうれしいです。

 私も必ず一言、手書きのコメントを書きます。

 私の場合字が下手なので、教養のなさを露呈しますが。😅


 年賀状といえば、寒中見舞いを会社時代の友人の奥様から頂きました。

 印刷文の中を読みますと、「身体が思うように動かなくなり 年賀の挨拶を失礼させていただきました 今後も勝手ながら控えさせていただきます」と書かれていました。

 以前 高血圧で倒れられてからは、ひと月に一度様子伺いの電話をしていました。

 車椅子を利用されていましたが、デーサービスに行きながら、リハビリに励んでいらっしゃいました。

 ちょっと車がないと不便な場所なので、同じく会社の同僚に車に乗せてもらい、見舞いに行く予定を立てていました。

 ところがコロナ禍になり、この友人と連絡が取れなくなってしまいました。

 電話も繋がらないので、年賀状に電話をくれるように書いても音沙汰なしでした。

 翌年からも年賀状は来ますが、コメントは何も書かれていません。

 今回上記のような寒中見舞いをいただき、そうとう体調がお悪いという事が分かりました。

 私は友人の車をあてにし、とうとう一度もお見舞いに行きませんでした。

 かみさんに「あなたはそういう人だ、友達の車なんてあてにせず、自分一人で行けば良いものを。とうとう行かずじまいだった、私が懸念していた通りになった」と、言われました。

 今更なんですが、ほんとうに自分は最低な人間だと思いました。
 調子のいいことを言うものではないですね。😅





家(うち)に帰ろう ( 竹内まりや )