中日新聞の「くらしの作文」に「赤飯のレクイエム」というタイトルで60歳の女性が投稿されていました。
昨年 十月の末、前日まで元気だった義母が突然亡くなった。
生前の宣言通り、誰にも迷惑をかけず、早朝に一人で静かに旅立った。
冷たくなったその手に触れた時、私は、初めて自分の体の中心から叫ぶ声を聞いた。
頭が痺れるほど泣いた。
自分の母が亡くなった時でさえ、声を上げることのなかった私がである。
忙しい商家で親にかまってもらうことなく育った私が、結婚して初めて、家庭の温もりや親が子どもを大事に育てる姿を教わった大事な人だ。
毎年十一月には、亡き義父、主人、私の誕生日を祝い赤飯を作ってくれた義母。
あの笑顔とあの味が忘れられない。
言葉にできない喪失感だった。
ふらふらと時が流れ、年末、スーパーに並んだ餅米と小豆の前に私は立っていた。
義母のようにはできないかもしれないが作ってみよう。
技量も経験もない。
だけど挑戦してみよう。
もう一度、食べたいのだ。
主人や子ども、孫に食べさせたいんだ。
前日から餅米を水に浸し、小豆を茹でこぼす。
翌日せいろで蒸し、打ち水しながら返す。
火の前に立ち、私たちのことを思いながら作ってくれたはずだ。
胸に空いた隙間が、ようやく温かくなってきた。
ありがとう、お供えするから、味見してください。お母さん。
以上です。
私の家も商売をしていましたので、赤飯で誕生日を祝ってもらったことは一度もなかったです。
かみさんと結婚してからは、誕生日にはいつも赤飯を炊いてくれます。
子どもたちの誕生日や、私の誕生日に。
今は私の誕生日にいつも赤飯を炊いてくれます。
ありがたいことです。
梓みちよ、田辺靖雄 いつもの小道で Itsumono Komichi De 1963年