がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

俳優の村野武範さん、がん治療告白 一度は風邪と診断

2017年10月12日 | Weblog

2017年09月23日 17時36分00秒

テーマ: がん一般


http://digital.asahi.com/articles/ASK9R4F69K9RTTHB00J.html?rm=351


朝日新聞デジタル 9/23(土) 16:01配信


「「飛び出せ! 青春」や「くいしん坊! 万才」などで知られる俳優の村野武範さん(72)が23日、佐賀市でのイベントで、がんにかかっていたと初めて告白した。「ステージ4で余命いくばくもない」と宣告されたが治療で回復したといい、村野さんは「あきらめなければ、いい道はある」と呼びかけた。


村野さんによると、異変は一昨年の5月。首の小豆大のしこりに気づき、診察をうけた。「風邪」と診断されたが、別の病院に行くと精密検査を勧められ、中咽頭(いんとう)がんとわかった。

 「余命いくばくもないと言われたが実感がわかず、『はあ、そうですか』という感じだった」。「このまま死ぬんだ」と思ったが、妻が調べてくれた陽子線治療を約1カ月半入院して受け、日常に復帰した。転移や再発はなく、現在定期検査だけ受けているという。


公表は「仕事先や周囲に心配をかけたくなかった」ため控えていたという。転移もなく体調も安定したことから「宣告だけであきらめてしまう人も多い。セカンドオピニオン、サードオピニオンと、あきらめず道を探す大切さを知ってほしい」と考え、この日初めて明かした。

 村野さんは佐賀市で講演した後、会場そばで開かれていた、がん征圧を願うウォークイベント「リレー・フォー・ライフ・ジャパン佐賀」にも飛び入り参加。がん患者・経験者らと歩いた。」


あきらめないで治療法を探すとか、セカンドオピニオン、サードオピニオンを受けるという点には賛成するが、「あきらめなければ、いい道はある」と言うのは言葉が足りないかなと思う。


正しくは「あきらめなければ、いい道がある場合もある」だと思う。


そうでないと、治らなかった人は、あきらめた人みたいに聞こえるから。


揚げ足取りみたいで申し訳ないけど、がん患者・経験者は、その辺りの言葉遣いに敏感だから、ご容赦頂きたい。


誰もが治療法が見つかるわけでもないし、陽子線治療の適応がある癌なのかもわからないし、適応はあったとしても費用負担が出来るかわからないし。


状況はそれぞれだから。

“ミサイル解散”で「丁寧な説明」を吹っ飛ばした安倍首相

2017年10月12日 | Weblog

2017年09月23日 17時16分13秒

テーマ: 政治・行政関連


https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e2%80%9c%e3%83%9f%e3%82%b5%e3%82%a4%e3%83%ab%e8%a7%a3%e6%95%a3%e2%80%9d%e3%81%a7%e3%80%8c%e4%b8%81%e5%af%a7%e3%81%aa%e8%aa%ac%e6%98%8e%e3%80%8d%e3%82%92%e5%90%b9%e3%81%a3%e9%a3%9b%e3%81%b0%e3%81%97%e3%81%9f%e5%ae%89%e5%80%8d%e9%a6%96%e7%9b%b8/ar-AAsmGyg?ocid=TSHDHP#page=2


文春オンライン 大山くまお




安倍晋三 首相

「いちいち答えることは控えたい。(訪米からの)帰国後に判断したい」

日本経済新聞 9月18日

 3年ぶりの衆院解散が行われる見通しとなった。28日に召集される臨時国会冒頭で解散を行い、10月10日公示、22日投開票という日程になると見られている。18日午後、渡米直前、記者団の質問に対し、「帰国後に判断したい」と言及を避けた安倍首相だが、15日午後の時点で自民党の二階俊博幹事長に「近く解散します」と明言していたという。

 メディアが一斉に解散について報じたのは、自民党からの膨大なリークがあったからだ。「今が絶好のタイミング」と記者に吹聴する議員もいた(『週刊文春』9月28日号)。首相は25日に記者会見を行い、解散に踏み切る理由を説明する方針。

 民進党など野党4党は6月22日に、憲法の規定に基づいて臨時国会召集を求める要求書を提出していたが、政府・与党はこれまで召集に応じてこなかった。ようやく召集したと思ったら、冒頭で解散だ。臨時国会の冒頭で、首相の所信表明演説が行われることも検討されていたが、野党が質疑を求めること、政府が「言いっぱなし」で解散することへの批判を避けるため、所信表明演説を断念した(毎日新聞 9月22日)。

 森友・加計問題のみならず、あらゆることに関して「そのつど真摯に説明責任を果たしていく」「丁寧に説明する努力を積み重ねていかなければならない」と安倍首相が語ったのは前の国会が閉会した折の記者会見だったが、その約束は反故にされた(NHK NEWS WEB 6月19日)。「結果本位の『仕事人内閣』であります」と発足した再々改造内閣もわずか3ヵ月足らずでお役御免である(日テレNEWS24 8月3日)。

 解散報道を受けて、政府と安倍首相に対して「大義なき解散」(日本経済新聞 9月18日)という批判が相次いだ。

 東京都の小池百合子知事は「何を目的になさるのか、大義ということについては分からない。国民に何を問い掛けていくのかが私には分かりにくい」と批判(時事ドットコムニュース 9月18日)。自民党の山本一太参院議員は「有権者の憤懣は(短期間のうちに)自民党に対する爆弾低気圧にまで発達する可能性がある。この事態を避けるためには、よほど説得力のある大義名分が必要だ」とブログに記している(9月19日)。河野太郎外相の父で元衆院議長の河野洋平氏は、「国民に一度も丁寧な説明もせず冒頭解散は理解できない」「議会制民主主義の本旨を踏まえて議会運営をしてほしい」と苦言を呈した(毎日新聞 9月20日)。

 愛知県の大村秀章知事は「北朝鮮問題が緊迫するなか、政治的空白を作っていいのか」「議論の場を作らず解散で選挙となれば、これまで言っていたことはうそだったということか。疑惑隠しと言われても仕方ない」と強い批判を行っている(朝日新聞 9月19日)。政治評論家の森田実氏は「これほど国会を軽視した首相は記憶になく、もはや国会無視だ」「支持率急落前の傲慢さが戻ってしまった」と批判(毎日新聞 9月20日)。政権に近いと言われる読売新聞も、社説で「首相は、衆院選の意義を丁寧に説明することが求められる」「政権の驕りと緩みが問題視されており、決して楽観はできまい」とわざわざ「丁寧な説明」という言葉を使って釘を刺した(9月19日)。「真摯」と「丁寧」をかなぐり捨てた、「驕りと緩み」の解散劇だということか。

 さまざまな批判に対して、菅義偉官房長官は「国会軽視との指摘は全く当たらない。安倍晋三首相は『帰国後に判断したい』と述べており、これに尽きる」(毎日新聞 9月20日)と“安定のガースー”ぶりを披露。ちなみに菅官房長官は今回の解散に強く反対していたという(『週刊文春』9月28日号)。

石破茂 自民党・元地方創生相

「こんな党利党略みたいな選挙はおかしいだろう。たとえ勝ったとしても国民が政権を信認したとは到底いえない」

『週刊文春』9月28日号

 これまでも安倍首相と政権に対して批判的な発言を繰り返してきた石破茂氏だが、今回の解散についても辛口だ。

9月21日、自身の派閥である「水月会」の会合で挨拶に立った石破氏は、「国民に何のための解散か、何を問うのか、明確にする必要がある」と述べた。石破氏は「(多くの国民が)『この解散の意義は何なのか』と思っている」と指摘した上で、「与党の一員として国民に答える責務がある」と強調した(共同通信47NEWS 9月21日)。それ以前に、派閥関係者に語っていたのが冒頭の言葉である。石破氏が用いた「党利党略」という言葉が今回の選挙の目的を端的に表している。

 安倍首相が解散に踏み切った最大の理由が「政権維持」である。森友・加計問題で自民党と政権の支持率は下がるばかりで、7月の東京都議選では歴史的大敗を喫した。窮地に陥った安倍政権だったが、そこへ蓮舫代表の辞任、山尾志桜里議員の離党など、民進党の“敵失”が重なった。自民党関係者は「民進党のスキャンダルに自民党議員は大ハシャギでした」と語っている(『週刊文春』9月28日号)。

 一方、小池百合子東京都知事の側近らが国政政党を立ち上げる準備も整ったとは言い難い。とある自民党幹部は日本経済新聞の取材に対して、「『小池新党』の態勢が整う前に選挙するという判断もある」と認めた。別の首相側近は「与党が弱っていても野党がもっと弱ければ選挙は勝てる。それが小選挙区制度の戦い方だ」と語ったという(9月18日)。剥き出しの「党利党略」選挙だ。ノンフィクション作家の保阪正康氏は「自民党に有利な状況だからといって解散するのは政党政治とはいえません。安倍首相による政治の私物化に他なりません」と切り捨てた(『週刊文春』9月28日号)。

 なお、「解散は首相の専権事項」とされていることについて、東海大の永山茂樹教授(憲法学)は、「いまなら勝てるだろう、いまなら多数派を維持できるだろうという理由での解散」は憲法学者の間で「認められない、と考えられている」としている(BuzzFeed NEWS 9月21日)。 

 ◆

安倍晋三 首相

「必要なのは対話ではない。圧力だ」

AFPBB NEWS 9月21日

 訪米中の安倍晋三首相は20日午後(日本時間21日未明)の国連総会で一般討論演説を行った。演説のほぼ全てを北朝鮮問題に費やす異例の内容で、「脅威はかつてなく重大だ。眼前に差し迫ったものだ」として、国連全加盟国に安全保障理事会の制裁決議を厳格に履行するよう求めた(産経ニュース 9月21日)。

 さらに「対話とは北朝鮮にとって、われわれを欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった」と批判。北朝鮮との対話は、核・弾道ミサイル計画の放棄が条件となるとした上で、「そのため必要なのは対話ではない。圧力だ」と述べた。安倍首相は米紙ニューヨーク・タイムズへの寄稿でも「北朝鮮に対話を呼び掛けても無駄骨に終わる」と強調していた(日本経済新聞 9月20日)。

対話での解決を図ろうとするロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、フランスのマクロン大統領、ドイツのメルケル首相らとの方針の違いをあらためて鮮明にした形だ。一方、トランプ米大統領とはしっかりと足並みを揃えている。このときの演説でも「全ての選択肢はテーブルの上にある」という米国の立場を「一貫して支持する」と改めて表明した(ブルームバーグ 9月21日)。

 国内では、北朝鮮問題が今回の総選挙で自民党にとって有利に働くという見方が強い。作家・個人投資家の山本一郎氏は今回の解散総選挙を「ミサイル解散」とネーミングしてみせた( 文春オンライン  9月21日)。福岡県行橋市の市会議員・小坪慎也氏は自らのブログに「安倍総理の指揮のもと、ミサイル解散でやつら(民進党・共産党)を滅ぼす!」と記している(9月17日)。

 安倍首相が解散を急いだ理由として、首相周辺は「今年末以降、北朝鮮情勢がさらに緊迫する可能性がある」ことを挙げる(日本経済新聞 9月20日)。安倍首相がトランプ米大統領との電話会談で、「北の脅威は来年の方がずっと強まる」との確証を得たという報道もある(『週刊新潮』9月28日号)。一方、デイリーNKジャパンの高英起編集長は、「安倍首相が早期の解散総選挙を決断したのは、米国から『12月以降、北朝鮮を攻撃する』と伝えられたからだ」と与党側がリークを行っていると批判している(Yahoo! 個人ニュース 9月21日)。

 防衛省関係者は「公示日の十月十日は朝鮮労働党の創建記念日ですが、選挙期間中に北朝鮮がミサイルを撃つ可能性は高い。その場合、政府は迎撃命令を出すかどうか判断を迫られる」と解散総選挙で生じる3週間の政治空白を不安視する(『週刊文春』9月28日号)。

 なお、菅義偉官房長官は19日の記者会見で「国民の生命、平和な暮らしを守るための対応策は常に万全だ」と危機管理は問題ないとの認識を示した(日本経済新聞 9月20日)。さすがのガースーとしか言いようがないが、本当にそんなに万全なの? 勝野哲電気事業連合会会長は「(原発にミサイルが撃ち込まれても)放射性物質が大量に放出されない」(テレ朝news 9月15日)と言っていたけど……。

ドナルド・トランプ 米大統領

「米国自身、もしくは米国の同盟国を守る必要に迫られた場合、北朝鮮を完全に破壊する以外の選択肢はなくなる」

ロイター 9月20日

 トランプ米大統領は19日、ニューヨークの国連本部で就任後初の一般討論演説を行った。トランプ氏は演説の中でイランの核問題、ベネズエラの民主主義をめぐる問題、イスラム強硬派などについても言及。キューバ政府も批判した。

 なかでも鋭い矛先を向けたのが北朝鮮だ。トランプ氏は、米国は北朝鮮を「完全に破壊」せざるを得なくなる可能性があると述べ、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長を「ロケットマン」と揶揄した。

 トランプ氏は北朝鮮をイラン、ベネズエラと並んで「ならず者国家」と呼び、「向こう見ずで下劣だ」と強く批判。さらに「日本の13歳の少女が自国の海岸から誘拐され、北朝鮮スパイに語学を教えることを強いられた」と拉致被害者の横田めぐみさんにも触れ、北朝鮮の体制が世界の脅威であることを強調した(朝日新聞デジタル 9月20日)。安倍首相は「ドナルドにお礼申し上げたい」とコメントしている(FNNニュース 9月22日)。

「核紛争の危険をおかす国と貿易を続けるだけでなく、武器供給や財政的な支援をする国があるのは許せない」と強調。国際社会に連携を訴えることで、北朝鮮への制裁の抜け穴をふさぎ、圧力を増す狙いがある。なお、21日には北朝鮮に対する制裁措置の強化を可能にする大統領令に署名した(ロイター 9月22日)。



金正恩 北朝鮮・朝鮮労働党委員長

「米国の老いぼれの狂人を必ず火で罰するであろう」

産経ニュース 9月22日

 トランプ米大統領の国連総会での演説を受けて、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は激烈な非難の声明を発表した。金正恩氏直々の声明が発表されるのは今回が初めて。言葉の内容も含めて、ギアが一段上がったようだ。


金氏はトランプ大統領の演説を「歴代最も暴悪な宣戦布告であり、史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に考慮する」と批判。「トランプが何を考えようが、それ以上の結果を目の当たりにすることになろう」「米国の老いぼれの狂人を必ず火で罰するであろう」などと痛罵した。トランプ氏の「完全破壊」というフレーズにも強く反応しており、「米国執権者は情勢緩和に役立つ説得力のある発言をするどころか、わが国家の『完全破壊』という歴代米国大統領いずれからも聞いたことのない前代未聞の無知蒙昧な狂った妄言を吹きまくった」と主張している。

 また、声明には「トランプが楽しむ修辞的な表現ではない」「トランプが我々のどの程度の反発まで予想し、怪異な言葉を使ったのか深く考えている」「トランプが考えていた、それ以上の結果をみることになる」と、トランプ氏の名前が再三登場する(朝日新聞デジタル 9月22日)。金氏がトランプ氏の挑発を強く意識しているのは明らかだ。

 産経は「米朝関係は首脳同士が名指しや蔑称で罵り合うという最悪の状況になった」と指摘している。

 国連のグテレス事務総長は各国首脳に対し、「無意識下での」戦争突入を避けるよう呼びかけているが(ロイター 9月22日)、核兵器を持つ者同士であるトランプ氏と金氏の世界を巻き込んだチキンレースはまだ続きそうだ。」


これでも自民党に投票するのかね、有権者は。

今日のユアタイム雑感

2017年10月12日 | Weblog

2017年09月19日 23時50分33秒

テーマ: 憲法・政治関連


野中尚人学習院大学教授が出演して、きわめて真っ当な発言をしていた。「強い思い」も感じた。


馬鹿な政治家、馬鹿なコメンテーター出すぐらいなら、野中教授の今日のユアタイムの発言を、解散・総選挙が終わるまでずっと再放送していればいい。


金があったら、野中教授の下でもう一度政治学を勉強し直したいね。


金だけじゃなく、能力も不足してるかな…(*´Д`)

「がんのママをささえ隊」女性医師 企画のきっかけは後輩の死

2017年10月12日 | Weblog

2017年09月18日 00時58分34秒

テーマ: がん一般


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170917-00010002-jisin-soci


9/17(日) 11:06配信 女性自身


「ウィッグがこんなに暑いなんて。帽子みたいにパッと取っちゃって、うちわであおぎたい~」

「でも幼稚園でいきなりウィッグをはずしたら、ほかのママたちが驚くだろうなぁ」

身ぶり手ぶりを交えながらの会話に、さざ波のような笑い声が重なる。スチール製の丸いすに座り「ウィッグ」を話題に盛り上がるのは、30代や40代の若さで乳がんを発症したママたちだ。全員、抗がん剤の副作用で脱毛を経験した。そんなママたちを穏やかに見つめるのは金城舞さん(38)。福岡県内の大学病院に勤務する乳腺外科医だ。

「今、女性の11人に1人が乳がんになるといわれています。そのなかで最近増えているのが、子育て中の若いママなんです」(金城さん・以下同)

金城さん自身も8歳の息子と5歳の娘を持つママ。だから、母親の患者ならではの不安はよくわかる。家事や育児をどうするか。病気のことを子どもにどう伝えたらいいんだろう。もし、自分に万が一のことがあったら――。

「ママたちの不安を安心に、涙を笑顔に変えたい」

昨年10月、金城さんはNPO法人「がんのママをささえ隊 ETERNAL BRIDGE」(以下・ささえ隊)を立ち上げた。

「スタッフは6人。私はプロジェクトリーダーとして、ホームページでの情報発信やイベントを企画します。とくに力を入れているのが月に1度の交流会。味噌づくりとか、お話会とか、家族ぐるみで参加してもらいます」

がんのママたちが互いに共感することで生まれる力。それが病気と向き合うために大切だと金城さんは言う。ささえ隊を始めるにあたり、金城さんの背中を押したのは、乳がんで闘病生活を送っていた小林麻央さん(享年34)の姿だった。麻央さんは命尽きる直前まで、ブログで子どもたちへのこまやかな愛情や家族への感謝をつづっていた。

「麻央さんを見て、やるなら今だ、そう思いました。なぜかって? 現実には麻央さんのようにできないママがたくさんいるからです」

金城さんは乳腺外科医として、子どもを残して亡くなっていく若いママをたくさん見てきた。不安や苦しみに追われて大切な時間を使い果たす人。現実逃避をしたまま最期を迎える人……。

「医療の問題もあるんです。乳がん治療は日進月歩。それはすばらしいことですが、ときに医者のほうが頑張りすぎて、患者さんの意思や家族と向き合う時間を優先できなくなったりして」

個室や特別な場所を除き、感染症予防の名目で幼い子どもの「病室への立入り禁止」を掲げる病院も多い。愛するわが子と会えず、ひとり病室で苦闘するママを見るたびに、やりきれない思いが募った。だからこそ、「麻央さんは、光だった」と言う。

「彼女と同じにはなれなくても、がんのママが、子どもへの愛情を伝えられるお手伝いをしたい。母と子の絆がつながり続けるための橋を架けたかったんです」

だが、大学病院でのポジションは医員という、いちばん下の職制。乳腺外科医としてもこれから修業を積んでいこうという若手医師だ。病院内で患者のための活動を立ち上げるには時間がかかる。既存の組織内で新しいチャレンジは難しい。ならば、別の立場を作ってボランティアでサポートすればいいと切り替えた。それが「ささえ隊」だ。

「こう見えて私、猪突猛進のところがあるんです」

涼やかな笑顔を引き締めて、キリリと言った。

金城さんは'79年5月、福岡市東区で2人きょうだいの長女として生まれた。その後、1年間の予備校生活を経て、九州大学医学部に進学。大学で、現在の夫と知り合った。医学部の同級生だった彼は、卒業後に北海道で研修医になるという。

「私も北海道に行く」

25歳になった'05年春、医師としてのスタートは、広大な北の大地だった。当初は家庭医を目指し、総合内科で研修を受けた金城さんだが、研修医3年目にして乳腺外科に異動し、手術や病棟担当として働いた。'08年、付き合ってきた彼と28歳で結婚、翌年、長男が生まれる。充実した日々の中、“修業”は転機を迎える。

「消化器外科医の夫が、名古屋のがんセンターに移ることになって。ここは乳腺外科も一流です。私はレジデント(初期研修を終えた後期研修医)というポジションで、所属できることになりました」

その職場では「子育て中のママさんレジデント」は、金城さんが第1号だった。名古屋での3年目。32歳の金城さんは、病理診断の部署に異動した。大好きな診察や手術はできない。そんななか、悲しい出来事が起きる。'12年2月、金城さんは大学時代の後輩の葬儀に参列した。乳がんのため、30歳で亡くなった彼女には、3歳と1歳の子どもがいた。

「夫は私の医学部時代の同期。家族ぐるみの付き合いでした。物心つく前に母親を亡くした、幼い子どもたちが心配でした。それで、『天国のお母さんからよ』と、クリスマスやバレンタインのプレゼントを贈っていたんです」

せめてママの代わりに。そんな思いで始めたが、忙しくてつい贈り忘れたりする。そもそも子どもたちが本当に欲しいものは、よその女性からの贈り物だろうか。もっと違う形で、ママの愛が子どもの中で生き続ける方法はないのか、そう思いを巡らせるようになった。

胸の奥で、少しずつ思いを熟成するうち月日が過ぎた。'13年、金城さんと夫は故郷の福岡県に戻ることを決めた。「仕事と育児の両立を応援する」というプロジェクトで、福岡県内の大学病院の求人募集があったのだ。無事に採用された金城さんは、再び乳腺外科医として一歩を踏み出す。そして、30歳で亡くなった後輩の死が、ささえ隊立ち上げのきっかけとなった。

「がんであるかどうかにかかわらず、すべてのママが助け合えるようにしたい。互いに思いを分かち合える、そんなママたちの共感力が広がってほしいんです」」

119番にためらい? 救急車の「適正利用」強調で 神戸

2017年10月12日 | Weblog

2017年08月18日 08時58分07秒

テーマ: 医療・介護・福祉制度


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170818-00000000-kobenext-l28


神戸新聞 NEXT 8/18(金) 6:50配信


「突然の激しい頭痛、救急車を呼ぶべきですか-。神戸市消防局がこんなアンケートを実施したところ、「呼ぶべきでない」「分からない」と答えた市民が3分の1を占めた。実はこの症状、くも膜下出血などの疑いがあり、「100%呼ぶべき状況」との想定に基づく設問だった。予想外の結果に、同局は「『救急車の適正利用』が強調されるあまり、119番のためらいにつながっている可能性がある」と懸念している。

【動画】「断らない救急医療」日本一の救命救急センターに患者が運び込まれる

 アンケートは、増加傾向にある救急車の出動件数の背景を調べようと、神戸市消防局が今年5月に実施。市内在住のネットモニター2230人が答えた。

 「倒れて意識がない人がいる」など具体的な17の状況を挙げ、救急車を呼ぶべきかどうか、呼んでもよい▽呼ぶべきではない▽分からない-の3択で質問。例えば「突然、激しい頭痛が起こった」場合は、「呼んでもよい」が65・5%にとどまり、「呼ぶべきではない」が11%、「分からない」が23・5%だった。

 激しい頭痛と同様に重症の恐れが強い「急にろれつが回らなくなった」と「胸が締め付けられるように痛む」でも、「呼んでもよい」は8割程度。症状により認識に差はあるものの、タクシー代わりに呼び出すなど救急車の不適切利用が社会問題化する中、119番に対し慎重になっている市民の姿が浮かび上がる。

 高齢化に伴い、同市内の救急出動は2016年、8万件を突破。全国では7年連続で過去最多を更新している。消防当局は「適正利用」を積極的に広報しているが、その際、不適切な通報事例が象徴的に取り上げられ、市民の意識に過度に影響しているとみられる。

 同局は「危険な変調などを感じたら、ためらわずに救急車を呼んでほしい」と強調。通報すべき状況を丁寧に説明するなど、誤解の解消に努めるという。

 救急車を呼ぶかどうか迷った際には、同市が運用する無料ウェブサービス「救急受診ガイド」を利用するようPR。今秋には、救急相談ダイヤル「#7119」を導入する予定という。

 総務省消防庁も救急車を呼ぶ必要があるかどうか緊急度を判定するスマートフォン用アプリ「Q助(きゅーすけ)」を無料提供している。(小川 晶)」


生活保護にも同様のことが言えるけど、メディアが極端な数%の事例を、あたかも全体のように喧伝して、制度を利用しづらくしている。


迷うような状況なら、すぐ呼べばいいんだよ。一般市民は医者じゃないんだから。病状の判断なんかできないって。


それじゃ医療リソースが追い付かないとか言うのがいるけど、そんなのは政治家・厚生労働省の怠慢・政策判断の誤りであって、株式に突っ込んでる積立金とか社会保障に回せって話だよ。

インテルCEOなどが大統領助言組織辞任、白人主義への対応巡り

2017年10月12日 | Weblog

2017年08月15日 21時02分32秒

テーマ: 憲法・政治関連


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170815-00000017-reut-n_ame


ロイター 8/15(火) 8:53配信


「14日 ロイター] - 米バージニア州シャーロッツビルで12日に白人至上主義団体と反対派が衝突し死傷者が出た事件で、トランプ大統領が当初極右派を明確に非難しなかったことを受け、製薬大手メルク<MRK.N>のケネス・フレイジャー最高経営責任者(CEO)が14日、大統領の経済助言組織である製造業評議会のメンバーを辞任した。同CEOはアフリカ系米国人。

【スライドショー】米シャーロッツビルの白人主義集会で衝突

このほか、米半導体大手インテルのブライアン・クルザニッチCEOやスポーツ衣料品大手アンダーアーマー<UAA.N>のケビン・プランクCEOも相次ぎ辞任を表明した。

インテルのクルザニッチCEOは「わが国の断絶した政治状況が重要課題に対する深刻な危害となっていることに関心を促すため評議会を辞任した」とブログに投稿した。

アンダーアーマー<UAA.N>のプランクCEOはツイッターで辞任を明らかにし、米製造業の改善に向けて引き続き意志を強くするとしながらも、同社が「政治ではなく、革新やスポーツに関与する」と述べた。プランク氏は先に、トランプ大統領を称賛したことで同社の広告塔を務めるスポーツ選手らから反発を受けていた。

フレイジャー氏は声明で「米国の指導者は、すべての人々は平等であるというわが国の理想に反する敵対感情、憎悪、白人至上主義の拒否を明確に示し、われわれの基本理念を尊重すべきだ」と表明。「メルクのCEOとして、また個人的な良識に基づき、私は不寛容と過激思想に反対する責任を感じている」と述べた。

これに対しトランプ大統領は、ツイッターで「フレイジャーCEOが大統領の製造業評議会を辞任した。CEOは、これからは『不当に高い薬価の引き下げ』に向けてもっと時間を割けるようになるだろう!」と揶揄(やゆ)した。

さらに大統領は、メルクについて「薬価つり上げのリーダーであり、同時に米国から仕事を海外へ移動させている。仕事を国内に戻し、薬価を下げるべきだ」とツイートした。

フレイジャーCEOは2016年の大統領選時、共和党・民主党双方に献金するなどの政治的貢献をしていたが、大統領候補には献金を行わなかった。

同CEOに対し、同じ製薬会社であるアルナイラム・ファーマシューティカルズ<ALNY.O>のジョン・マラガノーレCEOも賛同を表明。他業界でもヒューレット・パッカード・エンタープライズ(HPE)<HPE.N>のメグ・ホイットマンCEO、ゴールドマン・サックス<GS.N>のロイド・ブランクファインCEOらも支持を宣言した。

国内最大の労組、米労働総同盟産別会議(AFL─CIO)は声明で「当会議は、シャーロッツビルで発生した国内過激派による敵対感情に基づく行動を明確に非難するものであり、大統領にも同様の対応を求める」と述べた。」


こんな下衆な大統領に、真っ先に金のゴルフクラブ持って馳せ参じたのが我が国の総理大臣というのが情けないね。


個人的なことを言うと、Vodafone.K.K.で働いていたときに、Vodafone.K.K.がソフトバンクに買収されて、孫正義の下では働きたくないと思って転職したんだけど、トランプと孫正義が抱き合ってる姿を見た時、「自分の判断は間違ってなかったな」と改めて確認したね。


こんなゴミみたいな大統領と、それと繋がりを持って金儲けしようという銭ゲバと。


貧しくても、自由・平等・寛容を大切に思って生きていきたいね。実践はなかなか難しいけど。

トルーマンは何故原爆投下を決断したか?

2017年10月12日 | Weblog

2017年08月06日 18時38分54秒

テーマ: 戦争・平和


Ⅰ 本土侵攻に伴う米軍犠牲の本当の意味


http://www.inaco.co.jp/isaac/back/005/005.htm


平成18年1月2日 筆者 哲野イサク
1948年(昭和23年)広島生まれ。
早稲田大学第一商学部中退。
アメリカでジャーナリストとして在米日本企業を取材、

レポート。
その後、テレビ朝日と契約して、「三浦事件」の報道に

あたる。
1986年、ジャーナリストをやめ帰国。
広島で父親の経営する会社を引き継ぐ。
2005年、その会社が倒産。その後再び

ジャーナリスト復帰を目指す。
なお哲野イサクはペンネーム。本名伊奈道明。






 2005年の暮、ある目的があって広島平和記念

資料館を訪ねた。

といっても、広島市内の西区にある私の事務所から

歩いて20分ほどの距離だ。もっと頻繁に訪れていい

はずだが、そうもいかない。

ニューヨークに通算10年くらい住んでいて、

エンパイア・ステートビルやツインタワーには仕事

で行ったが、自由の女神はついに行かずじまいだった。

手近にあるとそんなものだ。


 確か資料館の回りは鳩でいっぱいだった筈だが、

影も形もない。連れのものに聞いて見ると、糞害で

もう餌をやらないことにし、鳩が寄りつかなくなった

のだそうだ。頼み込むようにして鳩にどいてもらい

車を動かしたのを思い出す。いいじゃないか糞害くらい、

と思ってしまう。


 入場料は大人50円。月曜日の午後だというのに

結構人が入っている。外国人の人たちがざっと2-3割。

詰まらなさそうに見ている女の子も居たが、うっすら

涙を浮かべている外国人のひとも2-3人居る。

ここの展示はやはり何度来ても衝撃的だ。以前はなかった

と思うのだが、2階の展示で、原爆投下直後の、なんと

言うんだろうか、実物模型展示があった。作り物だ。

いただけない。どんなに精巧に作ってみても、所詮

作り物だ。その一角だけがお化け屋敷のようで、逆に

原爆の恐ろしさを矮小化している。


 目的というのは、資料館が原爆投下のいきさつをどう

説明しているか確かめると云うことだった。2005年の

ノーベル平和賞の授賞式で述べられている通り、投下後

60年もたっているのに核兵器使用の危機は、減ずる

ばかりかかえって高まっている。一つは核拡散の要素が

大きいが、やはりハイパー大国アメリカが核兵器の保有

と開発をやめようとしないことに根本原因がある。


 核兵器に関して云えば、アメリカの支配層とアメリカ

一般民衆とは、はっきり分けて考えなければならない。

何故、いかなるプロセスで日本に、そしてその結果とし

て広島と長崎に原爆が投下されたのかを明確にし、

その意志決定のプロセスを情報として人類の共有財産
にすることが、核兵器使用の歯止めの一つになる
と思うからだ。
「ノーモアヒロシマ」ではなくて、「ホワイ?
ヒロシマ?」だ。
資料館の展示は、驚くほど簡単にこの点を済ませ

ている。この展示があるのは東館の1階、玄関から

入って突き当たりの左側の小区画でささやかに

知ることができる。要約すれば

1.戦争終結にあたって米軍はその被害を最小限

に止めようとした。
2.すでに米ソ冷戦がはじまっており、戦後の

交渉を有利にしようと米軍が原爆投下を急いだ。

3.原爆開発計画に20億ドルの費用を使っており、

何らかの形で成果を見せなければ批判が高まる

恐れがあった。

ということだ。そして何故広島と長崎が選定されたか

という点に力点が置かれて説明してある。

(参考に平和記念資料館のURLは、

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/ )





 このテーマでの資料・文献はおびただしい数に上る。

しかしその論点は、多くが「原爆投下は正しかったか

、誤っていたか」「原爆投下はしなくても良かったか、

必然だったか」「原爆投下は防げたか、防げなかったか」

という点に集中しており、それぞれの論者が自分にとって

都合のいい資料を切り出して議論が行われている。

こういう風に問題を立てると、

それぞれのテーマに「イエス」とも「ノー」とも答えることが

できる。

代表的な例が次のようなホームページだろう。
http://www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion3(J)/history/nagasaki.htm

それでなければ、原爆投下は歴史的事実なのだから

いいとも悪いともいってみても始まらない、大切なことは

これからその使用をどう未然に防ぐか、と言う主張である。

「ノーモアヒロシマ」に込められたイデオロギーも限りなく

この主張に近い。これを突き詰めると次のようなホーム

ページになる。
http://www.csi.ad.jp/ABOMB/index-j.html 
このホームページでプロデューサーの大場允という人は、

次ぎのように云っている。
 「原爆の被害者であることを強調して相手を非難したり、

自己満足のために謝罪を求めることは、歴史の観点から

見れば意味のないことです。

問題は ”過去から何を学ぶか?”です。 歴史は過去を

学ぶ教室です。

そこで学ぶことは、教科書の中の単なる名前や言葉、

数ではありません。

生き方を学ぶのです。私たちは他の人たちとも過去に

関する知識を共有する必要があります。」
 まさしく「過去から何を学ぶか」なのだが、大場氏が

ついに触れようとしない一点、「誰が、どのようなプロセスで、

原爆投下を決断したか?」こそが学ぶべきことなのだ。

 なぜ日本に原爆投下をしたのか、この問題は決断した

当の本人に聞いてみるのが一番手っ取り早い。大統領

トルーマンはすでになくなっているけれど、膨大な文書を

残している。しかもトルーマン政権の意志決定の過程から

議論の詳細に至るまでの公式記録を、私たちは現在入手


できる。しかも大統領トルーマンという人は、アメリカの

農民出身者らしく几帳面な人柄で、「トルーマン日記」を

大量に残している。ハリー・S・トルーマンは何の拍子か

ルーズベルト大統領の副大統領に指名され、ルーズベルト

大統領の急死によって、副大統領職わずか82日間で、


これまた何の拍子か大統領になってしまったという人で

ある。大学卒業ではない最後の大統領としても有名である。

比較的冷静な記述が次の

ホームページにあるので興味のある方は参照されたい。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3 )





 トルーマン大統領に関しては、ミズーリ州インディ

ペンデント市にあるトルーマン大統領博物館(Truman

Presidential Museum and Library)に、トルーマン

日記を含めて膨大な資料が保存されている。これら

文書の内容は次のURLで簡単に入手することができる。
http://www.trumanlibrary.org/

 膨大である。問題は私のテーマを追求するにあたって、

どの文書を出発点とするかだ。色々検討した結果(という

よりも直観的に)

Robert H. Ferrell という人の「トルーマンと原爆、文書から見た歴史」

を出発点とすることにした。この論文はトルーマン大統領

博物館のホームページに掲げられており、いわばトルーマン

の代弁を行っていると見たからだ。ここでざっとおさらいを

しておけば、その後に出てくる生資料(原爆投下までに

開かれたおびただしい原爆投下に関する臨時委員会の

内容やトルーマン日記や手紙)の内容も理解しやすいと

思ったからだ。ファレル(と発音するのだと思うが)という人は、

インディアナ大学の名誉教授で歴史学の権威だそうだ。

トルーマンの研究家としても知られているようだ。
 「トルーマンと原爆、文書から見た歴史」は21章からなって

おり、ファレルがコメントを加えつつ、原爆投下に至る過程を

まとめている。無料で手に入る日本語の翻訳がどこかに

ないかと思って探したが、どこにもない。

そこで無謀にも自分で訳してみることにした。私は英語の

文章を読むとき、どうしても日本語に訳さないと理解した


感じがしない。英語の文章を英語のまま理解できないと

いってもいい。

恐らく私が日本語でものを考えているからだろう。

やむを得ない。

今回はもっとも重要な序章のみの全訳を別途に掲載して

おいた。興味のある方は参照されたい。
(序章:トルーマンと原爆、文書から見た歴史 全訳)





 ファレルは、日本に原爆を投下するに際して、大統領

トルーマンの脳裏には2つの理由があった筈だと云って

いる。一つは日本軍の野蛮性・非人道性。ここで3つの

事件を上げている。
 1.南京大虐殺
 2.パールハーバーの奇襲
 3.バターン死の行進
 こうした日本軍の獣性・非人道性は、ナチがおこなった

ホロコーストにも匹敵すると、ファレルは述べ、トルーマン

の心中を代弁している。 「こうした獣にも等しい日本軍は

懲らしめてやらねばならない」とする感情がトルーマンに

あったかなかったかは想像の域を出ないが、少なくとも、

ファレルが理由の第一番目に「日本軍の獣性」を上げて

いることは注目に値する。これが日本に対する原爆投下の

直接の理由でないにしろ、重要な下地だったことはまず

間違いない。 (私も20代前半の頃、堀田善衛の「時間」を

読んで衝撃を受け、つくづく日本人であることやめたいと

思った記憶がある)

 云うまでもなくファレルは、歴史学者としてよりトルーマン

の代弁者としてこの論文を書いていることは念頭に置いて

おかねばならない。

 二つ目の理由が日本本土作戦に伴うコスト(ここでは

ほとんど人的犠牲の意味で使われている)のことだった

という。やや弁解気味に次のように云っている。
 「表面的に見たり、その部分だけ取り出して見れば、

当時の日本本土侵攻(実際には起こらなかったのだが)に

伴うコストを計算することは、現実問題としてできないことで

あり、従って当てずっぽうにならざるを得ないとも見える。

本土侵攻はどうしても理論上の問題ならざるを得ない。

従って、夥しい数の民間人、女性、子どもを含む10万人

以上の日本人の生命を危険にさらす(これは実際に起こった

ことだが)というトルーマン大統領とそのアドバイザーたちの

究極の決定はなんら根拠を持たないとも見える。

しかし、投下に至る考慮の過程は理論ではなく、日本本土

侵攻は極めて犠牲が大きいと考える根拠があったのだ。

今振り返ってみて、トルーマンや彼を補佐した人たちが

感情的な理由や、それは日本の野蛮性のことだが、米軍が

直面するだろう犠牲を量ることなしに、決定的な決断を

下したというのは不適切である。」

 これは巷間伝えられる、「日本に原爆を落とすことによって、

戦争終結が早められ、多くの米軍将兵の命を救った」という

極めて短絡した原爆擁護論とはややニュアンスが違って

相当屈折している。

 で、肝心の「米軍コスト」だが、これにはいろんな試算が

あったようだ。

1945年6月中旬、陸海合同戦争計画委員会が提出した

数字は、九州侵攻と本土侵攻による米軍将兵の犠牲(死者)を

4万6000人と見積もり、6月18日のホワイトハウスにおける

会議に提出した。ところが参謀総長のジョージ・C・マーシャル

(戦後ヨーロッパ復興計画のマーシャルプランで有名。その後

ノーベル平和賞受賞)はこの数字を全く無視し、諜報作戦の

分析から割り出した3万1000人という数字を上げたようだ。

ファレルはこのマーシャルの態度には腹を据えかねたと見えて、

「マーシャルがこの数字を出したときに、当時ルソン島の

総司令官山下奉文が米軍侵攻の最初の1ヶ月間に前線撤退

を命じていたことを考慮にいれてないか、またはほとんど考慮

を払っていないかのどちらかである。」とこき下ろしている。

(ファレルはトルーマン大統領の代弁者であることをお忘れなく)

 同じ会議ではトルーマン大統領の個人的補佐官であった

ウイリアム・D・レーヒー海軍大将が遠慮がちに「沖縄戦の死者

の5倍に達するだろう」と述べたようだ。沖縄戦では1万3000人

の死者が出ているから、レーヒーによれば6万5000人の死者

ということになる。 (なお、ウイリアム・D・レーヒーはWilliam D.

Leahyでリーヒーと表記してある文献もあったが、研究社 新英和

大辞典 第6版の表記に従った。また肩書きはadmiralなので、

提督と表記してある文献もあったがこれは間違いであろう。


イギリス海軍には称号としてadmiralがあり、これは提督とすべき

であるが、米国海軍のadmiralは階級であり、海軍大将とすべき

であろう。
次のURLを参照のこと。
http://www.ecsu.edu/personal/faculty/pocock/rank.htm )





 要するになんら科学的な根拠をもった数字が出たわけはなく、

どの数字を取ってみてもスペキュレーションである。
米軍の犠牲を推し量るのに際して、こうした個々の数字は大して

重要ではなく、もっと重要なのはファレルの次の記述である。
 「1945年6月の半ばまでに、米司令部とトルーマン政権の高官

たちに去来した大きな疑問は果たして日本政府を説得し降伏させる

ことができるかどうかと言うことだった。当時日本軍は(明白に破滅

的状況だったとはいえ)降伏するつもりはなかった。もし決定が

非軍部のリーダーたちや日本の民衆の手によってなされるとすれば、

戦争は恐らく早急に終結していただろう。

しかし不幸なことに決定権は彼らになかった。決定権は軍部に、

特に軍部首脳にあったのである。(このときまでに日本海軍は

事実上消滅状態にあった。艦船のほとんど全部が航行不能に

陥っているかまたは撃沈されていた。)」

 この記述をした時、ファレルの念頭にあったのは、すなわち

大統領トルーマンの念頭にあったのは、硫黄島と沖縄本島の激戦

である。
硫黄島では、日本軍守備兵力の4倍の兵力で侵攻したのに海兵隊を
中心に6200名の死者が出た。沖縄本島では守備兵力の2.5倍の
兵力臨んだにもかかわらず1万3000人の戦死者を出した。数字

より強烈に印象づけられたのは日本軍の徹底抗戦ぶりである。

沖縄本島では、民間人まで自決した。(実際にはさせられたのだが、

当時米首脳部にその認識があったかどうか)

 そして極めつけはカミカゼである。ファレルはこう記述している。
「この旧式航空機はほとんどの場合基地に帰投する能力を持たず、
そのパイロットは自らを犠牲にした。航空機そのものが爆弾であった。
もっとも高価についた単独カミカゼ攻撃は、(米海軍戦艦フランクリン

であったが)1000名の死者を出し、艦は炎に包まれ大破し、戦闘

能力を失った。」

 また当時日本には5000機のカミカゼになりうる航空機を日本軍は

保有しており、これが九州侵攻で使われたら米軍艦船・補給船の

損害、人的損害は計り知れない、ともファレルは書いている。
 (この5000機という数字の根拠は今のところ全く不明である)

 こうしてみてくると、ファレルすなわちトルーマンの脳裏にあった

2つの理由とは実は1つの理由であることが分かる。すなわち理性を

超えた旧日本軍とその指導者たちの存在である。まったく予測しがたい

ほど非理性的で非人道的な日本軍部が、日本の進路の決定権を

握っている以上、日本本土侵攻は相当大きな犠牲が出る、と腹を

括ったのである。

これは数字を超越した問題だ。





 実際当時日本は「国体護持(これはとりもなおさず天皇制の維持

ということだが)さえできれば全面降伏してもいい」と考えていた。

戦争遂行に自信をなくした小磯内閣が総辞職し、当時70歳をはるか

に超えた鈴木貫太郎が内閣を組織していた頃である。当時の日本の

状況がどうであれ、トルーマン政権は以上のように考えていたという

ことである。これを念頭に次の記述を読んで頂きたい。

「原爆投下容認論への反駁―なぜ原爆は投下されたのか(大阪国際

平和センターの展示パネル)
 「米大統領トルーマンは、『ヒロシマ・ナガサキヘの原爆投下は、

本土決戦で失われる百万人以上の米軍の犠牲を回避し、戦争を早期

に終わらせるためであった』と述べた。しかしこの主張は、米軍戦略

爆撃調査団報告では否定されている。
 また、ブラケットという学者は、『原爆投下は第二次世界大戦の最後

の軍事行動というよりも、ソ連との冷たい外交戦の最初の大作戦の

一つであった』と述べている。さらに一九九三年八月にはアルペロ

ビッツという著述家が、公開された米政府公文書をもとに『原爆が日本

降伏促進』という見解をきっぱりと否定している。
 こうみてくるとヒロシマ・ナガサキは、アメリカの戦後冷戦政策の

デモンストレーションの犠牲にされた、といえるのではないだろうか。」
(※ここで紹介している米軍戦略爆撃調査団報告の結論は以下に掲載。
日本会議のホームページより。
http://www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion3(J)/history/nagasaki.htm )


 問題は原爆投下の必要性があったかなかったではなく、トルーマン

政権が、狂信的な日本軍部が日本の進路の決定権を握っている以上、

日本本土侵攻は相当大きな犠牲が出る、と見ていたことだ。数字の

問題ではなくこの見解が、日本に対する原爆投下決断の大きな伏線に

なっていたことは疑いようがない。

 1通の興味深い手紙がある。1945年8月9日の日付の手紙で、

ジョージア州選出のリチャード・D・ラッセルという上院議員から来た

電報に対するトルーマンの返事だ。ラッセル上院議員の電報は8月7日

付けとなっているから、時差を考えても広島への原爆投下後に打った

電報に違いない。この電報でラッセル上院議員は、トルーマンに対日強硬

路線を取れ、日本が許してくれと云うまで原爆を落としまくれ、と言っている。

これに対するトルーマンの返事だ。
(原文 http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/bomb/large/documents/fulltext.php?fulltextid=22 )
短い手紙なので全文を訳しておこう。
(なおラッセル上院議員の電報も違う意味で興味深いので全文を掲げておく。ラッセル上院議員のトルーマン大統領に宛てた電報―全訳)


                           1945年8月9日
  親愛なるディック:(ディックはリチャードの愛称)
 
 8月9日付けのあなたの電報を興味深く拝見しました。
戦争において、日本が恐ろしく冷酷で、反文明的な国であることは私も承知しています。しかし、日本が野蛮であるから私たちも同様に振る舞うべきだという考え方には私は与しません。

私自身のことと言えば、その国の指導者たちが頑迷(pigheadedness-豚頭という言葉を使っている)であるゆえに、人口まるごと消し去ってしまわねばならないことを後悔しています。これはあなただからお伝えするのですが、私はそれが(原爆のこと)、絶対に必要という状況でなければ、使用するつもりはありません。私の意見では、ソ連が参戦すれば日本はすぐに降伏するでしょう。(降伏はfold up という口語を使っている)

私の目的は、できるだけ多くのアメリカ人の命を救うという点にありますが、日本の子どもや女性に対して人間的な感情も同時にまた持ち合わせるものであります。

敬具
ジョージア州・ワインダー リチャード・B・ラッセル足下へ


 

 この手紙の中でトルーマンは彼なりの必要性に迫られたとはいえ、

明確に「後悔-regret」という言葉を使っている。
この手紙の直後に2発目の原爆が長崎に落とされるわけだが、

トルーマンはこの時点で「後悔」がまだ足りなかった・・・。


やまゆり園園長「あなたの笑顔思い出す」 追悼の辞全文

2017年10月12日 | Weblog

2017年07月25日 21時09分01秒

テーマ: 障害者関連


http://www.asahi.com/articles/ASK7S4T26K7SULOB020.html


朝日新聞デジタル 2017年7月24日22時40分


「24日にあった津久井やまゆり園の追悼式で、入倉かおる園長は「園の地に降り立って身を置くと、あなたの息吹を感じる。風に吹かれると、あなたのしぐさがよみがえる。朝の日差しがまぶしい時、あなたの笑顔を思い出す」と涙ながらに追悼の辞を述べた。全文は以下の通り。


毎年めでていた津久井やまゆり園の桜は今年も見事に咲きました。でも私は、今年の桜をゆっくり見上げることはできませんでした。引っ越しで忙しかったからではありません。あなたと一緒に毎年見上げていた、一緒に花見をしていたことを思い出してつらくて見上げることができなかったのです。

 あの日がなければ、今年の桜も一緒に見上げることができたに違いありません。桜だけではなく、プールで夏を満喫することも、食欲の秋を謳歌(おうか)することも、音楽に合わせて歌を口ずさむことも、あの日がなければ、そんな穏やかな日が繰り広げられていたに違いないのです。

 津久井やまゆり園の地に降り立って身を置くと、あなたの息吹を感じます。風に吹かれると、あなたのしぐさがよみがえります。朝の日差しがまぶしい時、あなたの笑顔を思い出します。色とりどりのあじさいを眺めると、あなたの服と重なります。

 突然命を奪われた無念さ、残されたご家族のみなさまの悲しみ、苦しみには、到底およぶものではありません。それでもあの日まで、それまで一緒に過ごしていた仲間の1人として、言葉にならない悲しみ、哀悼の思いを胸に、この1年過ごしてきました。

 あの日守ってあげることができなかったことの申し訳ない思いで、時間が止まったような1年でした。本当に申し訳ありませんでした。気が付けば夏を迎えていたのでした。

 この1年の間、高い空から見下ろして、私たちを見ていてくれたのでしょうか。悲しみに暮れるご家族を、見守っていてくれたのでしょうか。これから私たちはどうしていけばいいのでしょうか。何を目指してやっていけばいいのでしょうか。

 高い空からどうかしかって下さい。立ち止まるなと。高い空からどうか教えて下さい。一緒にご飯をたべた仲間がいると。同じ車でドライブをした仲間が待っていると。きっと1年が過ぎても、この悲しみは続くでしょう。それでも私たちは今、目の前にいるお一人おひとりに寄り添って、あの日の前まで繰り広げられていた暮らしを取り戻すために、誠心誠意尽くしていきます。

 どうか高い空から見ていて下さい。津久井やまゆり園があの地に戻って、息吹を吹き返すまで、今それぞれの暮らしの中で、懸命に生活をしている仲間たちを、職員を。

 そのことを伝えるために、今日はここにやってきました。

 高い空に行ってしまった方々の、ご冥福をお祈りするとともに、ご家族のみなさまのお気持ちが、1日でも早く癒えることを願っております。

 これで津久井やまゆり園園長、追悼の言葉とさせていただきます。」