2017年10月22日 23時28分01秒
テーマ: 憲法・政治関連
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20150704-00047228/
2015/7/4(土) 18:34 江川紹子 ジャーナリスト
「「立憲主義」という言葉を目や耳にすることが多くなった。
衆議院憲法審査会に与党の推薦で参考人となった長谷部恭男・早稲田大学教授が、集団的自衛権の行使容認について「違憲である」と批判し、その後の講演などでも今回の法改正について「立憲主義に反する」と断じていることが、大きく報じられた。
学校の教室でも、最近は「立憲主義」が教えられるようになった。高校や中学の社会科公民で使われる教科書の多くが、2012年3月検定に合格し、昨年に使われ始めた最新版から、「立憲主義」を取り上げている。
たとえば、高校の「現代社会」でもっともシェアが高い東京書籍の教科書。最新版では、「個人の尊重と法の支配」というタイトルの章を新たに設け、そこで「立憲主義」について、次のように説明している。
〈「法の支配」と密接に関連するものとして立憲主義という考え方がある。立憲主義とは、政治はあらかじめ定められた憲法の枠のなかで行わなければならないというものである。さまざまな法のなかでも憲法は、ほかの法がつくられる際の原則や手続きなどを定める点で、法のなかの法という性格をもつ(最高法規性)。国家権力は憲法によって権限をさずけられ、国家権力の行使は憲法により制限される。憲法は、個人の尊重が目的とされ、人間らしい生活を保障するものであり、政治権力がそうした目的に違反することは、憲法によって禁止される。そして、国民の権利が国家によって侵害された場合には、司法などによって法的な救済がなされることになる〉
同社社会科編集部によると、2000年代に入って憲法改正論議が盛んになり、2007年に憲法改正のための国民投票法が成立したため、「憲法とは何かを、生徒に考えてもらう機会が必要」との声が、現場の高校教師たちから寄せられた。文科省の学習指導要領でも、「個人の尊重と法の支配」が見出しに立てられるようになった。さらに、司法制度改革で裁判員裁判が導入されたことに伴い、法教育の重視を法務省も後押しする流れがあったことも影響している、という。指導要領にも、「法に関する基本的な見方や考え方を身に付けさせるとともに裁判員制度についても扱う」という一文が入った。
今、もっとも旬なワード「立憲主義」について、早くからその大切さを説いてきた憲法学の泰斗、樋口陽一・東京大学名誉教授に話を聞いた。
樋口陽一・東大名誉教授に聞く
――先日の立憲デモクラシーの会のシンポジウムで講演された佐藤幸治先生(京都大学名誉教授)は、以前教科書を執筆された時に「立憲主義」について書こうとしたら、現場の先生に反対されて載せられなかった、とおっしゃっていましたね。今は、まったく逆の状況が起きていて、ほとんどの教科書で載るようになりました。
「ほお。それはいい話を聞きました。戦後は国民主権になって、民主主義をどんどん進めていく、という路線でしたからね。天皇が主権者とされていた時代ならともかく、今さら『立憲』は邪魔だという雰囲気がありました。民主主義がどんどん推し進められている時には、国民が自ら作り出した権力でも制限するという立憲主義の主張は、なかなか出番がなかった」
「民主」と「立憲」のものさし
――民主主義と立憲主義の関係を教えて下さい。
「民主主義(Democracy)はギリシャ語が語源で、『人民の支配』『人民の統治』ですから、その時々の人民が『これで行こう』という方向に進める。それを邪魔するものは、排除する。1946年の日本国民が選んだ憲法が、2015年の日本をも縛っているというのは、憲法そのものが純粋なデモクラシーには反する、とも言えるわけです。一方、憲法は立憲主義のためにあるのであって、あえて誤解を恐れずに極論を言えば、民主主義を進めるためにあるわけではない。民主主義を一生懸命やるのは政党であり、国民であり、労働組合だったりするわけですが、「それは結構だけれど、それにも限界があるんだよ」ということを示すのが憲法学の立場。このように、『民主』と『立憲』は、純粋論理的に考えると緊張関係にあって、決して予定調和ではないのです。
ここに一本の物差しがあると考えてみて下さい。その一方の端が純粋なデモクラシー、もう一方の端が徹底した立憲主義です。それぞれの国で、国民が知恵を出し合い、歴史や社会的な条件を踏まえて、この物差しのどこかに均衡点を見つけるわけです。
日本国憲法も、ラディカルな立憲主義はとっておらず、この憲法を作ったからには永久に不変という硬直したものでもない。96条で改正手続きを定め、国会の両院で3分の2の議員が賛同するまで議論を尽くしてから国民に提起する、そして国民投票で国民が決めたらそれに従う、という妥協点を持っています」
――『立憲主義』はどこから出てきた考え方ですか。
「ドイツです。元々は、民主主義がスムーズに展開しなかったドイツで、議会主義化への対抗概念として出てきました。ドイツは普仏戦争に勝って、ようやく1871年に統一します。憲法が作られ、議会も作られる。歴史の流れでは、王権はだんだん弱くなり、議会が伸びてくるわけですが、ドイツの場合は、イギリスやフランスのように議会が中心になるというところまでは、ついに行かなかった。けれど、もはや君主の絶対的な支配ではない。どちらも、決定的に相手を圧倒できないでいる時に使われたのが『立憲主義』です。君主といえども勝手なことはできず、その権力は制限される。けれどもイギリスやフランスのように議会を圧倒的な優位にも立たせない。つまりは、権力の相互抑制です。この時期のイギリスやフランスは『民主』で、ドイツは『立憲主義』。明治の日本は、そのドイツにならったわけです。
ドイツはその後、ワイマール憲法で議会中心主義になり、そこからナチス政権が生まれて失敗した。それで、戦後のドイツは強力な憲法裁判所を作るわけです。やはり議会も手放しではよろしくない、ということで」
権利保障と権力分立があってこそ
――そもそも憲法とは何か、ということなのですが……。
「たいていの教科書に書いてありますが、『憲法』という言葉には3通りの意味があります。
(1)実質的意味の憲法、つまり人間集団の基本的な取り決めとしての憲法
(2)形式的意味の憲法、つまり、憲法と銘打った法典としての憲法
(3)立憲的意味の憲法。これには権利保障と権力分立という中身が必要で、それがあって初めて、立憲的意味の憲法と言えます。
明治憲法を作る時に、首相から枢密院議長に転じていた伊藤博文と文部大臣の森有礼の間で、こんな論争がありました。森は「臣民の権利」に関する条文はいらない、と主張した。それに対して、伊藤はこんな反論をしています。
『そもそも憲法を創設するの精神は、第一に君権を制限し、第二に臣民の権利を保護するにあり。ゆえに、もし憲法において、臣民の権利を列記せず、ただ責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし』
これは、現在でも立憲的意味の憲法についての模範答案ですよね。現在では、制限する対象は『君権』ではありませんが。これに対して、森は再反撃します。
『臣民の財産及び言論の自由等は、人民の天然所持するところのものにして……憲法においてこれらの権利初めて生まれたるもののごとく唱うることは不可なるがごとし』
こちらは、自然権論者です。こうした権利は生来所持するものなので、憲法に書いてしまうと、条文を削れば権利を取り上げることになってしまうから、むしろ書いてはいけない、というわけですね。
明治憲法での権利保障は、あくまで『臣民の権利』としてであって、『臣民たる義務に背かざる限り』であり『法律の範囲内』でした。権力分立も、帝国議会は天皇の立法権限を「協賛」する役割で、様々な面で制約を受けていました。それでも、今から120年前の日本で、枢密院議長と文部大臣がこういう議論をしていたんです。それに比べると、今の政権与党の憲法論議のなんとお粗末なことか……」
――民主主義を象徴する機関が議会だとすると、権力を縛る立憲主義の役割を果たすのは裁判所、ということになりますか?
「アメリカのように行政府と議会が別々に選ばれている国は、権力分立は見えやすいですよね。一方、日本のような議院内閣制では、『政権与党(議会の多数派)+行政府』と『議会の少数派』の権力分立なんですね。そして、それとは別枠で裁判所がある。
それから、裁判所ではありませんが、内閣法制局という役所があります。これは、企業法務を考えると分かりやすい。法務部は、会社の行政部の一員ではあるけれど、行政部の意向に従った法的判断ばかりしていると、会社を潰すようなとんでもない損害賠償をしなければならない羽目になったりもする。なので、まともな会社であれば、その独立性は尊重します。
日本の内閣法制局は、明治以来の由緒ある役所で、もともとはフランスのコンセイユ・デタ(国務院)をモデルにしたものです。コンセイユ・デタは非常に権威のある機関で、官僚養成学校である国立行政学院(ENA)の一番成績のいい人がいく役所です。国を相手取った行政訴訟の最高裁判所の役割と、政府の諮問に応じて法的な意見を述べる機能をもっています。日本の内閣法制局は、後者の機能だけで、しかも初めからそこに行くわけではなく、他の行政官庁に行って、法律家として優れていると目された人が行く。それでも、長官人事はその組織の中から出すことになっていて、それなりの独立性を保っていました。そこに初めて手を突っ込んだのが安倍政権。こういうことをやると、次の首相が出てきたら、自分の考えに沿った人を長官に据えて、また憲法解釈が変わるとなると、法の安定性が失われますね。そういう道を作ってしまった」
――今、政府が提出した安全保障法案に対して、多くの憲法学者から「憲法違反」のダメだしが出ています。一方、政府は安全保障環境が変わったからと、この法案の必要性を強調しています。
「確かに、これが必要と考えるかどうかを議論するために、議会があり、ほかにもいろんな場があるわけです。ただ、必要だと思うことを現行法の枠の中でやれるように工夫するのが政治の仕事です。どうにもこうにも現行法のもとでは、自分が必要だと思うことができそうにもないという時には、現行法を変えるための努力をすべき。今回の法案で言えば、憲法には改正の手続きもあるのだから、どうしても必要なら、先に、きちんと憲法改正を提起すべきなのです。
それをやらずに、今回のような形をとっていることについて、『今の政権がやっていることは革命だ』という学者もいるくらいです」
「法の支配」とは、「法治国家」とは
――安倍首相は、対外的な演説などでしばしば「法の支配」という言葉を使います。中国を意識して、あちらは「人の支配」だけれど、日本は「法の支配」で、その価値観を共有する国々との関係を強化する、ということのようです。
「『法の支配(Rule of law)』は、歴史的にはイギリスで生まれた英米法の基本原理ですね。イギリスには憲法典はありませんが、実質的な憲法がないわけではありません。19世紀の後半に出たダイシー(Dicey)という学者が書いた教科書で、イギリス憲法の特徴として3つの原則を挙げているのですが、第一の原則は国会主権です。国民主権ではなく、国会主権です。国会が所定の手続きで作った法律が最高法規であることを確認しているわけです。そして第二の原則として、『法の支配』を挙げています。ここで言う『法(Law)』とは、国会が作った法律のことではありません。そうであれば、第一原則と第二原則は同じ意味になってしまう。ここで言う『法』とは、マグナカルタ以来の法の歴史と伝統、慣習などを含めた規範です。
中世ヨーロッパには「国王はすべての人の上にある。しかし、神と法には服するのだ」ということわざがあります。それが、『法の支配』の『法』です。これは何もイギリスだけではなく、ドイツにも『古き良き法』という言い方があります。日本でも『天道』とか『お天道様』と言いますね。およそ何らかの文明を持っている国は、特定の人間がしたい放題何でもやっていい、というのは認めない規範があります。明治時代に、森有礼が財産権や言論の自由を『人民の天然所持するところのもの』と言ったのは、まさに『法の支配』の『法』を言い表したのでしょう。枝葉を取り払って大胆な言い方をすれば、『法の支配』とは『人間の意思を超えたルールがある』ということですね」
――菅官房長官は、よく「法治国家」という言葉を使います。普天間基地の辺野古移設問題で、沖縄は反対しているけれど、「法治国家として粛々と進める……」と。最近、「粛々」は”上から目線”と言われて、封印しているようですが。
「こちらは、歴史的に言うと、ドイツ語から来ている言葉です。『法の国家』です。これは、選挙によって選ばれた議会が行政権をしばる。そのために、行政裁判所を作る。法律によって王様の権限を制限する合い言葉が、『法治国家』です。ただし、19世紀のドイツでは、まだ憲法を基準にして法律を縛る憲法裁判所の発想はありません。
法律で行政を縛るのが一番のポイントで、法律があれば行政は何をやってもいい、という意味ではありません。
米軍基地に関していえば、通常は、条約で外国の軍隊に基地を提供する場合は、場所を特定するわけですが、日米安保条約はそれがない。全土基地化条約ですから、確かに政府に法的根拠はあるわけです。でも、『法的根拠はあるから、沖縄が嫌がっていてもやります』というのは、『法治国家』の原理を持ち出す話ではありませんね。人民はお上の言うことに従えという文脈で『法治国家』とか『法の支配』という言葉を使っているのであれば、それは歴史的にも、今の用法としても間違いです」
――『法の支配』と『法治国家』の関係はどうなのでしょう。
「ヨーロッパ統合の合い言葉は『法の支配』『法治国家』でした。Counsil of Europe(欧州評議会)では、英語とフランス語が公用語なのですが、ヨーロッパ人権条約関係の文書を見ると、今では、歴史的経緯は抜きにして『法の支配(Rule of law)』と、『法治国家』を指すフランス語Etat de droit(法の国家)は同義語として扱われています。
『法の支配』『法治国家』は、EUの共通の価値観です。今の政権は『価値観を共有する』という言い方が好きですが、『歴史修正主義』と書いたドイツの新聞に外交官を差し向けて抗議や新聞社を非難させるなど、EUにおける価値観を共有しているようには、とてもじゃないけど見えませんね」
――そして『立憲主義』が……
「この3つが重なり合うわけです。
かつては民主主義を押し進めていけば、いい世の中になる、その向こうには社会主義というもっといい制度もある、というのが、知識層のかなりの共通認識でした。だから、『立憲』より『民主』。それは日本だけではありません。他の国々、たとえばフランスやイタリアなどは、共産党も強く、やはり『立憲』より『民主』でした。ところが、民主、さらにはその先にあったはずの社会主義の実態がだんだん明らかになっていく。やはり、権力というのは何らかの制限がされるべきだ、ということになって、立憲主義が見直されていったんですよ。
『法の支配』『法治国家』を包み込む形で『立憲主義』が80年代になって、国際的な会議やシンポジウムなどでも盛んにテーマになるようになっていきました」
このような国際的な潮流に加えて、日本国内でも国民投票法が制定され、さらに自民党の「憲法改正草案」が発表され、そしてこれまでの政府見解では違憲とされていた集団的自衛権の行使を閣議決定によって認めるという流れの中で、国民が憲法を意識する機会が増えたことが、多くの人々が立憲主義の大切さに目覚めるきっかけとなっているのだろう。
もしかすると、今年は日本における立憲主義再生の年として、歴史に記録されるのかもしれない。」